第19話 馬鹿言え、男は皆バイク好きだろうが。

 結局、昨夜は一方的に育の相談を聞く形となった。自分の悩みを打ち明けることも脳裏をよぎったが、それは賢太にとって耐えがたい苦痛になることが予想されたため、むしろありがたかった。


 相談内容はと言えば、かつて育が大見得をきって東京へ行った手前、地元の友人たちとどことない気まずさが残っているというものだった。友人のいない賢太に、的を得た回答などできるはずがなかったが、こういった相談事は口に出すだけで気が和らぐため、聞き手はとにかく同意することが大切なのだと何かの本に書いてあった。

 

 それにしたがって、賢太は「なるほどね」と曖昧に相槌を打ち続けた。具体的な解決策が提案されない、一見無為に思える通話を1時間ほど続けた結果、育は満足したらしくこれまた一方的に通話は終了した。育の悩み事が解決したことに安堵する一方で賢太は自分を肯定できるあらゆる手札を喪失していた。


 *


 始業時間の15分ほど前に観光協会本部に到着し、いつもの朝礼を終えてからそれぞれが持ち場へと向かう。その途中で、会長を呼び止めた。


「すみません」


「なんだね」


「僕には、もうくわ助が暴走している原因を突き止められそうにありません」


 昨夜、賢太は自分を構成する要素が自己嫌悪と孤独感のみであることに気づき、そこを噴出孔として黒い感情が体の内側を侵食した。それは全般的な自信の喪失につながり、賢太はほとんど無意識のうちに会長に対してくわ助暴走事件の投了を宣言していた。


「うむ。君にそう言われてしまうと我々にはやりようがなくなってしまう。AI担当大臣を任命した以上、最後までやり抜いてほしいのが正直なところだが」


 会長は眉間を寄せて、腕を組んだ。


「バイト代のこともありますし、そのぉ…… 解雇という形でも」


 運営費用が厳しいという話を以前に聞いていたので人件費を少しでも減らすために自分を解雇して欲しい、というのは自分への言い訳だろうか。


「解雇? もう東京へ引っ越すのか?」


「いえ、それはまだ3,4週間先ですが」


「だったら、別に構わんだろ」


「ですが、バイト代の捻出が厳しかったりとかも……」


「何を言っとるんだ、正式な対価だろうが。むしろ時給が安すぎるんじゃないかと、市役所の連中に苦言を言われたほどだ」


「はあ、そうですか」


「若者がくだらん気遣いは止めるんだな。社会人なら最後までやり抜く姿勢は見せたまえ」


 そう言うと、大きな背中が遠ざかっていく。会長からの叱咤は賢太がいまだに学生気分でいることを揶揄していたのだろう。社会人になれば、うまくいかないことの方が多い。そのたびに逃げていては成長なんてできるはずがなかった。賢太は心を奮い立たせ、再起を誓った。


 *


 困難に立ち向かう決意を胸に宿し、自分の席に腰を下ろして数時間。決意はすっかり熱を失っていた。一度折れた心を付け焼刃で修復したところで、そうすぐに回復するものではない。


 昼休みになり、賢太が無心でコンビニのおにぎりを頬張っていると、育が話しかけてきた。


「顔死んでるよ?」


「ぬ?」


 口いっぱいの米が邪魔をして妙な返答になってしまった。


「昨日話してた時も元気なさそうだったし。まあ、私ばっか話してたけどね」


「いや、別にそれは関係ないんだけどさ」


「そういえば、歓迎会やってなかったのぉ」


 会長が突然声を発した。いつも会長は事務室の中でも少し離れた位置にある自分のデスクで妻が作ったであろう弁当をそうそうに平らげると、すぐに受付やお土産コーナーの方へと向かってしまう。したがって、昼休み中に会長が話すことは珍しかった。


「今日、歓迎会をやろう。くわ助と賢太くんを歓迎せんと」


「はあ」


 賢太は困惑気味に誠司の顔を見ると、同じような顔をしていた。しかし、育だけはなぜか乗り気だった。


「いいですね! 駅前のさいさい亭とかどうですか? 結構安くて美味しいんですよ」


「うむ。ではそこにしようか。お前も来るだろ?」


 会長は誠司の方を向いた。


「えーと、うん」


 この空気の中断れるわけもなく、誠司は苦笑いしつつも首肯した。


「渡会さんはどうします?」


 育は身を乗り出して聞く。


「仕事と関係ないので、遠慮します」


 流石の渡会だ。もちろん、断っても何ら問題はないがこういった同調圧力にも近い空気感に抗える彼女のことを羨ましくも思った。


「渡会さん、相変わらずクールだね!」


 場の雰囲気を白けさせない育の手腕にも感心した。これだけの愛嬌とコミュニケーション能力があるなら、いつでも東京で再就職できるのではないだろうか。とはいえ、彼女にとって働きやすい環境が何よりも重要だ。健やかに生きてくれればそれでいい。そんな、親のような考えをしてしまっている自分に苦笑した。


 *


 終業時間後、渡会を除く4人は会長の車に乗って目的の居酒屋がある木浪駅へと向かっていた。会長の車はシックなワインレッドの車体だったが、車に詳しくないせいで車種は分からなかった。


「渡会さんも来れば良かったのに」


 育は口をすぼめて言う。渡会が誘いにのらないことは分かりきった上で社交辞令として誘ったものだと思っていたが、どうやら本気だったらしい。しかし、仮に渡会が参加するとなると、後部座席がかなり窮屈になっていたのではないだろうか。


「渡会さんで思い出したんですけど、あのデカいバイクって渡会さんのだったんですね」


 賢太は雑談のつもりで何の気なしに話す。ほんの数日前に知ったのだが、渡会はバイクで通勤しているらしかった。銀の光沢を放つ排気口や重厚感のある黒のボディが目を引く大型バイクのことは毎朝視界に入るせいで存在は認識していた。その雄々しい印象の車体から、てっきり誠司のものとばかり思っていたが、誠司は自転車通勤だった。


「ありゃ、ヤマハのVMAXだよ。女の子が乗ってるのは初めて見たがね」


 ハンドルを握る会長が唇の端を持ち上げながら言う。


「へえ、会長詳しいんですね」


「馬鹿言え、男は皆バイク好きだろうが」


「そうでもないだろ、なぁ?」


 助手席に座る誠司が振り返って、賢太を見ながら言う。賢太はどちらの肩を持つか悩んだ挙句


「あはは」


 と曖昧に笑った。コミュニケーションの大半は愛想笑いで成立しているのだ。

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