第36話 くわ助の真実
「では、よろしく頼むよ」
毎朝恒例の朝礼にて、会長は賢太に目配せをしながら言う。事前に知らされていない誠司と渡会だけがほんの少し身じろぐ。
「はい」
賢太は会長の隣へと移動すると、育を一瞥する。彼女は小さく頷いてから速足でくわ助のタブレットを持ってきた。
「くわ助暴走事件について、検証したいことがあるので今からそれを行います」
わざわざ、誠司と渡会がいるこの場で晒し上げるようなことをする必要はないと考えていた。勤務時間中や昼休みにでも、育が2人を呼び止めている間に賢太がこっそりタブレットに何か入力してしまえば最終確認は完了する。あえて、面前で確認しようと提案したのは育だった。彼女曰く、誠司たちにも何か意図があるはずで、その意図を聞き出すためにも職員全員の前で引導を渡す必要があるのだそうだ。
誠司と渡会の表情を確認する。誠司はわずかに目を泳がせたように見える。渡会も前髪のせいで細かな表情までは読み取れないが、俯きがちにそわそわしている。
育が隣に来ると、タブレットに
“くわ助の正体は?”
と入力した。テキストの内容は何でもいい。返信が来なければクロということだ。そして、その結末は目に見えている。
案の定いつまで経ってもメッセージは返ってこない。
「やっぱり……」
賢太はつぶやく。しかし、ここからの対応が重要だ。誠司たちの言い分をしっかり聞き入れ、会長をなだめ、なんとか最悪の事態は防ぎたい。最悪の事態とは、すなわち会長と誠司たちとの間に修復不可能な亀裂が走ってしまうことだ。
「誠司さんと渡会さんの2人で、くわ助を操作していたということで間違いないですね?」
努めて冷静に、しかしなるべく神経を逆なでしないよう、誠司の瞳をじっと見つめながら言う。
「いやぁ、すごいな。その通りだよ」
少し間を空けてから、感心した様子の誠司は目を細めながら言った。隣からは野太いため息が聞こえる。
「どういうつもりだ?」
平静を装った声で会長が問う。その冷静さにひとまず安堵した。
「俺なりに真剣に考えた結果だよ。今回を逃せば観光協会は本当に終わるからね」
誠司が流暢に語り出す。
「賢太くんには本当に悪いことをしてしまった。申し訳ない」
話の矛先が突然賢太に向けられたと思うと、誠司は深く頭を下げた。彼が突如謝罪したことへの驚きよりも、いまだ不明である動機への興味の方が
「その…… どうしてこんなことを?」
素直な疑問だった。くわ助がAIでないことに気づいた時から、その動機が引っかかっていた。
「暴走AIって、敵役としてふさわしいと思わない?」
「へ?」
想定外の言葉に思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
「最初にくわ助ってご当地AIを作る話を聞いた時に、真っ先に思いついたんだ。暴走AIとイサギヨライダーがバトルしたらウケそうだなって」
「イサギヨライダーですか?」
これまた予想外の言葉が飛び出す。
「でも、普通に敵キャラとして据え置くだけじゃ芸がない。だから、リアルタイムな盛り上がりを作ろうと思ったんだ。つまり、本当にくわ助が暴走してる風に見せるってこと」
独りでに語り続ける一方で、会長は険のある表情で誠司を睨んでいた。
「流れとしては、まずくわ助を手動で操作して暴走した風に見せかける。すると、噂が勝手に広がっていく。実際、この辺りの小学校じゃくわ助のことで話題は持ち切りらしい。ネットでバズったのは正直想定外だけどね。パチンコ屋の件だったりブログ記事の件なんかもくわ助が暴走していることを多くの人に知ってもらうためだったんだ」
それでも、なお真意が見えてこない。イサギヨライダーのヒーローショーに登場させるためだけに、これだけの大立ち回りを演じる必要はなかったはずだ。
「例の廃校事業の件。憶えてる?」
以前、育とその父親と市役所で打ち合わせをしたことがある。結局、良い案は出てこず徒労に終わったが。
「実は、市役所の方にはもう話を通してるんだ。イサギヨライダーのヒーローショーをやるってことで」
つまり、育の父親は既に決まっている廃校事業のPR内容を知らないふりで、賢太たちに提案させていたということだ。当時、彼の態度に違和感をおぼえていたことを思いだした。同じく騙されてた育の様子を横目で確認するが、表情に変化は見られない。彼女はずっと黙ったまま、誠司の話を聞いていた。
「だったらどうして、僕たちを打ち合わせに駆り出したんですか? メリットがないでしょ?」
「賢太くんのことだから、くわ助を実は人力で動かしてることなんてすぐにばれると思ったんだ。だから、少しでも賢太くんを本来の仕事から遠ざけるためにね。焼石に水だったろうけど、準備の進捗具合的にあの時点でバレる訳にはいかなかったんだ」
「そもそも、バレないようにしていた理由が分からないんですが」
今回の誠司の計画の根本であり、そして最も理解不能な点だった。観光協会内で正当な手順を踏んで計画を進めていれば何の問題もなかったはずだ。
「そりゃ……」
誠司が言いかけたところで、強烈な怒号が右隣で破裂した。
「いいかげんにせえ!」
会長は鼻息を荒げながら激しい剣幕でまくし立てる。育の体がびくっと震えたのが目に入った。
「職員を騙して、お客も騙して、恥ずかしくないのか!」
激しい叱責が響き渡る中、渦中の誠司はむしろ冷めた顔で会長を見返していた。失望と哀れみが混ざった冷ややかな視線だ。
「悪いとは思ってる。でも、そういうところだよ」
諦めに満ちた声音は小さな子供を
「俺の計画をちゃんと話したところで親父は賛同しないだろ。どうせ」
「そんなもの…… 言わんと分からんだろ」
「いいや。分かるよ。いっつもそうだったんだから」
「お前っ……」
「今回のは俺が責任者だから、全部任せてくれればいいよ。シオカランとかあんなくだらない失敗、俺はしない」
「さっきから好き放題言いおって!」
会長が誠司に詰め寄る。いよいよ暴力沙汰も辞さないかと思われたすんでのところで育が割って入る。本来それは賢太の仕事だったろうが、あまりの剣幕に足がすくんでしまっていた。
「ちょ、ちょっと! 落ち着いて! 2人とも」
突如挟まれた甲高い声に会長は鼻白む。そして、そのまま機嫌が悪そうに受付の方へと去っていった。時計を見ると、既に始業時間を数分過ぎていた。
不機嫌なまま椅子に腰を下ろした誠司を後目に、育が小声で呟いた。
「うーん、困ったな」
こうなるのが目に見えていたから気おくれしていたのだ。やはり育の作戦は失敗だったのではないか?
依然として気まずい沈黙が横たわっている。渡会は縮こまったまま、とぼとぼと自席へと戻っている最中だった。
「ちなみに、渡会さんはどうして協力したんですか?」
育がまるで世間話のように聞く。気まずさを和らげるための質問にしては少々踏み入ったように思うが。
「そ、それは」
珍しく取り乱した様子の渡会はいじらしく口ごもる。いつもは、冷涼な印象の彼女だが今回ばかりは不安定な小動物のようだ。
「渡会さんには、俺から言って協力してもらっただけ。何も悪くないよ」
少し冷静さを取り戻したらしい誠司が、努めて笑顔を作りながら言う。
「は、はい」
渡会は小さく会釈してから席に座って、キーボードを叩き始めた。震える息で深呼吸をしている。誠司と渡会が恋仲であるという噂を育は口にしていたが、にわかには信じがたい。何せ、今この瞬間においても2人は目も合わせていないのだから。あるいは賢太が恋愛感情に疎いだけだろうか。隣に座る育は、全てお見通しと言わんばかりに苦笑いしている。
お土産コーナーの方からは、今日も今日とて、くわ助目当ての来客で賑わい始めていた。SNSでバズった影響か、時折市外から訪れる人もいるらしい。受付では、先程の怒気など想像もつかないほど朗らかな声の会長が対応している。
潔世市を去るまであと半月ほど、少しずつ上がっていく気温とは反対に観光協会はこの冬最大の寒波が到来していた。
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