追い込まれた人間は何でもする
ユールス共和国首都にて。
戦力の大半を失ったユールス共和国軍は、目前に迫ったアーラスト帝国軍に最後まで抵抗するべく、子供から老人まで徴兵して町の要塞化を進めていた。
町のあちこちに、野砲や重機関銃が設置され、幅の広い通りには鉄条網や土嚢で何重にも陣地が築かれている。
その間を、戦闘服というよりは作業服に近いカーキの服を着た老人や子供が、重い土嚢を背負って行き来する。
彼らには、ろくな武器すら支給されていない。
道に並ぶ石造りの建物も、連日の砲撃でほとんどが破壊され、無傷の物は一つも無くなってしまった。
立派だった教会の鐘楼には狙撃兵が配備され、公園には地雷が埋められた。
世界有数の大都市だったこの町に、かつての栄華は見る影もない。
そんな破壊され、寂れた首都の中に、特に防御を固められている施設があった。
多くの熟練兵に守られたその施設は、ユールス共和国の国会議事堂。現在は、この町を守る国防軍部隊の司令部だ
元々は、帝政時代に皇帝の権力をもって作られた豪華絢爛な宮殿だった建物は、皇帝が打倒された後も、政治の中心として国家の象徴的役割を担っている。
氷真は、議事堂の周りをライフルを背負って巡回警備しながら、大きく伸びをした。
この国も、もう終わりだね。
そんな言葉も、口に出すことは無い。もし口に出して誰かに聞かれたら、自分の首がその日に飛ぶことは分かっている。
氷真は決して口が良くない。まあ実力に合った言動をしているにすぎないのだが、それが気に食わない人間は多く、軍のあちこちでやっかみを買っている。
格闘訓練でも射撃訓練でも、果ては集合離散でも、兵士として天賦の才がある氷真に勝つことは不可能だというのに。
余計なことを言っても、誰も庇ってはくれない。むしろ、嬉々としてあらを付いてくるだろう。
氷真は、軍内で孤立している。昔は格闘に付き合ってくれる相手がいないことを気にしていたが、今は、そんな事などどうでもいいと思えるほど重要なことができた。
またファルアス君と戦いたいな。氷真は、自分の首筋に残る小さな傷をなでる。
自分にあそこまで食らい付いてくる相手に、初めて会った。
ほとんどの人間は、氷真の圧で動けなくなるか、一階の敗北で戦意を完全に喪失するのに、彼の目は何度負かしても闘志に燃え続けている。
面白いと思うと同時に、興味が湧いてきた。だから、戦場でも彼の姿を探し、挑み続けた。
そして、つい数ヶ月前には、とうとう自分の首にナイフを掠らせた。
次の戦いで、この国は滅びる。議事堂の国会議員たちは皆逃げてしまって、政府機能はほとんど停止しているから、もう滅んだと言ってもいい。
もはや、降伏するという判断を下す事すら、できないような状態だ。
首都が落とされたら、僅かに残っている機能も瓦解する。各地で抵抗する部隊も、首都が陥落すれば、士気が大きく低下して降伏する可能性が高い。
首都が落とされるのは時間の問題だ。
氷真にとって、それはどうでもいいことだった。その戦いの末に命果てても、構わなかった。
なぜなら、その戦いでファルアスと殺し合えるという、根拠のない確信を持っていたからだ。
最後にそれさえできれば、氷真に心残りは無かった。
だが、その結果に対して、自分が何をするのか、何を得るのか、何を求めているのか。皆目見当もつかなかった。
氷真は、薄く微笑んだ。
「待ってるよ」
小さく呟いた声が、ユールス共和国首都を包囲するアーラスト帝国軍部隊の末端に、届くことは無かった。
俺は、ユールス共和国首都を包囲する陣地の中で、休息をとっていた。
後方の砲兵陣地は、前線の歩兵が観測した情報をもとにして、定期的に首都内に砲弾を落とすだけでいいが、俺ら歩兵はそうもいかない。
なんとか包囲を突破しようとする敵兵、包囲陣に穴を開けて、補給路を確保しようとする敵兵、全て嫌になって逃げ出そうとする敵兵。
動機は色々だが、やることは、包囲を固めるアーラスト帝国軍陣地へと決死の突撃することで、どれも変わらない。
俺は毎日のように、突撃してくる敵歩兵と戦闘を繰り広げている。こうして休憩する時間など、ほとんど無い。
退路がない敵兵は、本当に一歩も引かないので困る。
状況は、ひたすら突撃してくる敵兵に恐怖を覚え精神に異常をきたして後送されていく兵士が、ぽつぽつと表れ始めるほどだ。
まあ、彼らが元気よく突撃してくる間は、こちらから攻めることは無い。
敵の立て籠もる都市に保管されている食料が全てなくなり、中の兵士が飢えで弱体化し始めるまで待つ。
すでに戦局は完全にこちらに傾いている。時間をかければかけるほど、こちらが有利になっていくような状況だ。
参謀本部も、予算と民意が許す限り、たっぷりと時間をかけるつもりだろう。
とりあえず、連日連夜砲撃をして敵の神経を削ぎつつ、可能な限り装備と兵員を減らすことが、今できる唯一のことだ。
俺は、固いビスケットをかじりつつ、終戦後の世界に思いをはせていた。
数年前だったら夢物語と一蹴されていただろうが、もう終戦は目の前にある。周囲の兵士達の話題も、昔に比べればずいぶんと明るくなった。
終戦したら、何をしようか。そのまま軍に残るのもありかもな。衣食住も付くし、給料もそれなりに高いし。
俺は、固いビスケットで短い休息を終えると、ライフルを構えて、敵首都を監視し続ける任務へと戻った。
砲弾が頭上を通過し、市街地にガスの薄黄色い煙が上がった。
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