世界は今日も平和です

 氷真は、自分の耳元で響いた、に、ゆっくりと目を開く。


「殺されると、思ったか」


 氷真の片目だけになった瞳に、ファルアスの顔と、石畳とぶつかり合うナイフが、映った。


「お前の、人間の尊厳うんぬんかんぬんに付き合うつもりは無いんだよ」


 ばれてたんだ。氷真は、心の中で笑った。


 氷真は、自らの存在価値がない世界、戦争のない世界で生きたくはなかった。自分に戦う以外のことはできないことを、よく分かっていた。


 だが、自軍の敗北が迫っていて、それが個人の努力で避けれるようなものでないことは、もう分かっていた。


 自軍が負けたら、自分の居場所はなくなる。


 母国、ユールス共和国が負けることは別にどうでもよかった。でも、自分の居場所戦場は失いたくなかった。だから、せめて戦場で死のうと思っていた。


 そして、自分を殺す相手も、もう決めていた。彼こそ、自分を殺すにふさわしい戦士だと思っていた。


 降り注いできた榴弾の炸裂で、自分の体がズタズタになった時、氷真の心は、体以上に傷を負った。


 この体では、敗戦までにファルアスと殺し合うことはもうできない。ファルアスは、ろくな抵抗もできないこの状態の自分とは戦ってくれない。


 おそらく、助けようとする。


 自殺はしたくなかった。かと言って、誰でもない敵兵に殺されるつもりもなかった。つまらない死に方は嫌だった。


 だから、最後はファルアスに殺してもらおうと思っていた。ファルアスなら、頼めばきっと殺してくれると思っていた。


 だが氷真は見誤っていた。


 自分とファルアスが、殺し合いを通じてどこまで近づいていたのか。


 だから、ファルアスが全て見破る可能性に、思い至れなかった。




「お前の居場所はある。戦争のない世界なんてない。お前が必要とされない世界なんて、存在しないんだ」


 戦争を終わらせる。それは素晴らしいことだ。


 平和な世の中という奴が、もし本当に来たなら、俺は万歳三唱をするだろう。


 だが、そんなことは不可能だ。


 自然界でも動物は殺し合っている。同族で殺し合うことだって少なくない。


 そして、人間もしょせんは動物だ。


「だから生きてくれ」


「‥‥君は、本当に面白いね」


 氷真は、薄く笑った。


 遠くで、万歳と叫ぶ声が聞こえる。


 議事堂に掲げられたユールス共和国の、白いハトがあしらわれた青い国旗が切り落とされ、深紅にタカのあしらわれたアーラスト帝国の国旗が、掲げられる。


 国旗は、夜闇の中ではためいた。





 それから三日後、ほとんど崩壊していたユールス共和国政府はアーラスト帝国に降伏し、すぐに前線戦で戦闘が停止した。


 破壊されたユールス共和国議事堂で調印された降伏条約で、ユールス共和国は半分の領土を失い、政府の組織も根底から作り変えられた。


 国防軍は解体され、武器もほとんどが接収された。


 だが、治安維持等のために最低限の守備兵力は必要なので、1万人ほどの兵士が、警備隊として残されることが決定された。


 警備隊は、その後長きにわたり、アーラスト帝国兵の厳格な監視下のもとで国防に従事することとなる。


 その名簿には、片目を失うほどの重傷を負ってなお、世界屈指の戦闘能力を持つ、氷真の名前もあった。





「で、世界は平和になったかい?」


「なるわけないだろ。今日もあちこちで紛争が起きているし、国内でも13件の殺人事件があった」


 ユールス共和国警備隊、第3連隊駐屯地。兵舎屋上。


 俺はフェンスに寄りかかり、氷真と会話を交わしていた。


 ユールス共和国警備隊の監視任務に就くことは、そこまで難しくなかった。


 かつての敵国で、同胞を殺した敵兵と、おなじ窯の飯を食わねばならない監視兵になりたいと思う兵士は、いくら給料が高くても少なかったからだ。


 そもそも、敗戦の影響でユールス共和国には娯楽もインフラもほとんど無く、いくら給料があっても使う場所が無い。


 国防省の広報官は、どれでも好きな部隊を選んでいいと言い、俺は氷真がいる部隊を選んだ。


 そして今、俺はここにいる。


「全ての人が全ての人を愛する。そんな世界が来たら、世界は平和になるのかな」


 氷真は、穏やかな声でそう聞いてくる。答えは分かり切っているくせに。


「そんなことができるのは、人間じゃないな」


 俺は、そう返答した。そんな聖人君主みたいな人間はいないし、もしいたとしたら、それは詐欺師か狂人だ。


「でも、ボクが愛している人間ぐらい守れるような力は、持っていたいな」


 氷真は、そうこぼす。


 世界は平和にならなくても、自分が守りたい人を守れるだけの力を持っていれば、自分は平和に生きることができる。


 一切の武器が要らない世界平和なんて、人には高望み過ぎるのかもしれない。


「そうか」


 俺は、取り留めもなく溢れる思考に、相槌で終止符を打った。


「じゃあ、始めようか」


 氷真は、俺の反応を待たずして動いた。


 俺は、慌てて身構える。


 気付いたときには、俺は地面に転がっていた。


「反応速度、鈍くなったんじゃないの?」


 氷真は、悪戯っぽい笑みを浮かべてそう言った。


「‥‥油断してた」


 俺は、言い訳にすらならない言い訳をする。


「ボクにも、君くらいは守れるかな?」


 氷真は、俺に聞いてきた。


「さあ。自分より強い人間の戦力は、評価できないな」


「君さ‥‥なかなか頭固いよね?」


 涼しい風が、兵舎の屋上を吹き抜けた。

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兵士は鉛の夢を見る 曇空 鈍縒 @sora2021

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