第28話 くわ助の正体

 時計の針は深夜の2時を指し示している。窓の向こうでは、家の裏手にある路地が街頭に照らされてうっすらと浮き出て見える。賢太は隠しておいた外着に着替えると、こっそり自室の扉を開けた。照明を付けずに忍び足で階段を下りていく。両親の寝室は、賢太の部屋と同じ3階に位置するため細心の注意を払う。


 外套を羽織ると、玄関の扉をそっと開ける。しかし、どれだけ注意してもラッチの立てる金属音が静寂に鳴り響く。びくびくしながら、扉を閉めると自転車を引き出して出発する。2月の深夜は凍てつくような寒さだった。息を吸うたびに肺がじんじんと痛む。


 人気ひとけがなく薄暗い路地を走っていると寂寥感に苛まれる。自転車のタイヤとライトの発電機が放つ摩擦音だけが聴こえる。通り過ぎる家々は全てが静かに眠っている。人口減少が続くこの街にも、一生関わることのない人々が暮らしているのだと思うと、不思議な気分だった。

 国道沿いに出ると街頭の本数が増え、視界が幾分か明るくなる。定期的に聞こえるトラックの走行音に安堵する。音と光がこれほどまでに人を安心させることを初めて実感した。


 朝夕とほとんど毎日往来している道中も時間が違うだけでまるで別人のような顔を見せた。店内に明かりのないファミレスや鎖で閉ざされたガソリンスタンド、黄色で点滅する信号機、そのどれもが普段は見ることのない新鮮な光景だ。


 *


 観光協会に到着する頃には、すっかり耳の先まで冷たくなっていた。かじかむ手に力を入れてから観光協会本部の鍵を取り出す。昼間、会長にした依頼とは観光協会の鍵を1日だけ貸して欲しいというものだった。初めは訝しんでいた会長だったが、くわ助暴走事件の解決には必要なんですと懇願すると、最終的には貸し出しを許可してくれた。


 ガラス扉の前に立ち鍵穴を探すが、見つからない。取っ手のすぐ下のあたりに付いていると思っていたのだが見当たらないのだ。扉の隅から隅まで観察していると、地面と接するほどの位置に小さく出っ張った部分を見つけた。先端には鍵穴が付いている。


 少し手間取ったが無事解錠に成功すると忍び足で室内に侵入する。ポケットに忍ばせておいた小型の懐中電灯をつけると、明かりに照らされた範囲だけが実像を結ぶ。一人称視点のホラーゲームをプレイしている気分だ。賢太は少し浮かれた気持ちのまま、くわ助が置かれているお土産コーナーの隅へと直行する。今回、深夜の観光協会に忍び込んだ理由は、この時間帯にくわ助と会話する必要があったためだ。


 懐中電灯に照らされたくわ助はラミネートが光を反射して、ゼリーの表面のように輝いていた。タブレットの電源ボタンを押下すると、画面に明かりがともった。暗闇に慣れ始めていた目にとって、それはあまりに眩しく思わず顔をそむけた。目を細めながらコントロールパネルを開き画面輝度を最低にする。


 LINEを開き、くわ助に対して適当な質問文を投げかける。数秒、数十秒と時間が経過する。しかし、どれだけ待てども回答は返ってこない。


 これによって1つの結論が導き出された。暴走くわ助の正体は本来のくわ助とは異なる別のAIですらなく、LINEだった。


 くわ助はAIだという固定観念のせいで、暴走くわ助の作り方など技術的な問題点しか考慮できていなかった。くわ助が人力のLINEアカウントかもしれないという突飛な可能性を考え付いたのは、暴走くわ助がオリジナルのくわ助よりも返信に時間を要していたためだ。


 しかし、それだけでは証拠が足りない。そこで、質問を連投するという実験を行った。結果として、暴走くわ助は明らかに一般的なAIの仕様とは異なる挙動をとった。


 そして、最終確認として行ったのが今回の作戦である。仮にくわ助が人力であるなら、中の人が就寝している時間には応答できないはずだ。極めてシンプルな調査だが、最も核心的だと言える。これにて、くわ助暴走事件は一件落着した。


 と思ったのだが、また別の疑問が湧き上がる。そもそも、一体どのタイミングでくわ助が入れ替えられたのか。お披露目会の前日、くわ助は賢太の手によって友達登録された。その時点では間違いなくオリジナルのくわ助だった。しかし、翌日に行われたお披露目会の最中、くわ助は暴走し始めた。

 したがって、お披露目会の前日から当日にかけての約半日の間にすり替え工作が行われたことになる。手法はおそらく、オリジナルのくわ助のアカウントを削除した上で同じ名前の異なる通常アカウントを友達登録したのだろう。


 そのようなことが可能なのは、おそらく観光協会職員しかいない。今日のお昼の時点で育や誠司に話してなくて良かった。会長に対しても詳細はまだ話していない。賢太は観光協会の面々の顔を思い浮かべながら思考する。


 会長が犯人という可能性は限りなくゼロに近いはずだ。仮に会長が犯人なら、わざわざ賢太をAI担当大臣などと呼称して事件の解決にあたらせるはずがない。それは自分の首を絞める行為に他ならない。


 では、誠司が犯人だろうか。しかし、先日のヒーローショーでの様子から彼はイサギヨライダーとしての活動に誇りを持っているように見えた。一方で、暴走くわ助はイサギヨライダーへの批判を頻繁に放っていることからも、可能性は薄い。いや、これは少し根拠が弱いだろうか。


 育と渡会の2人に観光協会の事業を妨害する動機はないように思う。しかし、それを言うなら会長と誠司にもそのような動機は存在しないはずだ。潔世市観光協会という場末の組織が運用するLINEbotへの工作が一体どのような利益に繋がるのか。事件の犯人にしても、その動機にしても、一切が不明だ。


 せっかく、ことの真相にたどり着いたと思いきや、今度はさらに大きな謎が現れた。しかもそれは賢太の得意分野である技術的な謎ではなく、より人間的で抽象的な謎だ。くわ助暴走事件の顛末を誰にどこまで話して良いものか思考しつつ、観光協会を後にしようと一歩を踏み出したその時。駐車場で1台の車が停車する音が聞こえた。車のドアがばたんと閉まり、それから足音が近付いてくるのが分かった。


 ガラス扉の向こうに人影が見える。刹那、賢太はお土産コーナーに常設されている長椅子の後ろに身をひそめる。謎の人物は、しばらく扉の前で立ちすくんだ後、室内に入ってきた。月明りの逆光によって輪郭がはっきりと浮かび上がったシルエットは黒井さんを彷彿とさせた。

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