第22話 多分、お酒のせい。

 居酒屋を出ると、火照った頬に冬の夜風が染みた。皆が口々に会長へ、ごちそうさまでしたと声をかける。


「はー、さむ」


 誠司が掌をこすりながら、早歩きで車の方へと向かう。近くのコインパーキングに停めてあった会長の車は、電飾看板と近くの街頭に薄く照らされていた。


 4人の乗った車はゆっくりと発進した。ほとんど人通りのない夜道が後方へと流れていく。信号待ちのたびに体温を帯びた育の鼻息が聞こえてきて少しの気まずさを感じる。賢太はふと気になったことを適当に口走る。


「誠司さんってどのあたりに住んでるんですか?」


「松風小学校のあたりだから、結構山のほうだね」


 松風小学校というと、例の廃校事業の対象となっている学校だ。


「へー、じゃあ誠司さんの母校だったりするんですか?」


「そうそう。廃校になっちゃったのは残念だけどね。だからこそ、今回の事業は成功させたいと思ってる」


 後部座席から誠司の顔は見えないが、真剣な声音から廃校事業への思いが伝わってきた。その割に前回の打ち合わせを賢太と育に任せていたのは疑問だが。


「なんなら、親父の母校でもあるよ」


「うむ、わしらの頃は汚い木造校舎だったがな」


「親子で同じ小学校って素敵ですね」


 育が微笑しながら言う。


「ずっと、地元におるってだけじゃろ。こいつにもいい加減独り立ちしてもらわんと」


「いや、だから職場が市内なのに独り暮らしとか家賃もったいないって言ってるでしょ」


 誠司が実家暮らしというのは少し意外だった。普段の様子からして、彼は父親にあまり良い感情を抱いていないものだとばかり思っていた。以前も「親父は特に俺の言うことは聞かない」と愚痴っていたはずだ。それはそれとして、家賃を抑えるためだから仕方がないということだろうか。


 *


 賢太が参加することになった週末のヒーローショーについて色々と話を聞いているうちに、車は観光協会へとたどり着いた。会長に改めて礼を言ってから、育と賢太は車を降りる。


「いやぁ、マツケンがあんなに語るとは予想外だったよー」


 2人は自転車を並んで押しながら国道沿いの歩道をゆっくりと進む。ちょうど通った2tトラックの走行音のせいで、育の声が少し聞き取りにくかったが大まかな内容は把握できた。


「なんか、恥ずかしいからあんまり掘り返さないで。多分、お酒のせい」


「じゃあ、また飲み会開かないと」


 育はニヤニヤと不敵な笑みを浮かべながら言う。飲み会はこの世で最も嫌いなものの1つだったはずが、育からのその誘いには不思議とストレスを感じなかった。


「まあ、うん。そうだね」


 営業を終えた薬局の前を通り過ぎる。


「悩みがあるんだったら、マツケンから電話してくれてもいいのに」


 それが賢太にとって非常に大きな困難であるということも知らず、平静と放つ。


「気が向いたら」


「いや、それ絶対しないやつじゃん」


 破顔した育は半ば呆れつつ、柔らかいため息をつく。


「っま、いいけどさ。じゃあね」


 気が付くと、木浪川に架かる芦尾橋まで到達していた。育の実家は、川の向こう側のためここで別れることになる。


「ああ、また明日」


 軽く手を振り、別れを告げると特に惜しむこともなく2人は別々の道を進み始めた。自然と、また明日という言葉が出てきたのは随分と久しぶりな気がした。


 *


 玄関で靴を脱ぎ、階段を上がる。2階のリビングには既に帰宅していた両親がテレビを見ながら談笑していた。帰宅時、そこに両親がいるという景色には妙な違和感をおぼえた。賢太を出迎えるのはいつも、真っ暗で静寂のリビングばかりだった。


「おかえり。遅かったわね」


 母が、ソファに座りながらこちらを振り返る。


「うん。ちょっと飲み会があって」


「へえ。珍しいわね」


 そう言うと、視線は再びテレビの方へと向かう。


「荷物の整理とかって始めてるのか?」


 今度は父が、こちらに顔を向けて言った。


「いや、まだ。手も付けてない」


「意外と時間かかるから、早めに手を付けておいた方がいいぞ」


「うん」


 賢太は外套を脱いでハンガーに掛けながら低い声で言う。無意識のうちに愛想の悪い返事になってしまった。父も母も早いところ賢太に出ていってほしいのだろうな、と考えかけて止める。自己嫌悪を加速させるような卑屈さは捨てていかなければいけない。


 ささっと入浴と歯磨きを終えると、すぐに自室へ戻った。親と同じ空間に居続けるというのは何となくぎこちなさを感じるためだ。

 賢太には特に反抗期と呼べるようなものはなかった。そもそも、反抗の対象である両親がほとんど家にいなかったのだ。したがって、かつて両親へ反発した手前今更仲良くするのが気まずいという訳ではない。単純に、これまで接する機会が乏しかったせいで親と会話しているという状況に違和感を抱いてしまうのだ。


 デスクに向かって腰を下ろし、ノートPCを立ち上げる。デスクと言っても、小学生の頃から使っている勉強机だ。買い替えたい気持ちは山々だったが、想定外の頑丈さを発揮して、10年以上使い続けた今でも現役だ。


 その証拠として、キャビネットの引き出しにはライチュウのシールが貼られたままだ。幼い頃の記憶をたたえた遺物とも、あと数週間で別れることになるが、それは成長を意味するのだろうか。東京で独り立ちしたところで、体の内側にはポケモンシールをぺたぺたと貼りつける幼子が巣食っている気がしてならない。


 週末のヒーローショーのことを思いだし、なんとなくYouTubeで「イサギヨライダー」というキーワードを検索してみる。すると、1件だけそれらしい動画が表示された。それは去年に投稿されたもので「【潔世市】ご当地ヒーロー」というシンプルなタイトルの動画だ。


 素人が撮影した動画らしく、舞台までの距離の遠さと手振れのせいで細かいところまでは観察できない。体育館のような場所で、舞台上では数人が動き回り、時折フリー音源のような効果音が聴こえる。撮り方のせいもあるだろうが、お世辞にもクオリティが高いとは思えない。


 しかし、手前に見切れて映っている子供たちは案外盛り上がっているようにも見える。左端の方には、大きく飛び跳ねてイサギヨライダーを応援している子もいる。髪の長さと服装からすると女の子だろうか。


 今の時代、ヒーローものが好きな女の子も珍しくないか、と思ったところでその反対側に佇んでいる黒ずくめの人間に目がいった。イサギヨライダーのアクションシーンでも、敵役が倒されても微動だにしない。避けられているのか、子供たちは皆少し離れた位置におり、親御さんも時折そちらをチラチラと確認している。


 こんな田舎のヒーローショーにも不審者がいるのかと辟易としていると、黒づくめが振り返ってこちらを向いた。ぼやけているが、おそらくサングラスとマスクを付けている。教科書通りの不審者だ。そいつは、カメラの存在に気が付くと、すっと画面外へと消えた。

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