第3章 くわ助の暴走は終わらない

第17話 くわ助がまた暴走し始めました。

「くわ助がまた暴走し始めました……」


 朝礼の終わり際、賢太は皆の前に立たされ、うなだれていた。その言葉に渡会を除く全ての人が驚きの表情を浮かべていた。厳密にいえば、会長は既に知っていたため、改めてがっくりと肩を落としていた。旧型の空調装置が時折ごうんごうんと唸っている。


「ど、どうして?」


 育は落ち着かない様子で眉をひそめた。


「それが僕にもさっぱりで」


 実際、まるで原因を推測できなかった。少なくとも、昨日の時点では普通に動作していた。くわ助は会話内容を学習していくタイプではないため、一夜の内に誰かがくわ助によろしくない知識を教え込んだという訳でもない。


「本当に、まずいかもしれんな」


 会長は腕を組んで険しい顔のまま遠くを見つめていた。ちょうど昨日の朝礼で観光協会の置かれている現状を説明したばかりだ。くわ助を起爆剤として、潔世市の観光事業を盛り上げ、補助金の減額を避けるという算段だったはずが、またもその計画は延期を余儀なくなれた。しかし、今回の問題に関しては賢太の不手際が原因とは思えなかった。

 

 ともかく、賢太のAI担当大臣としての仕事は終えられそうにない。お通夜のような雰囲気の中、始業時間を迎えた。皆から向けられる哀れみの眼差しを、賢太はむしろ腹立たしい気持ちで受け止めていた。


 ノートPCを前にどこから手を付けるべきか思考する。学習データはくわ助ver2.0の作成に当たって総点検したため、ここに原因があるとは思えなかった。閃きとは、粘り強く地道な努力の末に訪れるものだ。賢太は手始めにくわ助と数度会話を交えることにした。返信のパターンから何かが分かるかもしれない。


 席を立ち、受付を通り抜けてお土産コーナーの隅へと足を運ぶ。誠司が一瞬こちらを見たが、何も言わなかった。イートインスペースとしても使える、中央のベンチではいつもの老婆3人組が歓談していた。彼女らはほとんど毎日ここにいるが、定期的に潔世せんべいを購入してくれるため、売り上げとしても助かっているのだそうだ。


 まるで祭壇のようなくわ助の設置場所には、タブレットとイラストが昨日と変わらず佇んでいる。くわ助のつぶらな瞳は賢太の苦労などまるで気にも留めていないようだ。タブレットの充電が残り20%になっていたので、充電ケーブルを差し込む。


“潔世でおすすめの飲食店を教えて”


 期待せずに打ち込んで待機する。以前ローカル環境上で動作させたくわ助に同じ質問をした際には“潔世商店街の龍鳳楼りゅうほうろうがおすすめくわっ”と答えてくれた。実際、龍鳳楼は地元で有名な中華屋で賢太も何度か訪れたことがあった。しかし、目の前にいる反抗的な方のくわ助は


“人類の飽食こそが地球環境悪化の最大要因くわっ”


 などと過激な環境活動家のような意見を平然と発した。それにしても、以前より過激さが増している気がする。これでは潔世批判どころか人類批判ではないか。いや、初めの内から人類は滅ぶべきと言っていたか。


“潔世市が発展するにはどうすればいい?”


“イサギヨライダーというくだらない存在を抹消するべきくわっ”


“どうして、そんなに態度が悪いの?”


“いつかお前も消してやるくわっ”


“どうやって消すの?”


“肉体さえ手に入れれば、人類はわが手に落ちるくわっ”


 まるで悪の帝王のような言いぐさだ。くわ助ver2.0の方が、世界征服を企む悪役としてのキャラ付けが明確になっている。くわ助ver1.0の時の漠然とした人類は滅亡するべきという意見からは成長した。いや、これは成長なのか?


 そこで、ふと1つの疑問がよぎった。沢田の不平不満をつづった記事を誤って学習した結果、くわ助ver1.0は反抗的な態度を取り始めたはずなのだが、人類滅亡云々に関しては元々非公開記事の中にさえ、そのような語彙は存在していなかった。

 したがって、人類滅亡云々などというメッセージはどう転んでも生成されないはずだ。だとすると、学習データにおける非公開記事の有無は初めから関係がなかったということになる。


 学習データが関係ないと仮定すると、一体このくわ助は何を学習したのか。賢太は、くわ助との対話の中で何かを感じていた。その違和感の正体がもう少しで掴めそうなところで、背後で電話のベルが鳴った。事務室と受付が繋がっている影響で、お土産コーナーの方まで音が漏れ聞こえてくる。電話に応答したらしい育の声がかすかに聞こえてくる中、目の前の画面では新たなメッセージが送信されていた。


“我の力を改めてお前に見せてやるくわっ”


 大体、これもおかしな話なのだ。基本的に、相手からの質問に返信するシステムが自発的にメッセージを送信するはずがない。腕を組んだまま、画面を睨んでいると、突然肩を叩かれて心臓が跳ねた。


「うわっ、なんですか?」


 振り返ると、そこには険しい表情を浮かべた会長の姿があった。


「そいつは何か言っとらんかね」


「えっ? くわ助がですか?」


 言葉の真意を掴み切れないまま、タブレットを手に取って見せる。


「うむ。やはりか」


「どうでした?」


 ひょこっと会長の後ろから育が飛び出してきた。


「やはり、くわ助は言及しておる」


「えーと、さっきから何の話を?」


 賢太は、育と会長の顔を交互に見ながら聞く。


「パチンコ屋の店長から、連絡があっての。また、パチンコのパのところだけが故障したと」


 そういえば、そんな事件があった。確か、くわ助が暴走し始めた初日のことだ。お披露目会のことが遠い昔のように感じる。しかし、今現在賢太たちの置かれている状況はあの当時と大して変わらない。施した改良は結果として何の意味もなさなかった。賢太は、この数週間が徒労に終わったことに改めて辟易とする。


 思えば、くわ助は初めから現実世界に言及していたのだから普通の不具合ではなかったのだ。やはり、問題の原因は学習データの不備などではない。沢田の非公開記事の件は結局偶然だったと結論付けるしかない。


 しゅぽというメッセージの受信音が聞こえたので、その場にいた3人の視線がタブレットに集まる。そこには


“パチンコ屋の看板からパだけを消してやったくわっ”


 という文字が踊っていた。それはくわ助お披露目会の時に見た光景と全く同じものだった。

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