第5話 AI担当大臣ってなんですか?

 くわ助は本当に反乱したのかもしれない。


 一瞬そんな考えがよぎったが、すぐに否定する。理系の大学生で、ましてやAIを研究していた人間としてそんな素人のような考えは許されない。ネットワークの基礎を理解していれば、AIの反乱など不可能であることは容易に想像がつくはずだ。


「会長、落ち着いてください」


 すると、会長は黙って賢太の目をじっと睨んだ。目つきが鋭いせいでそう見えるだけで、実際は単にこちらを見ただけかもしれない。


「仕組みからして、くわ助が暴走する可能性はありません」


「しかしだね」


「一度、僕にちゃんと調査させてください。これは僕のミスです」


 今度は会長の目をじっと見つめ返す。賢太は自分の技術力に自信があり、それを失ってしまえば自分には何も残らないという自覚もまた持っていた。賢太の強い想いが通じたのか会長は


「うむ、分かった。しかし、原因が分かるまでくわ助プロジェクトは一時中断とする」


 と神妙な面持ちで答えた。それに待ったをかけたのが誠司だ。


「ちょっと待ってくれ。広告パンフレットはまだどうにかなるとしても、アクリルキーホルダーの方はもう発注してるからさ」


 ご当地AIの作成が決まってからわずか1週間ほどでずいぶん仕事が速い。そもそも成果物を納品したのが昨日だというのに。


「しかし、不完全なものを世に出す訳にはいかんだろ」


「でも、一応会話はできるんだろ? 賢太くんに修理してもらいつつ、くわ助プロジェクトも並行して進めないと。予算の関係もあるしさ」


「うむ……」


 会長は顎に手を当てて、考え込む。賢太は、親子が真剣に討論している光景を新鮮に感じた。それは父親と腰を据えて議論をした経験がなかったせいかもしれない。


「やはりだめだ。宣伝もキーホルダーの販売も一時中断する」


 毅然とした態度の会長に対して、誠司はため息をつきながら肩を落とした。失望したように目を閉じるとかすかに首を横にふる。その様子を見て、賢太は振興会議での会長の姿を思い出した。自信と誇りを身体中から発露させる会長は、他者の意見を初めから圧殺するようだった。

 その一方で、賢太から出た意見を素直に賞賛し、実行まで移したのも事実だ。頑固で傲慢な老人という印象に変わりはないが、また異なる一面も併せ持っているような気がしてならない。


「賢太くんにはなるべく、早く原因を究明してもらわなくちゃならん」


 会長はこちらに向き直る。


「はい、頑張ります」


 賢太は意識的に、体に力を入れてから頷く。脳内ではすでに、くわ助のどのあたりから精査していこうかと計画を練り始めていた。


「ところで、賢太くん。最近暇かね?」


 少しおどけたような会長の声で我に返る。言葉の内容を理解するもその意図が分からず、首をかしげる。


「一応、卒論も提出しましたし、もう大学にほとんど用事はないです。ただ4月から東京なので、まあ1カ月くらいは割と暇ですかね?」


 引っ越し準備などあるにはあるが、それほど時間はかからないだろうと高をくくっている。


「どうだね。ここは短期バイトというのは」


「え? バイトですか?」


 これまた全く予想だにしない言葉だ。


「我々観光協会は常に深刻な人手不足に陥っていてね。今もほら、息子と育ちゃん、あとは渡会くん。この3人で事務から企画立案、イベントの設立までやっとるわけだ」


「私は事務専門ですので」


 渡会はPCの画面から顔を上げることなく口を挟む。


「まあ、彼女はあんなだから」


 苦笑しながら頬をかく会長を見ていると、彼も優しい上司のように思えてきた。どうにも性格がつかめない人だ。


「どうだね」


 そう言う会長の瞳は拒否を許さない圧力を賢太に押し付けていた。実際には、賢太がそう感じているだけで、会長はただ期待の眼差しで見つめているだけかもしれない。


 断ろうと思った。今年1年は卒業研究とバイトにかかりきりだった。もちろん、独り暮らしの学生と比較すれば、さほどシフトは入れていなかったが、それでも、賢太にとってはそれなりに疲弊する日々だったのだ。

 卒業論文を提出し終え、バイトも辞め、残り1カ月、人生最後の休暇を謳歌しようと考えていた。第一、観光協会で働くとしても地元に貢献したいという思いがまるでなかった。しかし、賢太は無意識のうちに口走っていた。


「まあ、そういうことなら。はい。やります」


 他人の要求を突っぱねられないほど弱々しい意思は大海を漂う海藻のようだ。外圧に対抗する気力や勇気が著しく欠けている。相手の要望に対して自分の意思を伴って拒否するよりも、受け入れてしまった方が楽だと思ってしまうのだ。


「賢太くんはAI担当大臣だな」


 会長はそそくさと事務室の奥にある棚の方へ移動すると、何かを探し始めた。


「なんですかそれ?」


「親父が勝手に言ってるだけだから気にしなくていいよ」


 誠司は顔の前で手を振りながら苦笑を浮かべている。


「誠司さんがヒーロー担当大臣で、私が若者担当大臣、それから渡会さんがスーパー事務員」


 育が説明する。


「はあ」


 口をぽかんと開けた間抜けな表情で賢太は観光協会職員たちのことを見渡していた。若者はまだ理解できるが、ヒーローとはどういう意味だろうか。渡会に至っては大臣でもない。大臣職は全員が就けるわけではないのか。いくつかの疑問が湧いて出てきたが、すぐにどうでもよくなった。それよりも、わざわざ職員に妙な愛称を付ける会長の茶目っ気の方が気になった。


「これが雇用契約書。サインとあと連絡用アドレスと。印鑑は持ってるかね?」


 会長は上機嫌に、ボールペンと用紙を持って戻ってきた。あと1カ月でこの片田舎ともおさらばできると考えていたのに、なんだか面倒なことになりそうだ。

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