第20話 でも、最近もっと大きな理由に気がついて。

 目的の居酒屋は、4階建ての雑居ビルの1階部分に店を構えていた。「さいさい亭」と書かれた黄色い蛍光色の派手な看板が薄暗い空間の中で目立っている。そして、ロータリーを挟んだ向かいにはJRの木浪駅が佇んでいる。


 JR木浪駅の他に、ローカル鉄道である「白糸鉄道」にも同名の駅が存在する。しかし、白糸鉄道の木浪駅の方が町の中心部に近いはずなのに、駅舎が簡素すぎるせいか駅前と呼べるほど栄えていない。


 そもそも、白糸鉄道は運賃がJRと比較してやたらと高いせいで定期券を使った学生くらいしか乗客がいない。その学生客ですら最近は減少傾向である。そのため、潔世市民の多くは少し遠いがJRの方の木浪駅を利用することが多い。こちらの方はロータリーのおかげか、かろうじて駅前と呼べるくらいには栄えている。とはいっても、せいぜいこの居酒屋と消費者金融と不動産屋くらいしかないのだが。


 店内は仕事終わりのサラリーマンで思いのほか賑わっていた。品のない笑い声とグラスのぶつかる音で溢れている。右手にカウンター席、左手にテーブル席、そして奥には座敷席があった。賢太たちは、座敷席に案内された。


「さて、どうするかなー」


 誠司は席に着くなり、メニューを見やる。賢太ももう1つ用意されていたメニューを手にしたが、そこで自分の座っている位置に思いが至った。全く意識せずに奥側の席に座ってしまっていた。確か、こちらは上座で目上の人が座るのではなかったか。心配になりながら、斜め向かいの会長に目をやると特に気にした様子もなく、隣の誠司のメニューを覗き込んでいた。


「この間来たときは、山芋のふわふわ焼きってのがおいしかったんだよね」


 隣に座る育の視線が賢太の手元に向けられているのに気づいて、メニューを育の方へ寄せる。


「へー」


 だし巻き、手羽先、焼き鳥など比較的オーソドックスなものが多い印象だった。


「こんなのあるんだ」


 マグロのほほを使ったガーリックステーキを指さしながら言った。他の店では見たことがない。


「あー、確かに。食べたことあったかな? 多分まだかも。頼んでみよ」


「すみませーん」


 誠司が店員を呼び出すと、他のテーブルに料理を提供し終えたばかりの若い男性店員が慌ただしくやってきた。


「はい、ご注文お伺いしますね」


「生ビール1つと、ジンジャーエール1つ。そっちは?」


「あ、えっと」


 人付き合いが希薄な人間は自然と居酒屋へ赴く機会も減少する。したがって、ドリンクのことをすっかり失念していた。


「レモンサワーで」


 普段は飲酒しないはずなのに、とっさに目についたそれを注文してしまった。悪い酔い方をしなければいいが。


「私はウーロン茶で」


 賢太に続いて言った育は、いくつかの料理も注文する。育の横顔をぼけっと眺めながら耳たぶが丸いな、などとどうでもいいことを考えていた。


 *


 歓迎会と称したただの飲み会は宛てのない話題をしばらくさまよった。初めこそ、賢太が今日の主役だからという理由でいくつか個人的な質問を聞かれたが、これといって面白みもなく、話題は次第に育の方へと移っていった。


 育は、小気味よい地元トークで場を盛り上げた。さらには、会長に辛辣なツッコミを入れたりもしていて、まさに無礼講という感じだ。会長もそれを笑いながら受け止めているところを見るに、根は意外とやさしい人なのだろう。


 賢太もそれなりに楽しんではいたのだが、それでもどこか馴染めない気持ちを抱かずにはいられなかった。4人分の笑い声は3人+1人という風にしか捉えられず、しかしそれが自分の捻くれた自意識によるものであることも理解していた。この場に悪意を持った人間は1人もいない。


「そういや、マツケン今日顔死んでたの、あれ何で?」


 育が思い出したように突然話を振ってきた。「お前の歓迎会なのに全然しゃべってないじゃないか、ここはいっちょ皆の面前でつるし上げるか!」なんてことは当然考えていない。純粋に突然気になったから突然聞いたのだ。賢太は自分の捻くれ具合にうんざりした。


「ああ、なんというか……」


 自分の弱みや悩みを他者に打ち明けるという経験に乏しかったため、なんとか話を濁そうとした。早く、興味を他所よそへと移して欲しかった。しかし、そんなことをすれば今度こそ場の雰囲気がとんでもないことになることを瞬時に察した。


「くわ助のことがもう訳が分からなくてさ」


 丁度いい嘘も思いつかず、あえなく本心を晒した。この期に及んでごまかしたところでどうにもならないと諦めたのだ。あとは、お酒の力もあるかもしれない。


「はー、大変そうだね」


 育は唐揚げをつつきながら、他人事のように言った。実際、他人事なのだが。


「まっ、そう気負う必要はないさ」


 誠司は顔の前で手を軽く振り動かす。隣で育が大げさに頷くのが視界の端に映る。ウーロン茶しか飲んでいないはずなのに、酔っ払い特有の動きに似ていた。言葉にしてしまえば、周りの反応は想像よりもあっさりとしていた。ところが、


「東京行きが3,4週間後だったかね。それまでには……」


 と憮然とした表情で話す会長の言葉に


「だから、それがプレッシャーなんだって」


 という誠司の声が重なった。辺りが静まりかえったように感じ、直後居酒屋の喧騒が鮮明になった。会長は一瞬、面食らった顔になりそれから眉をひそめた。今にも説教が始まりそうだ。僕のために争わないで、と陽気に振る舞えるほどのコミュニケーション能力を当然賢太は持ち合わせていない。


「まあまあ」


 そわそわと目を泳がすだけの賢太に代わって育が仲裁に入る。


「マツケンはずっと潔世を出たがってたから。念願なんだって」


 話題を変えて、場を和ませようとした育の発言は


「賢太くんは潔世が嫌いなのかね」


 という険しい顔つきを浮かべた会長の言葉に遮られ、場の温度は再び低下した。


「いえ、嫌いというかその……」


 この雰囲気を取り繕うのなら適当に嘘を吐けばいい。しかし、それでは結局何も変わらない。体裁もプライドも途端にどうでもよくなった。


「好きじゃないのは確かです。でも、最近もっと大きな理由に気がついて」


「ほう」


 自ら何かを語り始めた賢太が意外だったのか、会長は身を乗り出して両肘をテーブルにつけた。


「え? なになに?」


 育も同じようにして、顔を近づける。


 賢太はこれから何を話すことになるのか理解しながらも舌が滑るのを止められなかった。自分で直視するのも嫌な生の感情を、なんなら最近気がついたばかりの心の深淵の正体を吐露するのだ。

 育はともかく会長と誠司は関係の薄い職場の上司でしかない。それでも、その判断に至ったのは、心のどこかで救いを求めていたからなのか。あるいは、お酒の力なのか。

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