第33話「二つの扉、一つの道」
その声からして男なのは間違いなく、俺よりもいくらか年上のように思える。これが宮廷魔法使いか、と観察しながら、俺は身構えた。逃げるか、戦うか。
真実はまだ分からないままだ。目の前にいるキャリバンこそが犯人かもしれないし、企みに加担している可能性もある。
なにより相手は宮廷魔法使いだ。宮廷魔法使いなんて胡散臭い肩書きのやつが善良だった試しがない。
「キャリバンさま、ごきげんよう」
内心で焦る俺と対照的に、ルスティカーナは悠然と立ち上がり、スカートをつまんで一礼した。
「こちらはプロスペローさまです。わたしの友人です」
「プロスペロー?」
キャリバンは訝しげな声音で繰り返した。
「奇遇なことですが、あの名高い魔法使いさまと同じお名前なんですよ。でももしご本人なら、わたしはもう生きていないでしょう?」
くすくすと笑って、ルスティカーナが振り返る。笑い声は楽しげだが、その瞳は俺の様子を窺っていた。
なにしろ初めて出会ったときには兵に追われていたのだ。他人に見つかると困るのではないか、と俺の身を案じてくれているようだった。
俺も立ち上がる。手近なところに扉はない。逃げようがない以上、腹を決めるしかない。
キャリバンのフードがわずかに動く。俺を見ている。
「その名は本名ではあるまい。何を目的に名を騙り、ここにいる? 今なら礼儀を守ってご退場願えるが」
「……たしかに本名、とはちょっと違うな。でも騙ってるわけじゃないし、俺がそう決めたわけでもない。ここにきた理由は、そうだな、気に食わない問題を解決するため、かな」
「言葉遊びの好きな不審者だな」
話しながらも、キャリバンが油断なく俺を観察しているのが伝わってくる。
俺とルスティカーナの距離が近しいことに警戒しているのだろう。もし俺ひとりで立っていたら、すぐにでも魔法でぶちのめされていたかもしれない。
「キャリバンさま、落ち着きになられてください。プロスペローさまにはわたしを害するつもりなどありません。わたしが話し相手をお願いしていたのです」
「ルスティカーナ嬢、失礼ながらそんな瑣末なことはどうでもよろしい。ここは私が魔法で囲った庭園。定められた人間以外は入ることはできない。だというのに、侵入者がいる。少々、混乱している」
「まあ、キャリバンさまの魔法をかい潜るほどの素晴らしい魔法使いさま、ということですか?」
わくわくしたように声を明るくして、ルスティカーナが俺とキャリバンを交互に見る。
「あり得ない。その男を私は知らない」
「もしかしたら本物のプロスペローさまなのかもしれませんよ?」と面白がる声。
「そんなわけが––––」
と、キャリバンの動きが完璧に止まった。沈黙。息を呑むような気配。
「キャリバンさ––––きゃっ!?」
ルスティカーナが訊ねる声と同時に、俺の眼前で突然に空気が弾けた。
俺も驚いている。目の前で見えない風船が破裂したかのように風が前髪を揺らした。
「防いでおきました」
耳元で囁く声。何をどうしたのかすら分からないが、エアリアルが助けてくれたらしい。
「この魔力は、妖精……?」
キャリバンがひとり呟いている。
そのとき、俺の胸にどん、と衝撃。
「うぷっ」
ルスティカーナが背中からぶつかってきたのだ。
「ああっ、キャリバンさま! 助けてください! 身体が勝手に! きっと魔法です!」
「え、ちょ、いててて、あぶなっ、危ないって!」
もはやもたれ掛かるようにしながら、ルスティカーナはぐいぐいと俺を押すのである。勢いに負けて後ずさるが、そこには階段があって、転けそうになりながら東屋に上がる。
「プロスペローさま、わたしを人質に」
俺にもたれ掛かるよう身を寄せて、小声で言う。
「わたしが盾になればキャリバンさまも手荒なことはできないはずです。このままお逃げになって」
「わあ、頼もしいお姫さま」
自分の価値を客観視した上での合理的な判断はしたたかと呼ぶに相応しい。見た目と違って中身はかなりお転婆だな?
だが助かるのも事実だ。さっきの破裂音は間違いなく攻撃されたのだ。
不審者を相手にするにはこの上なく正しい行動で、攻撃された俺も文句は言えない。だがはいそうですかと受け入れるわけにはいかないし、本職の魔法使いとやり合うほどの度胸はない。
俺たちは東家の真ん中近くにまで下がった。このまま後ろの段差を飛び降りて逃げるか、と振り返ると、キャリバンがそこに立っていた。
「キャアアアア!」
俺の悲鳴である。ホラーじゃねえか!
「お前は––––」
キャリバンが手を伸ばす。触れるその瞬間、俺のポケットから七色の奔流が噴き出した。
「どわっ」と俺。
「きゃっ」とルスティカーナが体勢を崩す。
「ルスティ!」とキャリバンが素早く抱き止めて距離を離す。
俺はポケットに手をいれる。なんだよこの派手な演出は!
光っていたのは冥界の鍵だった。何がきっかけなのかも分からないが、七色の光と風が溢れている。
「その鍵––––なぜ––––」
キャリバンの声が聞き取れない。光と風が渦を巻き、その軌跡が東屋を囲い始める。
キャリバンが素早くルスティカーナの手を引き、東屋の外に出て行った。その出入り口を塞ぐように光が走る。
柱から柱へ糸を巻くように光が繋がり、やがて周囲のすべてが光で埋まった。鍵は輝きを止め、静寂だけが訪れる。
「……閉じ込められた?」
呆然とした俺である。
しんと空白があって、突如として正面に扉が浮かび上がった。
この世界では見慣れない金属の扉だった。膝の辺りに四角い投入口、顔の高さには覗き穴。レバー式のドアノブの上には、鍵穴がある。
アパートのドアだ、とすぐに分かった。訳もわからず、懐かしいという気持ちが込み上げた。
「––––俺の家だ」
口が勝手に動いていた。
言葉にするとすべてがしっくりきた。そうだ、これは俺の家の扉だ。ほとんど無意識に手を伸ばして。
「よくお考えください」
と、背後で声。
振り返れば、そこにエアリアルが浮かんでいた。いつもと変わらぬ無表情で、いつもと変わらぬ声音。けれど、いつもとは違う雰囲気を感じた。
「……考えろって?」
「これは内密なお話です、サトウさま」
「お前、俺の名前」
「これは契約外のこと。つまりはわたしの慈悲。思いやり、です。感謝しやがれください」
「やっぱりなんか知ってやがったのか! だと思ったよ! やけに静かだったもんな!?」
「失礼ですね。あなたの行動を見守っていただけです。先ほども助けて差し上げました」
「それはありがとよ!」
はあー!
と声をあげて腕を組む。何かを隠しているだろうとは思っていたのだ。ただ、問い詰める取っ掛かりも、その余裕もなかった。嵐に巻き込まれたような慌ただしさに翻弄されていた。
「とりあえず全部、話してくれ」
「それはできません」
「意地悪かこのやろう」
「時間がないのです」
「なんの時間だよ?」
「あなたの時間です」
と、エアリアルは扉を指差した。見れば、扉の下部がうっすらとぼやけている。
「今なら、あなたは元の世界に戻れるでしょう。鍵があり、あなたの魂はまだ繋がっている。ですが、時間は限られています。もし別の扉を開くのであれば、もう戻ることはできません」
「別の扉がどこに」
あんだよ……と続ける前に、エアリアルの背後に扉が生まれた。朽ちかけた貧相な木の扉だ。
「……ちなみに、こっちはどこに繋がってる?」
「プロスペローさまが待つ場所に」
「ああ、プロスペローね––––えっ、本物の?」
「わたしの役目は、あなたをその場所に連れていくことでした。ですがあなたがあまりにヘンテコで愚鈍で世間知らずで赤子のように無力なので、特別にここに連れてきたのです。元の世界に帰りたいかもしれないと思いまして」
俺は思わず、エアリアルをじっと見つめてしまった。
「なんですか、その気持ち悪い目は」
「いや、お前、実はめちゃくちゃ世話焼きで心配性で親切だよな?」
「ぶちころしますか?」
「この照れ屋さ–––すみませんでした」
目がマジだったので、すぐさまに謝った。
「つーと、なんだ? 俺をこの世界に呼んだのがプロスペローで、お前にどっかに連れてこいって頼んでたってことか? で、お前はその契約を無視して、俺を助けようとしてくれてる?」
「おおむね」
「良いヤツじゃねえか」
「––––相棒、ですので」
そっぽを向いたエアリアルの小さな呟きを、俺はばっちり聞いていた。この訳のわからん世界で知り合った相棒の優しさに、思わず胸が熱くなる。
俺は振り返る。扉がそこにある。元の世界に繋がっている。
「そうか、プロスペローが俺を呼んだのか」
やっぱりな、という思い。
そして、プロスペローがなぜ俺を呼んだのか、その理由を推測する。
考える。なぜ俺なのか。
なにをしたいのか、なにをさせたいのか。
俺の役目は、何なのか。まあ、たぶん、そういうことだろう。
懐かしき我が家につながる扉を見て、俺は振り返った。
「さんきゅな、エアリアル。お前の気遣いが嬉しい」
「……やはり、人間の考えることはよく分かりません。どうして戻らないのです。なぜ、他人を助けようとするのです」
「べつにそんな立派なことを考えてるわけじゃない。そうだな、もったいない、からかな」
「もったいない?」
「あとで説明してやるよ」
木の扉へと進む。その向こうにプロスペローが、すべての発端がいるはずだ。
「なあ、エアリアル」
「なんですか」
「俺とプロスペロー、どっちの方が良い男だと思う?」
「プロスペロー様はバカです。あなたはアホです」
「ありがとよ」
俺は扉を開く。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます