第3話 全ての発端を思い出す。

「それで、賢太くんの作ったAIが暴走し始めたと」


「暴走というか、まあ。不具合というか」


 会長を除く観光協会の職員は事務室に集合していた。今、賢太の目の前にいるのは会長の息子である真壁誠司せいじだ。

 茶髪に尖った鼻でなんとなくチャラついた印象を受ける。会長がおそらく還暦前後のはずなので、この男の年齢は30代から40代くらいだろうか。その割には顔にしわがなく、若々しく見える。真壁家は親子で観光協会に従事しているらしいが詳しい事情は知らない。


 会長はことの真相を確かめるべく、国道沿いのパチンコ屋へと向かった。どうもパチンコ屋の店長と真壁家は知り合いなんだそうだ。会長の名誉のために言っておくと、決して勤務時間中にパチンコを打ちに行ったという訳ではない。


 賢太は会長からの報告があるまで、この場を離れるなという命令を受け、結果こうして事務室であてもなく座っている。どうしてこんなことになったのか、賢太はことの発端を思い出す。


 *


 それは、今から約1週間前、2月上旬のことだった。潔世市観光協会と潔世商店会しょうてんかいが共同で年に2回実施する「潔世市地域振興会議」に、賢太の父親である松田たかしが出席する予定だった。孝は潔世商店街で整骨院を営んでおり、潔世商店会の会員でもあった。


 ところが、会議当日の朝になって突然体調不良に襲われ、会議への出席が叶わなくなってしまった。そこで、孝は息子である賢太を代わりに出席させたのだ。孝曰く


「とりあえず、その場にいてくれるだけでいいから」


 とのことだったので、大学の卒業論文を提出し終え、時間のあった賢太は地域振興会議に参加する運びとなった。


 くだんの会議は、潔世市民会館第一会議室にて行われ、その場には商店会員の他、潔世市観光協会の会長である真壁権十郎の姿もあった。


 潔世市の人口減少を食い止める方法や観光客の増加などといった議題について、話し合いが行われていたが、実質的に権十郎の独壇場となっており、その場にいる誰もが彼の意見に同意する他ないような空気感が醸成されていた。


 権十郎は、観光協会会長とは思えないほど、体がごつく、まるで漁師のような肉体をしていた。その上、白髪交じりのオールバックという髪型なのだから威圧感は相当なものだ。


 会議室の端の方の席でだんまりを決め込んでいた賢太だったが、新たな観光資源という議題について話し合われていた際、唐突に


「賢太くん、確か孝さんのお子さんだろ? 何か若者目線の意見を聞かせてくれないか?」


 と会長から話を振られてしまった。言葉尻こそ優しいが、野太い声と鷹のような目に気圧けおされる。必死に脳をフル回転させ、なんとかひねり出した回答が


「AIとかどうですか? 最近流行ってますし。ご当地AIみたいな」


 というものだった。大学4年生で、再来月には社会人デビューを果たす予定である賢太は卒業研究としてAIに関する研究を行っていた。そのせいで、とっさに出てきた単語がAIだったのだ。


「ほう、AIかね! それは新しい」


 会長の食いつきの良さはその日一番のもので周りの参加者の声もそれに追随するように大きくなっていった。話はあれよあれよと進み、賢太は自分が大学でAIの研究をしていたことをまんまと話してしまうと、気づけば賢太がご当地AIを制作する流れになっていたのだ。


 帰路の途中、賢太は絶望の淵に立たされていた。与えられた納期はわずか1週間。なぜ、そんなに急ぐ必要があるのかまるで理解できなかったが、研究者ならそれくらい出来るだろうと思われていたに違いない。ただでさえ、ITエンジニアの仕事は門外漢もんがいかんから理解されないという話をよく聞く。その上、相手がITリテラシー皆無の老人連中となれば、無理解は加速する。


 ともかく、賢太は自分を奮い立たせ、この困難に立ち向かうことを決心した。所詮しょせん学部生レベルの研究でしかないが、丸1年AIに触れ続けてきたのだ。


 インタフェースにはLINEbotを使うことにした。LINEであれば、老若男女問わず違和感なく使えるはずだし、実装も比較的楽にできるだろうと考えたためだ。チャット形式の自然言語AIなら、研究分野と被る内容も多く知識を活かせるはずだ。


 そして、ご当地AIというくらいだから、潔世市に関するデータが必要になる。しかし、大規模に学習された言語モデルは当然、そんなローカルな知識を有してはいない。そこで、賢太はファインチューニングという手法をとることにした。

 基本的な言葉の使い方は、既存の大規模モデルを利用し、その上で細かな知識を追加学習させるというものだ。ローカルな知識として潔世市役所の公式HPのテキストや、ローカルブログ「いさぎよシティ」のテキストなどを収集して、それを学習させた。


 ちなみに、この「いさぎよシティ」は孝がいくつか記事を掲載する機会があったのもあり、管理者アカウントを有していた。管理者アカウントであれば、ブログ記事の取得が容易になるとのことだったので、アカウントを貸してもらい、効率的にテキスト収集を行った。セキュリティ上はもちろんアウトである。


 細かな仕様などは都度、観光協会の職員と連絡を取り合いながら進めていき、なんとか1週間の期限に間に合わせることに成功した。賢太は達成感を胸いっぱいにたたえながら、成果物を納品するため観光協会本部へと足を運んだ。


 観光協会本部は、直方体に窓がいくつか付いただけの何の面白みもない建物だった。分厚いガラスの押戸を開けると、目の前には受付窓口、右手には事務室と書かれたプレートと扉、そして左手にはお土産コーナーがあった。竣工当時は純白だったであろう壁面は、くすんで黄色みがかっている。


 お土産コーナーには、潔世せんべいという聞いたことのない商品と、イカに似た謎のキャラクターのキーホルダーが陳列されている。丸い天板のついたテーブルとそれを取り囲むようにいくつかの長椅子も置かれており、イートインスペースの様相を放っている。そこでは、3人の老婆が時折こちらに目をやってはこそこそと話している。


「おお、来てくれたかね」


 例のいかつい会長が手のひらをこちらに向けて、白い歯を見せながら受付の奥から出てきた。観光協会の制服なのか、紺色のシャツの上には鮮やかな赤色をした法被を羽織っている。


「こんにちは。LINEbotの形式にしたので、このQRコードから友達登録してもらって……」


 話している途中で、会長からみるみる笑顔が消えていくのが分かった。それを見て、賢太も言葉が止まる。


「よく分からんが。とりあえず、これでみんなに使ってもらおうって話でな」


 会長はそう言うと、タブレットを持ってきた。iPadではなさそうだ。androidの何かの機種だろう。


「このタブレットだけで使うということですか?」


「ああ」


 低い声と共に、タブレットをぶっきらぼうに渡される。せっかくのLINEbotなのに、1台の端末だけで利用するなんて。そう思いながら、タブレットにLINEをインストールして、友達登録しようとするが、LINEのアカウント作成には電話番号が必要なことに気がついた。


「電話番号が必要なんですが」


 賢太が顔を上げようとすると


「おっ、マツケンじゃん」


 という聞き覚えのある声が右手から聞こえた。振り向くとそこには髪を肩のあたりで切り揃えた、少し太い眉が特徴的な女性が立っていた。賢太の幼馴染である睦月むつきいくだ。

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