第2話 くわ助は恐ろしいことをしてくれました。

「と、とりあえず調査しますので、今日のお披露目会はこれにて終了ということで」


 育はぎこちない笑顔を何とか作り、この場をおさめようとしていた。


「はは…… 大変ですね~」


 乾いた笑顔を見せる母親は「さ、帰るわよ」と、嫌がる娘を半ば無理やり引きずる形でその場を去った。残された3人の老婆は、互いに顔を見合わせてからそれぞれ首をかしげた。


「何かあったのかね?」


 背後から野太い声がして、振り向くと観光協会会長である真壁まかべ権十郎ごんじゅうろうが怪訝な表情で立っていた。見たものを黙らせる鋭い目つきだ。


「あっ、会長。それがですね……」


 賢太と育はそれぞれ目をそらして、言い淀む。賢太自身も、この現象をなんと説明すればよいかまるで把握できていなかった。


 会長は2人を睨みながら、タブレットの画面に目を落とす。


「この言葉は何だ? お客さんが打ったのか?」


 LINEのトークルームの見方が分からないのか、会長は首をかしげる。


「いえ、AIが。くわ助の方がそんなことを言いだして」


「そりゃ、どういう……」


 戸惑い混じりの顔が次第に曇っていく。賢太たちに背を向けたと思ったら、またすぐこちらに向き直る。


「AIってのは機械じゃないのかね? どういうことだこれは。そうだ、映画であったじゃないか。AIが反乱を起こして戦争になるんだ」


 会長はその威圧的な外見に似合わず、狼狽していた。唾を飛ばしながらまくし立てているが、早口で細かいところまでは聞き取れない。喉仏が大きく上下しているのが見えた。


「反乱というのはあり得ないと思います…… あくまでチャットbotなので」


 伝わらないだろうなと思いつつ、口にする。取り乱した強面の老人に異を唱えるのは勇気のいる行動だった。


「あり得ないと言ったって。分からんだろ。」


 もちろん、会長が物わかりの良い老人であるとは思っていなかった。そもそも、チャットbotが何なのかを理解していないのだ。


「なんかずっとしゃべってますよ。くわ助」


 育は、言い合いをしている賢太と会長を後目しりめにタブレットの画面を見ながら言った。賢太も画面にちらっと目をやると


“現実世界にも関与できるくわっ”


“今朝、とんでもないことをやってみせたくわっ”


“せいぜい震えているがいいくわっ”


 などというメッセージを独りでに送信していた。なんなんだ、こいつは。利用した言語モデルからして、こんなセリフを生成するはずがないし、追加学習したテキストデータにこんな語彙が混ざっていたとも考えられない。


「これってターミネーターみたいなこと?」


 育が真剣な表情で賢太の顔をじっと見つめてきた。彼女は時々真面目なのかふざけているのか分からないことがある。


「ターミネーターのスカイネットみたいな反乱か、ってこと?」


「そう」


 こっくりと頷く。表情はやはり真剣そのものだ。不安と恐れとほんの少しの興奮が混じったような目をしている。


「でも、くわ助だよ。これ」


 賢太はイラストを指さす。キラキラした瞳はどこか遠いところを見つめている。丸みを帯びた黄色いくちばしはわずかに隙間があり、その空間に細い縦線が数本入っていることに初めて気が付く。くわ助には歯があったのだ。となると、こいつがニッと笑えば並びの良い白い歯が顔をのぞかせるということになる。くわ助の見た目は反乱という単語の対極に位置しているように見える。育も同じことを思ったのか


「それもそうか」


 と納得し、再びタブレットの方に向き直った。


「とにかく、一度調べてみないと」


 このまま困惑し続けても埒が明かない。くわ助の学習データに問題がなかったかを調査する必要がある。早速自宅にあるPCで調査を開始しようと思い、扉の方へ足を向けると、ちょうど誰かが入ってくるところだった。


「いやあ、久しぶりに大勝ちしたよ」


「おお、ヤンボー」


 会長は先ほどまでの狼狽ぶりを忘れたかのように、手を上げ陽気に振る舞う。ヤンボーと呼ばれたその男は中肉中背で、紺色のキャップを被っていた。真冬なのに日焼けしたような浅黒い肌と丸っぽい輪郭の顔に視線が注がれる。


「それより、聞いてくれよゴンさん」


 会長はどうやらゴンさんと呼ばれているらしかった。男の笑顔は朗らかさの中に毒気が少し混ざっている。それにしても、この時間からパチンコとは仕事はしていないのだろうか。定年退職するほどの年齢には見えないが。


「今朝パチンコの看板がさ、パの部分だけ消えててよ」


 がはは、という品のない笑い声に眉をひそめる育の顔が目に入る。


「おっと、すまねえ。レディーがいたか」


 男は顔の前で手を合わせて、謝る仕草を見せる。育は、腕を組んでその男のことを睨んでいた。


「あたしらはレディーじゃないのかね」


 すっかり蚊帳の外だった老婆3人組もこの男の知り合いなのか、会話に混ざる。


 親しくない老人たちの会話は限りなく雑音に近い。彼らの横を通り抜け、分厚いガラス戸に手を掛けた時、育の呼び声が耳に届いた。


「ねえ! ちょっと来て!」


 大きく手招きをしている。急を要する緊迫感のある表情を見るに、また何か問題が生じたようだ。内心うんざりしながら、足早に戻ると、彼女はタブレットの画面を指さした。


「これ!」


 そこには


“パチンコ屋の看板からパだけを消してやったくわっ”


 というくわ助からのメッセージが踊っていた。

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