第2章 くわ助暴走事件

第6話 観光協会とご当地ヒーロー

 誰もいないリビングで朝食をとり、虚ろな我が家をあとにした。3階建ての実家は2月の冷気を帯びて青白くくすんでいた。


 両親が個人経営の整骨院を営んでいたこともあって、賢太は物心ついたころから1人でいることが多かった。その影響なのか、結局今に至るまで深い人間関係は構築できないでいる。


 自転車を漕いで、観光協会本部へと向かう。所要時間は20分ほどで、国道沿いをずっと真っすぐ走るだけの退屈な道中だ。


 *


 潔世市の市域は東西に延びており、そのちょうど真ん中を国道が東西に貫いている。そして、国道と並行して木浪川とローカル鉄道の「白糸鉄道」が走っている。

 元々は木浪市と隣の吉良よしら村が合併してできた市でその際、名称についてあれこれ揉めた結果、潔世市というダジャレのような名前となった。なんでも、いさぎ氏という豪族が昔このあたりを治めていたというのが由来らしい。


 人口は4万5000人ほどで、日本の大多数の市町村と同じく人口減少に歯止めがかからないベッドタウンのなりそこないのような街だ。車で1時間ほどで県庁所在地のある都心部に出られるが、それも所詮は地方都市の1つに過ぎない。そこから東京までは新幹線で1時間ほどかかる。


 東京まで合計2時間のくせに田舎を名乗るなという本物の田舎民の意見も一理ある。しかし、逆に言えば中途半端に田舎でないせいで地元愛を育む機会は極めて少ない。豊かな自然も伝統も歴史もないためほとんど虚無に近い。


 そんなわけで、賢太は常日頃からこの街を去ることを夢見ていた。大学進学を機に独り暮らしするという選択肢ももちろんあったわけだが、賢太は本気で勉学に励むため大学へ進学した酔狂な人間であったので、なるべくバイトに時間をかけたくなかった。幸運なことに実家から通える範囲に情報工学部を有する大学があったためそこへ入学した。


 *


 観光協会本部に到着した賢太は、さっそく制服である赤い法被を着せられた。


「下はオフィスカジュアルならなんでもいいからね」


 育の声を聴きながら、与えられたデスクに腰を下ろす。2×3のデスクの内、真ん中手前側の席が賢太に与えられた。左隣には育の席があり、その向かいが誠司の席。賢太から見て右斜め前に渡会が座っており、残りの2つのデスクは空いている。


 賢太は、早速学習データの再確認を開始した。今回利用したデータは潔世市公式HPとローカルブログ「いさぎよシティ」の2つである。

 したがって、これらからテキストを取得する際に、何か不適切な用語が混ざったということになる。くわ助は、与えられた学習データをもとに返信を生成するため、『人類を滅ぼす』などといった内容のページがどこかに存在するのだ。にわかには信じがたい話だが。


 そんなわけで、実はくわ助が反抗的な返信を生成することについてはある程度の目星がついている。しかし、パチンコ事件の方についてはまるで検討がつかない。自然言語AIが実世界に関与できるはずは当然ないし、かといって、パチンコの看板を操作したというメッセージがあのタイミングで偶然生成されたとも考えにくい。


 しかし、悩んでいても何も始まらない。潔世市の公式HPは自治体が運営しているため、不適切な語彙が含まれる可能性は低い。そう考え、賢太はいさぎよシティの記事をあさり始めた。


 *


 昼休みになり、賢太は道中で買ってきたコンビニおにぎりを口に運んでいた。問題の語彙が含まれる記事はいまだ発見に至っていない。しかし、早々に原因が究明されるならエンジニアは苦労しないのだ。


 おにぎりを片手にブログ記事をスクロールしていると、お土産コーナーの方から、がやがやと声が聞こえた。


「結構人来るんだね。ここ」


 隣で持参したお弁当を食べている育に話しかける。


「いや、普段はこんなに人来ないんだけどね。いつも、吉田さんたち。あのお披露目会の時にもいたご老人たちね。あの人たちが井戸端会議してる程度なんだけど」


「へー。案外、効果があるもんだ」


 おにぎりの包装を捨てるついでに、受付の方へ顔を出してお土産コーナーの様子を覗いてみた。すると、数人の来訪者がくわ助の前に固まっていた。会長の指示でくわ助の展示を中止していたが、噂を聞きつけた地元の人がくわ助を触らせてほしい、と会長に懇願したおかげで展示が再開された。その結果、朝から来客が絶えない。


 何を話しているのか聞き耳を立てるために、傍から見れば受付窓口の係員としか思えない位置にまで移動する。


「AIって何かしら」


「ここに文字を打てばいいの?」


「スマホなんて使えんよ」


 どうやら、くわ助の使い方が分からないようだ。ふと、来訪者の1人である白髪で眉尻の下がった老婆と目が合った。


「すみません、これの使い方教えてくださる?」


 恥ずかしそうに、掌を揉みながら懇願される。流石に、無視するわけにもいかずそそくさと彼女たちの元へ合流する。還暦前後の年配の女性3人組だった。


「実は、今少し不具合が発生してまして」


 タブレットには、充電ケーブルが挿されているので充電切れの心配はない。


「ええ、みんな知ってるわよ。反抗期なんでしょう? この子」


 反抗期とは何とも妙な言い回しだが、あながち間違ってはいない。独りでに終わることがないという点を除けばだが。


「あれ、聞いて下さらない? ヒーローショーのやつ。あるでしょ」


「ヒーローショー?」


 予想外の言葉に、思わず聞き返す。


「イサギヨライダーでしょ」


 別の老婆の顔が突然眼前に現れて、思わず飛び退いた。


「ご当地ヒーローがいるのよ。会長がやってたやつ」


「はあ、それを聞けばいいんですね?」


 具体的なことはあまり把握できないまま、言われた通り、イサギヨライダーとやらについて入力してみる。


“イサギヨライダーについてどう思いますか?”


 かなり抽象的な質問になってしまったが、それなりに上手く答えてくれるだろう。そう祈りながら、少しの時間が経過した後


“イサギヨライダーだけは絶対に許せないくわっ! くだらないくわっ!”


 という回答が返ってきた。文法的に問題はないが倫理的に問題がある。


「イサギヨライダーだけは許せない。下らない。だそうです」


 死んだような声音で、くわ助からの返答をそのまま彼女たちに伝えるとなぜか奇妙な盛り上がりを見せた。


「あっはっは。私もそう思ってたのよ」


「本当にね~」


 彼女たちは一体何がしたいのか、真意を掴めないまま困惑していると


「おい」


 という怨嗟えんさの声がすぐ背後から聞こえ、背筋があわ立った。振り向くとそこには鬼のような形相をした会長の姿があった。

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