第16話 くわ助が治りました。
「それは…… どうして?」
沢田はパチパチと激しくまばたきをしながら、目をそらした。
「いさぎよシティのテキストを収集した時に見つけたんです。ただ、普通にサイトにアクセスしても確認できなかったので、どういうことかなと」
「ああ、そういうことね。ということは、皆にバレた訳じゃないのね?」
「ええ、僕しか知りません」
「はあ、良かった」
片手で口を覆うと、大きく息を吐き出した。
「それは、わたしの書いた愚痴記事よ」
「愚痴記事…… ですか?」
「ストレス発散のね。秘密にしておいてよ?」
「もちろん、そうしますが」
だとしても、愚痴の書かれた記事がどこに存在していて、なぜプログラムが収集してしまったのか。
「その記事は、どこにあるんですか?」
「非公開記事っていう設定があるのよ」
「非公開記事?」
いさぎよシティの管理ページはそれなりに確認したが、そのような設定はなかったはずだ。
「そんな項目ありましたっけ?」
「それが、すっごく分かりにくいところにあるのよ。設定欄のかなり奥の方のね。非公開記事を非表示にする設定があったから、絶対バレないと思って書いてたの。管理者用の記事一覧からも非表示にされるから、消すのをすっかり忘れて退職しちゃったわ」
つまり、管理者権限を使ったテキスト収集機能はデフォルトでは非公開記事も対象になっていたということだ。しかし、管理ページからですらその非公開記事にアクセスすることが不可能だったため、存在しない記事からテキストを収集したかのように見えてしまっていたのだ。
「ありがとうございます。すっきりしました。これで、くわ助もちゃんと動いてくれるはずです」
「あらそう? 良かったわ。それと、もしよければわたしの書いた愚痴の記事、削除しておいてくれるかしら? 他の人に見つかると角が立つでしょ?」
「はい、分かりました」
*
存在しない記事の問題を解決し、軽い足取りで観光協会へと帰還した。事務室では、育が沢田の手際の良さについて熱弁していた。
ともかく、そのチェックボックスを外すと、沢田が辞めた3年ほど前を境に不平不満を綴った記事が次々と姿を現した。ブログからテキストを収集するAPIを改めて確認すると、非公開記事を収集対象とするか否かを決めるパラメータが存在しており、そこをFalseにすることで、公開記事からのみ抽出することが出来た。
新たな学習データをもとにくわ助を再学習させる。そして、ローカル環境で何度か動作を確認する。以前は反抗的な回答を返していた質問にも、今度はしっかりと常識的な反応を示していた。くわ助の反抗期はようやく終わったのだ。
*
翌日、賢太は達成感に浸っていた。AI担当大臣という職務を任されてから2週間が経過していた。後から思い返せば、なぜこのような初歩的なミスをやらかしていたのかと後悔するが、問題解決にあたっている最中は本当に気が付かない。プログラム修正とはまるで人生のようだ。
始業時間前の朝礼の時間、会長が事務的に
「連絡事項のある者はいるかね」
と抑揚のない声で言う。その呼びかけに賢太は、威勢よく手を挙げる。会長は軽く目を見開き
「なにかね?」
と機嫌が悪そうに口にした。
「くわ助が治りました」
わずかな沈黙が訪れた後、場はわっと盛り上がった。育は賢太の肩を揺らしながら
「やったじゃん」
と喜びを爆発させた。誠司はしばらく呆けていたようだが、賢太と目が合うとすぐに肩を撫でおろして
「いやぁ、良かった……」
と深い感慨を込めて言った。会長は深く息をついてから
「これで首の皮一枚繋がった」
と呟いた。
特に育は喜びすぎではないかと、むしろ困惑したが悪い気はしなかった。一方、渡会は腕を組んだまま、賢太の方をじっと睨みつけていた。彼女の視線からその意図を読み取ることはできなかった。
ひとしきり、盛り上がったところで育がぼそっと口にした。
「ところで会長、首の皮一枚繋がった。ってどういう意味です?」
賢太もその言葉には引っかかりを感じていた。くわ助プロジェクトの頓挫が観光協会にとってのピンチであることに変わりはないが、首の皮が繋がるか否かというほど切迫した問題とも思えない。
「そういえば、誠司にしか話してなかったか」
会長は神妙な面持ちで意を決したように口を開いた。
「実は、観光協会は危機的状況にある」
沈黙が場を支配した。
「どういうことですか?」
その沈黙を破ったのは呆気にとられた様子の育の言葉だった。
「観光協会の予算は市からの補助金が半分を占めている。残りは駐車場運営で4割、グッズ売り上げとイベント収益を合わせて1割」
観光協会の予算について考えたことがなかったが、営利企業ではないにしろ活動には費用が掛かる。実際、賢太にもしっかりバイト代が支払われており、その財源はどこかから稼ぐ必要がある。
「今年に入ってから、市の方も予算が厳しいということで、観光協会への補助金の減額が提案されていたんだ。ここ数年、観光協会としてもそれらしい成果をあげられてなかったから」
「今、言うのかよ……」
誠司の蚊の鳴くような声は会長には届いていない。
「つまり、我々はなんとか成果を出して、補助金の減額を避けなければならん。すぐに、ダメになるという訳ではないが予算が減るほど成果も出しにくくなるから、負の連鎖に陥ってしまう」
くわ助の修復を祝う雰囲気はあっという間に崩れ去り、気まずい空気があたりを襲う。所在なく視線を動かすと、視界の端で誰かが動くのが見えた。
「あの、話は終わりましたか? もうすぐ始業時間ですので」
渡会は冷然と言い放った。その冷徹さとは裏腹に雰囲気が少し和らいだ。
「そ、そうだ。新しいくわ助見せてよ」
育はそう言うと、賢太の腕を掴んで引っ張る。事務室を出て、お土産コーナーの隅にあるタブレットの前に立った。いつの間にか装飾が施されていた台座はくわ助の祭壇のようだ。
タブレットに、新しく「くわ助ver2.0」を友達登録し、何度か質問を送信した。すると、その全てにまともな回答が返ってきた。使命を果たせたことに、ほっと胸をなで下ろす。
その後は、育が手伝ってほしい仕事があるということで、ファイルの整理や窓口対応の補佐などを行った。当初の目的を達成したため、会長から辞令が下るものだとばかり思っていたが、結局その日は終業時間まで会長に声をかけられることはなかった。しかし、会長から指示されずとも正式にバイトを辞める旨を伝えようと思っていた。居心地の良さは確かに感じているが、元々この時期は社会人デビューを控えた人生最後の長期休暇を予定していたのだ。
*
翌日、朝礼が始まる10分前に観光協会に着いた。会長にバイトを辞することを伝えなければ、と探しているとくわ助の前に立っているのを見つけた。
「会長、すみません、ちょっといいですか」
走り寄ると、会長が怪訝な顔をしながらこちらを向いた。
「おお、ちょうど良かった。これはどういうことかね?」
「どうかしましたか?」
会長がタブレットの画面を指さしたので、そちらに目線を移す。すると、そこには
“潔世から世界征服を始めるくわっ”
というメッセージが踊っていた。
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