第38話「冥界の取引」



「……能天気な男ね、あんたって。器の大きさは認めてあげるわ」


 褒め言葉にしては刺々しい声音で、トスカはじとりと俺を睨む。


「心配してたんだぞ。なんでひとりで戦ってんだよ」

「ええそうね、あたしだってやりたかないわよこんな無謀なこと。どっかの性悪陰謀野郎に仕組まれて仕方なくやってんの。あんたのことよプロスペロー

「言っとくけど、仕組んだのは俺じゃないからな」


 その性悪陰謀野郎が本物のプロスペローであることは疑いようもない。何をどうやったのかは知らないが、プロスペローはルスティカーナを助けるためにトスカを利用したのだ。


 俺は周囲を確かめる。鎧に身を包み、槍を手にした兵士たち。真白い亡霊に取り囲まれている。


「こいつらが冥界の番人、ってやつか? え、ひとりも倒せてないの? そんなにボロボロになってるのに?」

「あんた殴られたいわけ? それとも性根が腐り果ててんの?」


 ブチギレた美少女が笑顔で近づいてくることほど怖いものはない。


「悪い! 悪かった! 安心したから冗談を言ってみただけ!」

「冥界の兵は囚われた魂なのよ。現世でどんだけぶちのめしたって何度でも蘇るに決まってるじゃない。それから、番人はあっち」


 トスカが指差したのは無数の兵士による囲いの向こうに鎮座する巨大な馬車だった。いくつもの髑髏や無数の骨を組み合わせた禍々しい装飾は死を象徴するのに分かりやすいが……。


「……ちょっと反応に困るな……俺も中学生くらいのころはああいうのが好きだったんだけど……」


 その馬車から、重々しげな響きとともに声が聞こえる。


「––––よもここに行合ふべしとは。汝が我謀り、鍵盗み取りし日を忘るることはあらず。喜ばし。今ここにその魂を業火に焼かむ」

「……あ、もしかしてめちゃめちゃ恨まれてんな?」

「当たり前でしょ。冥界の番人をおちょくったやつなんてあんたくらいよ。っていうか、あんた、本当に本物のプロスペローよね? ただの魔法使いとか言わないわよね? あんたがどうにかしてくれなきゃ、あたしたち、死ぬことになるんだけど」

「俺は初心者マークついてるくらいのど素人だけど」

「––––終わった。さよならあたしの人生」


 トスカは天を仰ぐ。意外と余裕あるんじゃないか?


「安心しろって。


 馬車から笛の音が響いた。微動だにしなかった兵士たちが突然に動き出し、全方位から俺たちを埋め尽くすように殺到する。


 あまりに恐ろしい光景。手足も震えて絶望しかない状況。泣き叫んで神に祈るしかないはずだが––––俺は不思議と、陽だまりの中にいるかのように安らかだ。

 身体の中に力を感じる。異常な状態。ありえないはずなのに、どうしてかしっくりきている。自分の本当の在り方はこれだったのだとすら思えるほどの、完璧な充足感。


「任せていいんだろ?」


 俺が喋る。


「容易いことだ」


 口が勝手に動き、もうひとりの俺が言う。


 糸で操られているかのように身体が自然と動く。腕が上がる。体内を熱く巡る感覚。それこそが魔力なのだとわかる。あまりに自然に、あまりに疾く、あくまでも優雅に。


 風は吹く。


 それは雪を冠する山から、麓の村へ吹き抜ける春の風のように優しかった。

 風に撫でられた死霊の兵士たちが雪崩のように消えていく。戦いの魔法には見えない穏やかな風は、冥府の亡霊を安らかに還していく。


「……うっそ。どういう理屈?」


 唖然としてトスカが呟いた。


「冥界であればたしかに不死身だろうが、ここは現世だ。死霊の兵を呼び出すために世界を跨ぐ糸が伸びている。それを断つだけで話は済む」

「はあ? その糸をどうやって確かめるわけ? 魔力が見えるなんて言い出さないでしょうね」

「あの魔王の娘だ、きみならそれくらいはできるだろうと思ってこの場を任せたんだがな。私の見積りが甘かったせいで苦労をかけた」

「あ、無理。もうブチ切れそう。魔族の爺さまたちがプロスペローのことを死ぬほど嫌ってる理由が一発で分かったわ。ここで殺す」

「君には無理だろう。そもそもの位階が低すぎる」

「はあああァァ!? こっちは第六階位ですけどぉっ!?」


 トスカの瞳が妖しげな光を宿す。丸かったはずの瞳孔が縦に割れている。


「おい! なに挑発してんだよ!? トスカは仲間だろうが!」思わず俺が叫ぶ。

「挑発? ただ会話をしているだけだが」同じ声が返事をする。

「素でコミュ障のタイプ!? いいから謝れって! 俺まで一緒に狙われんだぞ!?」

「恐れるほどの脅威でもないが……」

「お前が良くても俺は良くないんだよ!」

「む、そうか。では謝っておこう。真実とはいえ遠慮がなさすぎたようだ。許せ」

「謝り方ァ!!」


 ほとんど煽りじゃねえか!

 今度こそトスカがブチギレてしまう––––意識を戻せば、トスカは不機嫌そうに腕を組んで俺を見ていた。


「……付き合いきれないわ、そういう漫才。なに、どういう状況? 二重人格?」

「魂の共存というところだ。私の魂が入れば元の魂を消してしまうからな、正確には魂を包むような形で一時的な制御権を得ている、というところだが」

「魔法使いの考えることもやることもよく分からないわよ」

「いま俺の魂が消えるって言いませんでした? もしもし?」


 聞き逃せない言葉が通り過ぎた気がしたのだが、俺の質問には取り合ってもらえなかった。馬車から地を揺らすような唸り声が響いたからだ。

 ふと気づくと、馬車の周囲にあれほど密集していた白霧の亡霊兵たちはすべて消え去っていた。馬車だけがぽつんとそこに取り残されていて、そこから巨人が歯を食い縛るかのような恐ろしい軋み音まで聞こえてくる。


「プロォスゥペェロォォォ……!」


 人の名前を呼ぶだけのことに、これほどの恨めしさを込められるのかと驚かされる。


「貴様はどれほど邪魔をすれば気が済むのか! 鍵を盗み、好き勝手に扉を通り、死者の魂を弄びおって! どれだけの仕事が増えたと思っておる! 何枚の始末書を書いたと! おかげで私の出世はまた遠のいたぞ!」


 あれ、と俺は首を傾げた。先ほどまでは古めかしくてなに言ってるのか分からない程だったというのに、急に現代的な話し方になっている。


「すまないとは思っているよ。どうだろう、提案があるんだが」とあっけらかんとしたプロスペローの声。

「どうせまた都合よく騙すつもりだろう、聞きたくもない!」

「これは君にとって得のある話だ。無理にとは言わないが、損をするのは君だぞ」

「……言ってみろ。くだらなければ捻り潰してくれる」

「君は知恵も力も兼ね備えた存在だ。冥府の番人で収まる器でないし、君もそれは自覚しているな」

「う、む……ま、まあ、な」

「だが冥府の魂は不死。一度埋まった役職は易々とは開かない。君の望む出世のためには、椅子にしがみつく者らを押し除ける功績が必要だ。たとえば、冥界で好き勝手に振る舞っている超越者たちを葬る、とか」

「できるものならとっくにやっておる! あやつらはもはや半神ぞ!」

「そうだ。よほどの力を持ったものでなければ、成し遂げられぬ行いだろう。それを私が手伝ってやる、と言っている」

「––––なに?」

「私の実力はよく知っているだろう。冥府の超越者を相手にしても不足あるまい」

「……貴様、正気で言っているのか?」

「君が安心できるなら冥府の誓紙に署名しよう」


 ぐう、と馬車から唸り声が聞こえてくる。話の内容は理解しきれないが、プロスペローの提案に冥府の番人が惹かれているのははっきりとわかる。それはさながら、和解を持ちかける弁護士か、あるいは上手い投資話に引き摺り込む詐欺師かのようだ。


「……望みはなんだ?」

「なに、少しばかり目を閉じていてほしいだけだ。その間に魂がいくつか越境するかもしれないが、たいした問題ではないだろう? どれも帳面にはまだ記載されていない」

「死者の魂を求めるか。悪辣な魔法使いらしい望みだ。魂を使ってなにを––––いや、良い、聞きたくない」


 そこで少し、静寂があった。プロスペローが優勢のようにも見えるが、相手は冥界の番人だ。その気になればどんなことをしてくるか分かったものじゃない。


 なにより、番人の声音はプロスペローへの恨みや怒りを帯びはしても、恐れてはいなかった。逃げることもしない。尋常な存在ではないプロスペローを相手にしても引くところはない。冥府の番人もまた、超常的な存在に違いないのだ。

 俺は思わず唾を飲む。横に立つトスカもまた、身を怖ばめているのが分かった。


「––––良かろう。貴様と契約しよう。だがもし謀れば、許さぬ」

「分かっている。契約の詳細はまた詰めよう。実はすこし急いでいてね。人間の遺体は時間とともに劣化するんだ」

「分からんな。そこまでの力を得た者が、どうしてたかが人間の魂や肉体にこだわるのか」

「それが分からないから、君は冥府の住人なんだ」

「––––ふん。まあよい。約束、違えぬように」

「ああ。すぐにまた会えるだろう」


 その途端、霧が風に吹き流されるかのように、馬車は姿を崩して消えた。すべてが幻想であったかのように静かな夜が戻ってきた。


「エアリアル、もういい」

「––––はい」


 俺たちの背後からの返事。振り返ると、そこにエアリアルが浮かんでいる。その後ろには横たわったまま中に浮かんでいるルスティカーナと、寄り添うように立つ半透明のグラウがいる。


 俺が……プロスペローが戦い、交渉する間、エアリアルたちは魔法によって存在を隠していたのだ。

 冥界の番人が気づいていたのかは分からないが、トスカの目を欺くのは難なかったらしい。彼女は目をまん丸にして口をぽかんと開け、寝起きに幽霊の姿を目撃したみたいに呆然としている。

 次の瞬間、その目尻から大きな雫がぽたりと流れ落ちたのだった。

 






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