第36話「ふたりのプロスペロー」


「さすが私だ。仕事をやり遂げたようだな。期待以上に」

「俺にしちゃまわりくどい言い方だな。予想してたろ、これくらい」


 プロスペローは肩をすくめた。その通りだったのだろう。

 広々とした美しい草丘だった場所は、すでに小さな公園ほどにまで狭まっていた。稲光の絡まる暗雲が渦を巻いて狭まっている。


 あの渦に呑み込まれればすべてがおしまいだというのに、プロスペローは焦りもせず、優雅にくつろいでいたらしい。寝転がっていた状態から立ち上がり、ローブについた草をはらう。

 エアリアルがふわりと俺の頭に着地すると、髪の毛をぐいぐい引っ張る。


「仕事が遅すぎです。待たせないでください」

「いてて、心配してくれてありがとな」

「心配などしていません」

「素直じゃない妖精だな」とプロスペローが笑う。

「まったくだ」と俺も笑い返す。

「二人まとめてぶん殴ってやりたいです」とエアリアルが俺の耳を蹴る。

「まあ……プロスペローさまがおふたり……?」


 俺とプロスペローの顔を交互に見やって、ルスティカーナがきょとんとつぶやいた。

 プロスペローが笑みをささやかに、ルスティカーナと向かい合う。


「また会えて嬉しいよ、ルスティカーナ––––同じ顔が並んでいてさぞ不思議だろうが、話すと長くなる。双子のようなものだと思ってほしい」

「その声……キャリバンさま?」


 ルスティカーナがはっと目を丸くした。

 宮廷魔法使いキャリバンとして潜り込んでいたプロスペローは念入りに顔を隠していたらしい。素顔を見るのは初めてなのだろう。


「その通り。そちらもお久しぶりだな––––カヴァレリア嬢」

「えっ」


 とルスティカーナが反射的に振り返る。プロスペローが見るのは俺の背後だ。俺は握った左手を意識する。そこには確かに細腕の感触がある。


 あれは夢か幻か。積み上げた石が崩れ去ってしまうのではないかと、確かめることが恐ろしく思えて、目を向けていなかった。だが、今ならもう大丈夫だ。

 俺はゆっくりと振り返る。


「……どうなってんだい、これ?」


 すらりとした長身に黒いドレス、長い赤髪。成熟した美貌を今ばかりは幼子のように戸惑わせて、カヴァレリアが––––俺にとってはグラウと呼ぶ方が馴染み深い恩人が、そこに立っていた。


「お姉、さま……?」

「……懐かしい顔だね、ルスティ。あんたは昔と何ひとつ変わっちゃいない。あたしはすっかり歳を拾ったよ」

「いいえ! いいえ! お美しいお姉さまのままです! それどころかますます魅力が増していらっしゃいます! これは夢かしら、お姉さまとまたお会いできるなんて!」


 きゃっ、と黄色い声をあげてルスティがグラウに駆け寄る。うろちょろと周りを駆け、全方位からグラウを確かめている。


「……ここは冥府じゃないのかい? やけに賑やかだし、見知った顔ばっかりだ。説明しとくれよ、プロスペロー。ああ、もう、ルスティ、少しは落ち着きな!」

「ふむ、やぶさかではないのだが、時間がなくてね」

「あんたはキャリバンだろ? あたしはそっちのプロスペローに訊いてるんだよ」

「……」

「策を弄して偽名など名乗るからややこしくなるんです」


 エアリアルの冷静なツッコミに、俺はつい吹き出してしまった。


「冥府で顔を合わせるってことは、あんた、まさか死んだのかい?」

「いや、どっちかと言うと生き返ってるんだよ、そっちが」

「生き返るったって」とグラウは自分の半透明の手を眺める。「身体がなきゃ一緒だろう?」


 それはそうだ。ルスティカーナもグラウも、死人には違いがない。魂だけの存在だからここまで引っ張ってこれたのだ。だがそのまま現世に戻ったとしても、また半透明の幽霊として過ごすことになる。

 俺が助けを求めて目を向けると、プロスペローはやれやれと首を振った。


「ルスティカーナ嬢の遺体はここにある」


 指を振ると、七色の光が形造り、眠るように横たわるルスティカーナの身体が現れた。


「カヴァレリア嬢の遺体はどうなっている?」

「ルスティカーナの墓の隣に埋葬したんだけど」

「いつのことだ?」

「ついさっき」

「だったら間に合うだろう。掘り返して肉体を修復し、魂を再結合しよう」

「……そんなことできんの?」

「これでも魔法使いだからな。禁忌とされる死霊魔法の類だが、問題はない。私の得意分野だ」

「問題だらけにしか思えませんが」


 エアリアルの冷静なツッコミを無視して、プロスペローはルスティカーナに顔を向けた。


「話したいことも、話すべきことも数あれど、時間はそれを許さない。疑問は多かろうが、いまは私を……そして、そこにいるプロスペローを信じてくれないか?」


 真剣な声音だった。

 ルスティカーナは聡明な子だ。状況も把握できていないだろうし、すぐにでも俺たちに問い詰めたいこともあるだろう。けれど時間がないという切羽詰まった問題を理解して、頷いた。


「私はどうすればよいでしょう?」

「その肉体に重なるように横たわってくれればいい。しばらく眠りにつくが、次に目が覚めれば肉体を取り戻している」


 ルスティカーナは頷き、横たわる自分の身体の前に立った。ふと振り返る。


「キャリバンさま、あなたはいつも私に良くしてくださいましたね。あの庭園での日々だけでなく、こうして……おそらくは、幾度となく私の命を助けようとしてくれたのでしょう?」

「…………」

「私に、なにかお礼ができますか?」


 プロスペローが悩んだのは一瞬だったろう。けれど、その一瞬にはどれほどの時間が詰まっていたのか、俺たちにはわからない。この世界の狭間で、彼はどれほど待っていたのか。ルスティカーナを助けられる日を。こうして向かい合い、言葉を交わせる日を。


 もはや俺たちを囲う嵐はすぐそこまで狭まっている。どれほどの時間を犠牲にしたかも知れない男が手に入れた時間は、ほんの数分でしかなかった。

 ルスティカーナだけではない。プロスペローもまた、話したい言葉を抱えていた。そのすべてを飲み込んで、彼はただ柔らかに微笑む。


「––––何も。何もないよ、ルスティカーナ。ただ、健やかに生きてくれれば、それこそが私の喜びだ」

「……あなたの望むように、正しくは生きられないかもしれません」

「どんな生き方でも構わない。もし悪役を志すなら、私の悪名を超えられるか試してみるといい」

「それは、挑みがいのある目標ですね」


 ふたりは視線を合わせる。笑い合う。


「では、ごきげんよう」

「ああ。ありがとう」


 ルスティカーナは恭しくスカートを引いて淑女の礼をすると、その場にふわりと膝をつき、横たわった自らの身体に重なった。

 プロスペローが指を鳴らす。七色の光がルスティカーナの身体を包み込む。


「……これでいい。さあ、次はカヴァレリア嬢の身体だ。現世に戻るぞ」

「やれやれ、どうなってるのかさっぱりだよ」


 ぼやくグラウに、俺は笑いかける。


「簡単な話だって。墓に戻って、掘り返すんだよ」

「なに、ちょうど冥府の番兵たちと魔王の息女がやり合っているところだろう。助けに入るのにも都合がいい」

「は? 番兵?」

「冥府を行き来するのに邪魔になるからな。この時のために手紙を託しておいた。彼女がいなければこうは容易くいかなかっただろう」

「……トスカが冥府の番兵とかいうやつと戦ってるってことか!?」

「そうだ」

「早く助けに行かねえとやばいだろそれ!」

「まあ待て。冥府の番兵は容易い相手ではない。お前が行っても殺されるだけだろう」

「じゃあどうするってんだよ!」

「その肉体を私によこせ」


 プロスペローは俺をまっすぐに見る。俺は答える。


「よし、分かった」

「軽っ! あんた軽すぎだろ!?」


 グラウが声を上げる。


「……理解に苦しみますが、こういう人間なのです」


 呆れたようにエアリアルがため息をついた。

 非常識の阿呆を見るような目を向けられても、俺としては不本意である。


「なんでだよ、いい案だろ? 俺じゃ勝てないのは目に見えてんだから、プロスペローにやってもらう方がいい。現世に戻るのに肉体がいるなら、俺の身体を渡すのが当然だろ」

「自己犠牲の過ぎた合理性は他者からすれば異常に見えるものだ」

「俺の顔でかっこつけて小難しいこと言うなよ。背筋がそわそわする」

「罵るところが違います」とエアリアルが俺の耳を引っ張る。「あの性悪魔法使いに肉体を渡すなど正気ですか? 乗っ取られたらどうするのです?」

「当然の忠告だが、安心するといい。あくまでも一時的なことだ。その肉体はすでにお前の魂と混ざり合っている。今さら乗っ取ることも出来まいよ」

「それをどう信用しろと?」

「信じてくれ、としか言いようがないな」

「魔法使いの言葉ほど信じられぬものはないと言いますが」

「エアリアル、大丈夫だって」


 俺が口を挟むと、じろりと睨まれた。なんで俺が睨まれるんだよ……。


「あなたは何を根拠に人を信じるのです」

「根拠とか知らねえけどさ。誰かのために必死こいて努力したやつが、こんなとこでそんなしょうもない嘘をつく必要はないだろ」

「理解できません。頭が割れそうに痛みます」

「ほら、時間もないぞ」


 もはや手を伸ばせば届く距離まで近づきつつある嵐の壁を指差す。


「もし本当に乗っ取られたら、俺の代わりに罵っておいてくれよ」

「……それがあなたなのでしょうね。もし何かあったときは、私が助けてあげます。感謝してください」

「さんきゅ、相棒」


 俺はプロスペローに向き直る。腕を組み、ニヤついた顔で俺たちを見ている。


「なんだよ」

「かつて妖精とそこまで信頼を深めた人間はいないだろうな」

「あほ言ってないで早くしろっての。あと、ちゃんとトスカを助けろよな」


 プロスペローは笑って俺に近づく。


「任せろ。こう見えても、悪いことをするのは得意でね」


 身体が重なった。

 


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