第14話 まずは、自分たちの手札を把握するの。

「な、なんですかそれ」


 驚きの表情を浮かべて育が尋ねる。扉の向こうから沢田が現れた瞬間、思わず一歩引いてしまった。


「あ、これ? ごめんごめん。ついうっかり」


 そう言って、VRゴーグルを持ち上げると、しわのある目元があらわになった。明るい表情とは裏腹に目の奥はどこか濁っている。ゴーグルのせいか、前髪は少し湿って乱れていた。


「えーと、それでどういったご用件で?」


 まるで何もなかったかのように、平然としている。このわずかな時間で沢田が変わり者であることを確信した。正直あまり関わりたくないが、そういう訳にもいかない。


「私たち観光協会の職員です。先程電話したのですが、出られなかったので直接伺いました」


「あら、ほんと? 私ったら、集中すると周りの音が聞こえなくなっちゃうから」


「色々とお話しを伺いたいのですが」


 想定外の対面に初めこそ動揺した育だったが、すぐに冷静さを取り戻し、背筋を伸ばして話す。


「まあ、そうなの。どうぞ、あがっていって」


「はい、お邪魔します」


 2人は、沢田の後についていった。高さのある上がり框と姿見が目に入った。線香の匂いが漂い、この家が年配者の住まいであることを強く印象づけた。廊下を少し進んだ先にある和室へ入っていったので、賢太たちもそれに続いた。部屋は暖かな光に包まれていて、初めて訪れた場所なのに居心地の良さを感じた。アニメで見たような丸いちゃぶ台と、小さなテレビが配置されている。そして、部屋の隅には仏壇が静かに佇んでいた。


「それでお話しというのは?」


 沢田は手に持っていたVRゴーグルをちゃぶ台に置くと、にっと笑った。昭和の空気感を存分にたたえた和室とVRゴーグルという最新デバイスの2つは恐ろしく不釣り合いに思えた。


「以前勤務されていた時は企画なんかもやられていたということで、今観光協会が取り組んでいる廃校を活用するプロジェクトについてご意見いただきたくてですね」


 育が資料を取り出しながら、多くの事業者が廃校事業への参加に二の足を踏んでいること、そして、その打開策として観光協会がプロモーションを行う予定であることを伝えた。


「ほお、なるほどね」


 顎に手を当てながら、手元の資料を睨む沢田は老齢さを感じさせないほど生き生きとしており、仕事のできるOLのようですらあった。いつの間にか、瞳の奥にあった仄暗さは消えていた。


「よっと」


 沢田は唐突に立ち上がると、軽快な足取りで部屋から姿を消した。残された賢太たちが困惑していると、沢田はすぐに戻ってきた。手にはノートPCを持っている。


「まずは、自分たちの手札を把握するの」


 沢田はノートPCを開くと手早くモダンなアプリケーションを開いて、こちらに向けた。賢太は一定以上の年齢の人間は皆PCを扱えないという偏見を持っていたので、その様子に驚愕した。タイピングの速度も、賢太と同じか少し速いくらいだ。PCの画面内では、丸角の長方形が中央に鎮座している。


「マインドマップって知ってるかい?」


 いかにも、手芸や生け花を趣味としていそうなその風貌からマインドマップという単語が発せられたことに、賢太は苦笑するしかなかった。


「な、なんですか? それ」


 隣に座る育は、当惑した様子で画面と沢田の顔を交互に見ていた。賢太も、存在こそ知っていたが実際に使ったことはなかった。


「考えを整理するのに使うのさ。例えば」


 沢田はカタカタと高速で何かを打ち込むと、再び画面を2人に見せる。中央の長方形の中に「観光協会」と書かれている。そこから、滑らかな曲線が2本伸びてそれぞれの先端にまた別の長方形が付いている。そこには「シオカラン」「イサギヨライダー」と書かれている。


「最近何やってるのかは知らないけど、あたしがいた頃はこの2枚看板でなんとかしてたものさ」


 シオカランという単語を1日の間にまた聞くことになるとは。数時間前に終えたばかりの育の父親との打ち合わせが遠い昔のように感じる。イサギヨライダーというと、以前会長が熱弁していたご当地ヒーローだ。


「最近くわ助っていうのを作ったんです」


「じゃあ、そいつも追加ね」


 そう言うと、沢田は曲線と長方形をもう1本生成して「クワ助」と入力した。カタカナではなく、ひらがなが公称だと思ったが、育が何も言わないので口は挟まない。


「こいつらを使って何ができるか、どう組み合わせるか。結局できることはそれしかない。もちろん、商店会の面々を巻き込んでもいいが仕事は増えるね」


 沢田の素早い仕事ぶりを見ていて、ふと疑問が頭をよぎった。なぜ、彼女は観光協会を辞めたのだろうか。定年退職だとしても、これほど優秀なら再雇用を勧められていたはずだ。


「あの、すごく手際がいいですが、どうして仕事を辞めたんですか?」


 賢太は、つい口走ってしまい、すぐに後悔した。沢田の眼差しに宿っていた輝きはみるみる内に薄れていき、出会った時と同じような濁った瞳に戻ってしまった。

 

「聴きたいかい? 暗い話だよ?」


 うれいを帯びたその声は、突然に老いてしまったかのようだ。

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