第30話「この花の咲く場所に」



「ふうん」


 トスカが俺の隣にしゃがみこみ、さも面白そうに鼻を鳴らした。


「なるほどね」

「なんだよ、ひとりで納得するなって」

「納得もなにも、事実は明白でしょ」


 月明かりにトスカの微笑みが薄ぼんやりと浮かび上がっている。

 人智を超えた美しさである、というわけではない。魔王の娘だと聞いた上でも、まだ実感が湧かないくらい、トスカの顔立ちは人間に似ている。長い黒髪が日本人である俺に親しみを感じさせるのかもしれない。


 曲げた膝の中に折りたたむように頬杖をついて、トスカは目を細めている。唇をニッと伸ばして、歯を見せて笑う。その笑い方に、胸を掴まれたような感覚がある。誰もを惹きつける笑い方があるとすれば、これがそのお手本だという気がする。


「この世は舞台。男も女も役者にすぎぬ。誰もが果たすべき役目がある。それは他の誰かじゃ果たせないもの」

「……すげえババアみたいな話しぶりだな」

「舐めたこと言ってるとくびり殺すわよ」

「すみませんでした」


 人は笑顔でマジギレできるらしい。


「過去に埋めたはずの棺の中に、あんたが今、持っているものが入ってる。だったら筋道は簡単。あんたが今から過去に戻って、それを棺に収めるのよ」

「……なんで?」

「自分で考えなさい」

「そこは分かってねえのかよ」

「分かってるのは、あんたが”鍵”だってこと」


 言って、トスカは俺に古びた鍵を差し出した。塔から盗み出した冥界の鍵だ。

 俺はそれを受け取る。ずっしりと重い。手の中で七色の光が一瞬、迸った。


「返してくれるのか?」

「あたしが持ってても仕方ないもの。その鍵を使いこなせないのよ。望む時間にも戻れないし、冥界にも行けないし、扉を開けば勝手にあんたの近くに繋がったりもするし」


 トスカは肩をすくめて見せる。


「結局わかったのは、あたしじゃルスティを助けられないってことだけ。過去は改変できない。どんなに助けようとしても、あの子は死んでしまう。それでも可能性がまだ残ってるとしたら、それはあんたよ、プロスペロー。世界の理を読み解き干渉するのが魔法使いでしょう」


 多大な期待に応えたい気持ちはある。だが、俺は偉大な悪い魔法使いではない。ただの会社員だった佐藤だ。世界の理なんてわかるわけがない。

 しかし、すべてを諦めて寝転ぶには、トスカの言葉が邪魔をする。


 誰にも果たすべき役目がある。

 俺がこの世界にいることにも意味があるのではないか。何かの役目があるのではないか。それはわずかな望みだ。


 自分なら何かができるのではないか。世界を救えなくとも、誰かを救うことはできるんじゃないか。幼いころにヒーローに憧れた。いつしか現実の何処かに置き去りにしたはずの大それた野望が、どうしてか今、ふつふつと蘇っている。


「……ここに死体はない。じゃあ、ルスティカーナは生きてるかもしれないよな」

「それはないわね」


 あっさりと否定されて、肩透かしをくらった気分だ。見返せば、トスカはぽっかりと空いた墓穴を見下ろしている。


「あの子が生きているなら、絶対にあたしに連絡があったはず」

「じゃあ別の場所に墓があるって? また探し直しになるじゃねえか」

「この棺が空っぽだったならそうでしょうね。権力者が墓地を偽装するのは珍しい話じゃないし。でも、この墓にはそれが入っていた」


 トスカは顎でシガレットケースを示した。


「それは言わば、過去のあんたからの道標ってことよ。この墓穴はただのハズレじゃない、意味があるってことを教えてる。置いたのはあんたのはずよ。考えて。あんたなら何のためにそれを置く?」

「……自分の作った謎々を自分で解くわけね。ややこしいな」

「いいから、考えてごらんなさい」

「へいへい」


 はあ、と俺は手の中に視線を戻す。

 トスカの言うとおりだ。墓の中にこれがあったということは、ここはなのだ。別の墓があるわけじゃない、気がする。


 でもルスティは自由ではない。自由であれば親友であるトスカに手紙を送るはず、という理屈は正しいように思える。

 つまりルスティは死んではいないが、生きてもいないような状況である。

 問題はルスティがどこにいるかを探すこと。そこから助けるにはどうすればいいかを知ることだ。


「そうだ、場所さえ分かればいい。どこか分かれば、俺は扉を繋げられる」

「だったらその場所はどこなのよ」

「それが分かれば苦労はしないって––––」


 そこで俺は愕然とした。


「どうしてこんな簡単なことに気づかなかったんだろう。阿呆すぎる」

「自己批判で陶酔するのはひとりでやってくれる?」

「刺さり具合が深すぎるんだよお前のチクチク言葉は」


 シガレットケースは、言わば小さなタイムカプセルだ。

 未来の自分にメッセージを送るならどうする?

 中に何かを入れるに決まってる。


 シガレットケースの蓋に指をかける。わずかな恐怖と願望がある。何かあってくれ、と頼む気持ち。蓋を開く。

 風が舞った。


「––––ずいぶんとまあ、優雅な伝言ね」


 トスカが呟く。俺たちは同じものを見ている。

 風とともに、シガレットケースから舞い上がったのは、色鮮やかな花弁だった。月夜の中にきらきらと、虹を砕いたように花びらが舞っている。ゆっくりと舞い落ちてきた花弁をひとつ握ると、それは手の平の上で七色の光を波打たせている。


「心当たりは?」

「ある」


 俺は頷く。俺が俺に伝えるとして、色とりどりの花びらとくれば、それは庭園ここしかありえない。花が枯れ果てる前。ルスティカーナと出会った時代のはず。

 そこに何があるのかは知らないが、向かうべき場所はわかった。


 そのとき、甲高い笛の音が聞こえた。

 トスカが立ち上がり、庭園の奥へ顔を向ける。


「……集まってきたみたいね」

「ああ、あの婆さんが呼びに行った衛兵かも。見つかるとまずいな。どう見たって不審者だし、俺たち」


 俺も立ち上がり、目の前の光景を眺める。土は掘り返され、空の棺が鎮座している。立派な王家の墓荒らしだ。重罪どころじゃないだろう。


「今のうちにさっさと行こうぜ」

「あとはあんたに任せるわ」

「お前はどうするんだよ」

「いろいろと忙しいのよ、これでも。それに、あたしが行っても、することはないみたいだし」

「そんなに控え目な性格だったか?」

「あたしが一緒にいたら棺の中に伝言を残さないわけがないでしょ? 入ってないってことは、あたしが付いて行っても仕方ないってことよ」

「……説得力がある」

「ぶん殴るわよ?」

「お前が自分で言ったんだろ!」


 ついてきて欲しいのが本音だった。トスカがいてくれれば頼もしいのだ。しかし、トスカは腕を組んで立っているばかり。俺がどう誘おうとも、もう決めてしまったことを翻すようには見えない。


「じゃ、とりあえずお別れだな」

「ええ。ルスティのこと、頼むわよ」

「任せとけ。なんとかしてみる……たぶん」

「まあ、頼もしい」


 俺たちは連れ立って歩く。金属を擦り合わせるような笛の音が何度も鳴っている。聞いているだけで寒気がするような嫌な音だった。風がざわめく気配が近づいて来ている。扉の前で、俺たちは並ぶ。


「鍵、持っていっていいのか?」

「馬鹿ね、これでも魔族よ。なくてもどうとでもできるわ」

「……それもそうか。んじゃ、行ってくら」

「元気でね、プロスペロー」

「お、おう?」


 やけに優しい声に、思わず戸惑ってしまう。しかしトスカにとって大事な親友であるルスティカーナのことを託されたのだ。腑抜けたままではいけない。


「また会おうぜ。今度は三人でな」

「ええ。楽しみにしてる」


 俺たちは笑い合う。出会ったばかりのはずだが、古い友人のようにも感じる。他人とは分かち合えないものを共有したせいかもしれない。


 名残惜しさはあれど、俺は扉に手をかけた。左手には七色の花弁を握っている。

 この花が咲く場所に、と願い、扉を開いた。


 



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る