そして君は死ぬ

 アーラスト帝国陸軍は、ざっと一ヶ月にもわたって砲撃を続けた。


 大量のガス弾と榴弾が町へと撃ち込まれ、突撃してくる敵歩兵は徐々に少なくなっていき、ついに途絶えた。


 結果として、長い歴史を誇ったユールス共和国首都は、もはや役に立たないほど破壊され尽くし、廃墟だけが残る死骸へと変った。


 その日、兵士達はそろそろ突撃命令が下るのではないかと予想していた。敵兵の突撃が途絶えてしばらくすること、いつもより多くの砲弾が撃たれたこと。


 そんな小さな情報を元に、経験を積んだ兵士の無意識領域が叩きだした結論が、兵士の頭に予感という形で浮かび上がってくる。


 そして、その予想は当たった。夜2時頃、兵士達はいきなり安眠から叩き起こされ、ガスの薄黄色い煙に包まれた敵市街地へと突撃するよう命令を受けた。


 兵士達は、慣れた手つきで顔にガスマスクを付けると、塹壕を飛び出す。


 彼らは、銃剣を構え最後の戦いへと突撃した。




 最初、敵からの攻撃は全く無かった。


 俺は、建物に銃口を向けつつ瓦礫の転がる大通りを進んでいく。


 あちこちに、砲撃でズタズタに切り裂かれた敵兵の死体が、転がっている。死体には子供や老人もいて、武器を持っていない者もいた。


 防衛陣地のつもりなのか、積み上げた土嚢に重機関銃が設置してある物もあったが、砲撃を受けて無残に破壊されていた。


 鉄条網も爆風に引きちぎられていて、その役割を全く果たしていない。それよりも、砲撃で崩れた建物のがれきの方が、面倒な障害物となっている。


 敵は全滅したのか?俺を含む大半の兵士は、そう考え始めていた。


 だが、敵兵も全滅した訳では無かったし、抵抗を諦めていたわけでも無かった。


 突如、弾丸が驟雨のように降り注いで、数名の味方歩兵が一瞬で射殺された。


 俺はほとんど反射的に障害物に飛び込んだ。


 隠れ損ねた兵士達が、次々と鉛玉の雨に打たれて切り裂かれていく。歩兵の後ろからゆっくりと進んでいた装甲車が、大量の弾丸を受けて爆発した。


 俺は、瓦礫の陰から少しだけ頭を出して周囲の建物を一つ一つ探っていく。狙撃手ではない。威力と連射速度から考えて、重機関銃だな。


 それも、建物の屋上や塔の上などの高所に設置されている可能性が高い。


 俺は、道の向こうを見た。この大通りの奥には、ユールス共和国の象徴であり、攻撃の最終目標でもある、国会議事堂がある。


 あの施設には、たしか町全体を見下ろせる巨大な塔があったはずだ。


 周囲を漂う毒ガスと、視界の悪いガスマスクのせいでよく見えないが、議事堂には確かに太い塔が建っていた。重機関銃を設置するのに、ちょうどよさそうだ。


 俺は、その塔に目を凝らす。


 塔の頂上に、小さな閃光が見えた。間違いない。重機関銃の発火炎だ。射撃したいが、俺のライフルでは射程が足りない。


「狙撃兵!塔の頂上だ!狙撃してくれ!」


 俺は、そう大声を上げる。


 近くにいた狙撃兵が、物陰から少し身を乗り出すと、スコープ付きのライフルを構えた。


 彼は、銃身を瓦礫の上に置いて安定させると、引き金を引いた。


 発砲音が響き、弾丸の雨が止む。兵士は一斉に前進を開始した。


 次の瞬間、周囲の建物から敵兵が一斉に飛び出してきた。奇襲攻撃か。俺は一切慌てることなくライフルを構える。


 敵軍は、ライフルも不足しているらしく、銃の代わりに、こん棒やスコップを構えている者すらいる。


 もちろん、そういった兵士よりもライフルを持った兵士から排除する。俺は、敵兵の一人に照準を合わせ、引き金に指をかけた。


 発砲は、敵の方が早かった。


 四方八方から飛んできた弾丸が、地面を穿ち、数名の味方兵士を射殺する。


 幸い、俺の方に弾丸が飛んでくることは無かった。俺は、引き金を引いた。


 敵兵は、頭から血を噴いて倒れる。俺は素早く銃のボルトを操作して薬莢を弾き飛ばし、次弾を装填する。


 その間に、突撃してきた敵歩兵は着剣されたライフルの間合いに入っていた。


 俺は、迫ってきた敵兵の心臓に手早く銃剣を突き立て殺すと、強引に引き抜く。


 彼らが、自分の姿じゃなくてよかった。


 俺は、ライフルを背負ってスコップを構え、包丁を持って突撃してきた敵兵の頭をかち割った。


 これは戦争だ。殺さなければ死ぬ。俺は心に芽生えかけた良心と罪悪感を、根を張る前に叩き潰した。


 この程度のことで罪悪感を抱いていては、戦っていけない。


 弾丸が飛び交う中、気付けば白兵戦が始まっていた。


 俺は振り下ろされてきたスコップを自分のスコップので受けると、反撃に、敵兵の肩をスコップで切り裂いた。


 血管と肉を切り裂く感触。敵兵は、肩から鮮血を噴きながら倒れる。


 味方歩兵もかなり損害を受けていたが、装備も人数も足りていない敵は徐々に徐々に圧されていて、我が軍は、徐々に徐々に前進している。


 数日中に、この町は陥落するだろう。


 案の定、朝日が昇ってそれが沈むころには、アーラスト帝国陸軍は高い壁に囲まれた国会議事堂を包囲して、中の敵兵と銃撃戦を繰り広げていた。


 議事堂の城壁は、集中砲撃によってあちこち崩れていたが、敵歩兵は上手く部隊を回してカバーしている。


 俺は、頭上を弾丸が通り抜ける中、夕食の乾パンを食べ終えた。


 空き缶を地面に投げ捨て、半壊した建物の陰に隠れたままライフルを構える。


 短機関銃手が、敵へと弾幕を張る。俺は、弾倉内の弾丸をろくに狙いも定めずに撃ち切って、クリップでまとめられた5発の弾丸を弾倉へと押し込んだ。


 歩兵に支給されているライフルの装弾数は、たった5発。


 こういった激しい銃撃戦をすると、すぐに撃ち尽くしてしまう。俺は、弾倉が一杯になったことを確認して初弾を薬室へと送り込むと、再び敵へと射撃を再開した。


 日はすでに落ち、敵の姿はシルエットと化していく。


 砲弾はひっきりなしに議事堂へと叩き込まれていたが、敵の抵抗は衰えるところを見せなかった。


 味方歩兵が突撃するも、すぐに射殺されていく。


 戦局は動かないと思われたが、敵の抵抗にはすぐに終わりが訪れた。


 物陰に隠れていた味方火炎放射兵が、敵の射撃へと身をさらけ出すと同時に、敵歩兵へと業火をぶつけたのだ。


 火炎放射兵は即座に撃たれ、周囲の味方兵士を巻き込んで爆死したが、代わりに、敵歩兵多数を炎に包み、血路を開くことに成功した。


 弾幕が止まる。


「突撃!」


 臨機応変な指揮官が、即座に号令をかけた。


 深夜。アーラスト帝国陸軍は、ついに敵の最後の抵抗拠点へと踏み込んだ。


 俺は、彼らに続くべく瓦礫の影から飛び出そうとして、襟首を掴まれた。そのまま物陰に引きずり込まれて、放り投げられる。


 俺は、慌てて受け身を取り、地面に叩き付けられることを回避した。


「受け身が上手くなったね。久しぶり」


 そこには、愉快そうに笑う氷真が立っていた。


 だが、様子がおかしい。血の浸み込んだ戦闘服はボロボロで、ヘルメットも被っておらず、手に持ったライフルは、銃床にひびが入り銃身が凹んでいる。


 あれでは撃てまい。


 何より、ワインレッドの瞳の片方には、乱雑に包帯が巻かれていた。素人でも分かる。ひどい怪我だ。もしかしたら命に関わるかもしれないほどの。


「いや。榴弾の炸裂をすぐ近くで受けちゃってね。我ながらうかつだったよ。幸い、命こそ助かったけどね」


 氷真は、もう使えなくなったライフルを丁寧に地面に置くと、地面に引きずっていたスコップを構えた。


「さあ、最後の殺し合いを‥‥始め‥よう」


 氷真の体から力が抜ける。その手から、スコップが離れた。


「氷真!」


 俺は、あわてて氷真に駆け寄って、彼女の体が地面に叩き付けられることを防ぐ。


 氷真を支える俺の両腕に、生暖かい血が染み込んでいく。酷い出血だ。


 榴弾の破片を至近距離で受けたら、普通の人は即死する。氷真は怪我の具合から見て、ほぼ直撃に近い位置に砲弾が着弾したのだろう。


 内臓を叩き潰すほどの爆風と、体を切り裂く破片を受けて、氷真のように動ける人など、ほとんどいない。いや、世界中探しても彼女だけだ。


 俺は、氷真の体を地面に横たえた。


「軍医に、処置はしてもらったんだけどな」


 氷真は、自嘲するような笑いを浮かべて、そう言った。


「安静にしているべきだろう!」


「そんな余裕、あるように見えるかい?敗戦寸前の軍隊だよ」


 俺は、氷真の僅かな皮肉を無視する。どうすればいい?俺は衛生兵じゃない。鎮痛剤も、縫い針も、包帯も、何も持っていない。


 つまり、何もできない。俺の心に、泡のような絶望が浮かぶ。


「ねえ、最後に頼みがあるんだけど」


 氷真は、息も絶え絶えになりながら俺に言った。


「何だ?」


「殺してくれないかな?」


 俺は、氷真の言ったことが理解できなかった。ワインレッドの鮮血が、石畳に染み込んでいく。


「どういうことだ?」


「君以外の誰かに殺されるなら、せめて、君くらい強い人に殺されたいんだ」


「俺は弱い。お前を殺す資格なんてない」


 俺は全力で考えを巡らせるが、氷真の命をのばす策など、全く思いつかない。


 歩兵たちが指示を飛ばし合う声が、破壊された街並みに反響する。一人の兵士を助ける余裕がある者など、一人もいない。


 どうすればいい?


「君は強いよ。ボク相手に動けるどころか、ボクの命に誰よりも迫ってきた」


「だが」


「ボクは、君に殺されたいんだ」


 氷真の澄んだ声に、ようやく悟った。俺にできることは一つだ。


 俺は、腰に吊ったナイフを抜いた。


 塹壕で戦うための肉厚のナイフは、人の心臓でも簡単に貫ける。


「ありがとう」


 氷真は、ゆっくりと目を閉じる。


 俺はナイフを振り上げ、氷真へと振り下ろした。

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