第21話 尻に敷かれたいってこと?

 潔世への嫌悪は俯瞰すれば、単なる自己嫌悪であり生暖かい諦観は自分自身に向けられたものだったこと。誰ともつながっていない自分から目を背けるために、ありもしないしがらみを創り出してそこから逃れようとしていたこと。

 口に出すのもはばかられるそんな言葉たちは、堰を切ったように溢れ出た。こんなにも流暢に話せたのは生まれて初めての経験だった。


 感情に任せて吐き出される話の内容とは裏腹に声音は平坦で、頭は至極冷静だった。脳は次に話すことの整理にだけリソースを割いていて、それ以外の情報の処理を放棄していた。それはまるで、行列に並んだ言葉を順番に出力する機械のような気分だった。


 唇に空白が訪れて、初めて自分が全て話し終えたことを認識した。神妙な面持ちの誠司と会長に焦点が結ばれる。誠司が腕を組んで顎を引いた。次第に、恥ずかしさが水位を上げてきた。とんでもない自分語りを繰り広げていたのではないか。


「ねえ」


 口を開いた育はなぜか泣きそうな顔をしていた。


「それは違うと思うよ」


 育から放たれた言葉は、想像よりも冷たさをはらんでいた。少し、怒気すら混ざっている。自分なりに考えぬいた末にたどり着いた結論だったので、こうもまっすぐに否定されると言葉に詰まる。これまでの人生と心の奥底に眠る感情の不和をすり合わせた結果得られた醜い自分の正体だ。


「マツケンが自分を諦めているようには見えない。少なくとも私から見ればね」


「外から見ればでしょ? 自分のことは自分が一番知ってるんだから」


「自分でどう思ってるかは知らないよ。もちろん。私が何か言えた立場じゃないのも分かってる。でもさ、逆に人から見える部分が全てとも思うの」


「どういう意味?」


「皆、自分だけで自分を決められないってこと。周りから見た時の印象が、次第にその人の個性になっていく、みたいな」


「個性…… の話ではなくない?」


「うん?」


「え?」


 なぜか育の方が混乱している様子だ。いまいち、話がかみ合っていない。


「要するに、友達いないからそんな捻くれるってこと!」


 諦めたように言い放つ。


「急に、刺してくるじゃん」


 賢太は苦笑いしながら答える。


「俺はよく分かんなかったけどさ、そんなにネガティブになる必要はないと思うよ」


「うむ」


 誠司の言葉に続いて会長が頷く。賢太からすれば、一世一代の告白だったつもりなのだが、どうもそれほど深刻には受け取られていないように見える。むしろ「なんか、暗い話だな」程度にしか認識されていなかったのではないか。そう思うと、気恥ずかしさが増してくる。

 しかし、有意義な議論はまるで交わされていないにも関わらず、賢太の心はずいぶんと軽くなっていた。これまで中身のない会話に意味などないと考えていたが、コミュニケーションの本質は会話の内容ではないのだということに今更思い至った。人は日々、適当に感情を共有して生きているのだ。


「誰にも縛られてないってのをまるで悪いことかのように言っておったが、しがらみなんてない方がいいぞ。嫁には尻に敷かれておるし」


 会長は肩を落として言う。


「いや、ですから僕は尻に敷かれることすらないから、ということを……」


 賢太は反論するが、途中から声は消え入りそうなほどに小さくなっていく。誰とも深い関係性を構築できないが故に、他人から怒られたり嫌われたりすることすらなかったのだ。配偶者の尻に敷かれるということは、そこに他者との関係が構築されていてその副産物としてしがらみが発生する。ということを、先程語ったつもりだったのだが、あまり伝わっていないようだった。


「尻に敷かれたいってこと?」


 育が真顔で聞いてくる。


「いや、そうでもなくて」


「そんなに縛られたい?」


 誠司がニヤニヤしながら身を乗り出してくる。その言い方だと、賢太が変態のように聞こえる。


「今度の土曜日、毎月開催してるヒーローショーがあるんだけどさ、手伝い来てくれる?」


「ヒーローショー?」


「そうそう。イサギヨライダーのやつ。ボランティアにはなるんだけど。縛られたいんでしょ? 地元のボランティアなんて面倒くさいしがらみ代表だよ?」


 そう言われてしまうと断れない。


「えーと、はい。行きます……」


「へへ、ラッキー」


 ビールをぐっとあおると、いじわるそうに目を細めた。彼なりに気を使ってくれたのだろうか。あるいは、機に乗じて労働力を確保しただけかもしれない。


「ずっと気になってたんですけど、イサギヨライダーって何なんですか?」


 陰気な空気を引きずりたくなくて、話題を変えた。


「そんなのも知らんのか?」


 会長は拍子抜けした顔をした。


「我らがご当地ヒーローじゃろうが」


「もちろん、それは知っているんですけど。いつ頃からやってるとか」


「そりゃ、わしが始めたんだから、かれこれ、えーと。何年だ?」


「今年で20年」


 横からなぜか浮かない表情をした誠司が補足する。


「おお、そうじゃった」


「そんなにやってるんですか?」


 そこまで興味があった訳でもないが、賢太はあえて大げさに驚く。


「昔は仮面ライダーイサギって名前でやっとんだがね」


 会長は調子よく、鼻を鳴らしながら話す。会長の年齢から考えると初代仮面ライダー世代のはずだ。


「権利的にまずいんじゃないかと言われてな!」


 がっはっは、と声を上げて荒っぽく笑う。仮面ライダーという名前をそのまま使うのは、流石に著作権的にまずいだろうし、笑いごとだろうかと思ったが時効だろう。


「それで、中の人は会長が?」


「中の人ではない! 着ぐるみじゃないんだから。スーツアクター、だ」


 スーツアクターという単語を区切って強調するように言う。


「今はこいつがやっておる。イサギヨライダー2号としてな」


 会長は、誇りに満ちた表情で隣の誠司を指さした。その一方で、誠司の方はと言うと、伏し目がちで少し首を傾げてから


「うん。まあね」


 と呟く。イサギヨライダーを演じることにあまり乗り気ではないのだろうか。


「しゃきっとせんか!」


 会長が誠司の肩をガっと掴むと、左右に揺さぶる。


「誠司さん、意外とすごいんですよー」


 育の言葉に


「意外って言うな」


 と苦笑いしながら答えた。その表情は、イサギヨライダーを演じることへのささやかな誇りと自虐が含まれているように見えた。

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