第32話 パチンコYMN

「一応聞きますけど、渡会さんこれ投稿しました?」


「ま、まさか」


 ぎこちなく否定する渡会の動きは、想定外の出来事による当惑なのか、慣れない嘘をついたためなのか判然としない。投稿時間のところに目をやると、今日の0時ちょうどだ。

 記事の投稿には管理者アカウントが必要だが、賢太の父親である孝がいくつかの記事を執筆した際にも、なぜか管理者アカウントを付与されていたため、このあたりのセキュリティは緩い。おそらく、個人的に関係があって信頼できる人物であれば、管理者アカウントを躊躇なく配布しているのではないだろうか。そうなると、いよいよ外部犯の線が現実味を帯びてくる。捜査対象が広がり、賢太の労働量は増大するはずが、心はどこか高揚していた。


「とりあえず、削除しますね」


 育がポインターを削除ボタンへ乗せようとするので


「ちょっと待って」


 と、それを止める。


「何かヒントがあるかもしれないから、一度非公開にしておこう」


「そっか。というかヒントって?」


 言われて、思い出した。賢太がくわ助を偽装した犯人を捜していることは会長以外に明かしてないのだ。


「使われてる単語から学習データを割り出せたりするかもだから……」


 適当な言い訳でその場を切り抜ける。


「さっきの電話みたいに不審がる人もいるだろうから謝罪記事も出した方がいいな」


 誠司は手を顎に当てながら言う。


「渡会さん、記事の文面はお願いね」


「はい……」


 渡会は育と対角線上にある席で早速キーボードを叩き始める。そういえば、誠司と渡会が話しているところをほとんど見たことがないな、と場違いなことが頭に浮かんだ。


「記事の内容後で送っておくね。はー、マツケンも大変だ」


 育は賢太に労いの言葉をかける。彼女に嘘をついているという事実は心が痛む。育が犯人である可能性は限りなく低いのだから、話してしまっても良いのではないか、という思いが頭をもたげる。


 賢太は曖昧な返事をしつつ、管理者アカウントを過去に付与されたことのある人物を思い当っていた。過去の傾向から記事の執筆者には管理者アカウントが付与されている可能性が高い。

 しかし、いさぎよシティの記事をしっかりと読み込んだことなどないため、執筆者に関する知識は持ち合わせていない。また、記事を漁る日々が始まるのか、と内心げんなりしつつも観光協会内部の不和を回避できる可能性に一抹の期待を寄せる。


 と、そこで一連の出来事の中で特殊な立ち位置にある事件のことを思いだした。パチンコ屋の看板からパの文字だけが消された事件だ。あれだけは、人間の介在が難しいように感じる。当時、調査したのは会長だったはずだが、何か見落としている可能性は十分にあり得る。賢太は人目の付かない位置まで会長を呼び出すと、パチンコ屋への再度の聞き込みを要求した。


 *


 本当は今回も終業後の調査を予定していたのだが、相手側の都合により午前中の訪問となった。「パチンコYMN」という個人経営のパチンコ屋は、店主である山野やまののイニシャルを取ったものだ。山野と会長は家族ぐるみの付き合いがあるということで、電話一本で聞き込みのアポを取ることが出来た。


「何回聞いても同じだと思うがね」


 運転席に座る会長は頬をぽりぽりとかく。車は観光協会の社用車ではなく、会長の自家用車だった。社用車はワンボックスカーであるため、取り回しが悪く、多くの荷物を運搬する必要があるイベントの際以外はあまり運転したくないらしい。

 タバコのにおいが染みついた革素材の座席は姿勢を少し変えるたびに、ぎゅにぎゅにと摩擦音を鳴らす。その音になぜだが妙な恥ずかしさをおぼえ、賢太は口を開く。


「会長は誠司さんと仲いいんですか?」


 沈黙を避けるための雑談としては少々踏み込みすぎたかもしれない。しかし、発してしまった言葉を引っ込めることはできない。


「まあ、普通じゃないかね?」


 目線を進行方向へと向けたまま、乾いた唇がもぞもぞと動く。

「家業という訳でもないのに、親子で同じ職場で働いてるの珍しいなと思って」


「あいつが露頭に迷ってたから仕方なくだ。親バカと言われたらそれまでだが、身内びいきと言われんように、あいつにはちょっと強めに当たってバランスを取っとる」


 以前、誠司が「親父は特に俺の言うことに耳を貸さない」と言っていたことを思いだす。会長の周りへの気遣いのせいで、誠司は会長へ反感を抱いていると思うと、その不器用さを愛らしくも思えてきた。


 *


 パチンコ屋というと、ド派手な店頭にだだっ広い敷地と駐車場という印象があったが「パチンコYMN」は思いのほかこじんまりとしていた。店の外装はむしろ趣きすら感じるほどレトロでここだけ昭和に取り残されたようだ。入口横に設置された“パチンコYMN”と表示されたデジタルサイネージだけが真新しくて、ここだけがくっきりと周囲から浮いていた。看板というからてっきり、ネオンのようなものを想像していたが、これなら1文字だけ消えたとしても故障とは思えない。何かタネがありそうだ。


 店内に入ると、ガヤガヤ、ピカピカと体に悪そうな音と光が溢れていた。濃いたばこのにおいも漂ってきて思わず眉をひそめる。鏡張りの天井は、上下さかさまになった空間を映し出していて、ディスコを彷彿とさせる。外観は昭和で、内装は平成のバブル、そしてデジタルサイネージだけが令和の最新版というのはなんともあべこべだ。


 ずらっと並ぶ筐体の前には、平日の午前中であるにもかかわらず相当数の客が無表情で座っている。もちろん、全員が中高年以上の年齢層だ。娯楽施設のはずが、楽しそうな様子の人間は1人もいない奇妙な空間が、ここをパチンコたらしめている。


 客の背中にぶつからないよう、少し体を斜めにしたまま筐体の間をすり抜けていくと、カウンターが見えてきた。向こう側で気だるそうに座っている年配の男性と目が合うと、彼はニッと笑って黄ばんだ歯があらわになった。


「急で、すまんな。うちの賢太くんが何か聞きたいらしくてな」


「ああ、いやいや。構わんよ」


 山野は立ち上がると、案外長身であることが分かった。180cmはありそうだ。カウンターに両手をつくと、薄笑いを浮かべながら顔を突き出す。


「それで、聞きたいことってのは?」


 ぎょろっとした眼は賢太のことを捕らえて離そうとしない。


「以前、表にある看板が故障したと話されてましたよね? パの文字だけが消えたと」


 相手に合わせるため、デジタルサイネージではなく看板と呼ぶ。


「ああ、そうだよ」


「あれの仕組みを教えていただきたくて」


「仕組みと言ったって。前にゴンさんに言った通りだけど」


 一瞬、ゴンさんにあたる人物を脳内で検索し、それが会長のあだ名であることを思いだす。


「確か、アプリで操作できると言っていたはずなのですが、そのアプリを見せていただくことはできますか?」


「いいけど、俺もあんまよく分かってないんだ」


 ポケットからスマートフォンを取り出すと、必要以上に強い指圧で「Smart-board」というアプリを開いた。画面には、スノーホワイトの背景色にいくつかの設定項目とON、OFFを切り替えるスライドボタンが表示されていた。


「このボタンで、看板の点灯ができるってわけだ。前の看板だと、表に出てスイッチを入れないとダメだったから多少は楽になったかな」


「負担を下げるために、遠隔操作ができる看板を導入したんですね」


「いやぁ、最初はそんなつもりなかったんだけどよ。IT化の推進っての? よく分かんねえけど市から補助金が出るっつって。値段が普通の看板と変わんなかったからこっちにしたんだ」


「なるほど」


 パチンコ屋の看板をデジタルサイネージに置き換えたところで、さほどIT化とも言えない気がするが。山野の話を聞きながら、賢太はアプリのメニュー画面を開いた。


「ほお、そんな画面あったのか」


 頭上から山野の驚嘆の声を浴びる。


 点灯設定という項目をタップし、その奥にある詳細設定という項目をまたタップする。タイマー機能や照度の変更機能など明らかに過剰な機能たちの中に個別点灯という欄を見つけた。そこをタップすると、オートメーション機能の画面が表示される。プログラミングの要領で、文字ごとの点灯時間などを設定できるようだ。試しに、「パ」の文字を消灯60秒に設定して起動させてみる。


「すみません、ちょっと見てきます」


 とだけ言い残し、速足で店の表に出る。すると、デジタルサイネージが放つ“パチンコYMN”という文字列からパの文字だけが消灯していた。YMNが店主のイニシャルであることを理解していれば、これはまるで山野の…… とくだらないことを考えかけて止めた。

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