第29話「過去、あるいは未来からの贈り物」



 トスカに罵られるを覚悟していた。墓を掘り返すという行為がまともじゃないことは俺だってわかっている。それも、トスカにとっては大切な友人の墓だ。

 だが、俺の予想と反して、トスカは唇をにんまりと線のようにして微笑んだ。


「––––ようやく、悪の魔法使いらしい言葉が聞けたわ」

「なんで嬉しそうなんだよ」

「あんたが本気だってわかったから。いいじゃない、掘り返しましょ」

「……本当にいいのか? 友達だろ?」

「魂が冥府に渡ったあとの身体なんてただのモノじゃない。死霊の入れ物にするくらいしか使い道ないわよ」


 投げやりに手を振る動作。遺体について何の感傷も抱いていないのが本心だとわかる。見目は同じでも、そうした価値観を表す言動の端々に人間との相違を感じる。

 魔族にとっては魂こそが重要で、残された遺体には価値を置かないらしい。そこでふと、俺はグラウの遺体を盗みにやってきた二人組の魔族のことを思い出した。


「なあ、お前、魔王の娘だよな? グラウの遺体を狙ってきた、獣人ふたりとやり合ったんだけど、心当たりあるか?」


 俺としては軽い質問のつもりだったのだが、途端にトスカの気配が張り詰めた。


「その獣人ケイニス・ルプス族のふたり、どんなやつだった?」

「フリルがついたドレスを着た、ちっこい女の子と、きちっとした服装の兄ちゃんだったけど」


 トスカが舌打ちした。目を細め、腕を組む。明らかな不機嫌だ。


「グラウって?」

「そうだった、グラウってのは偽名で、本名はカヴァレリアだ。ルスティカーナの姉さん」

「あの毛皮の阿保どもが」


 吐き捨てるような声音。触れるだけで怪我をしそうなほど冷たく尖っている。


「襲われてどうなったの。遺体は奪われてないでしょうね?」

「適当にあしらって俺が逃げた。グラウの遺体はそこに埋葬したよ」

「あのふたりをあしらった? ……さすが、と言っておくわ」

「そりゃどうも。で、なんだって魔族のやつらがグラウの遺体を盗もうとしてたのか不思議だったんだ」


 新しく掘り返した土を見下ろし、トスカは考え込みながら唇を撫でる。


「王サマの状態見たでしょ? あれじゃ何の役にも立たない。いまは王太子が真ん中に座って、魔族やら他の国とやり合う方向で話が進んでる。でも人間たちだって一枚岩じゃない。そこにもし姿を消していた元王女サマのひとりが戻ってきたら、人間の国もまた乱れるでしょ。後継者が増えるんだから」

「グラウはもう死んでるのに?」

「さっきも言ったけど、魔族のシャーマンは死霊術が使えるのよ。むしろ死んでたほうが都合がいいってこともあるわ。本当の魂じゃなくて、冥府に向かう前の適当な魂を引っ張ってきて無理やり押し込むの。それで中身は魔族、外見と血は王家のお姫様が出来上がるってわけ」


 ぞっとするような話だった。

 あの獣人たちがグラウの遺体を求めたのは、政治的な策略に利用するためだったわけだ。そのためにグラウを殺したのだ。都合のいい中身を入れて、血と肉体だけを利用するために。


「あんな王サマだろうと、もしかしたら娘の顔くらいはわかるかもしれないわね。意識を取り戻したときに言質でも取れば、王位を奪う足掛かりくらいにはなったか……なんで思いつかなかったのかしら」

「自分が先にやればよかったとか言わないよな?」

「あら、戦争を止めるには効果的だったかもよ。でも姿をくらましていた元王女の居場所を突き止めたってことは、魔族に情報を流した内通者がいるわね。それもかなり上に」

「……」


 ついため息が漏れた。

 国の命運だとか、魔族に内通している人間とか、権力争いとか。俺にはまったく理解もできない縁遠い話だ。偉いやつの考えることは分からない。わかりたくもない。


 王族の血を引いているからと、それだけの理由で殺されたのだ。ルスティカーナも、グラウも。本人の望みなどなにも関係なく。利用されるためだけに。


 その事実があまりに虚しい。魔王という悪の親玉がいなくとも、悪巧みをする奴はいくらでもいる。そしてそいつらは魔王よりも小賢しく、魔王よりも狡い。自分の姿は見せず、悪役だと名乗りもしない。

 魔王を倒せばすべて平和になる、なんてことはないのだ。


 俺はルスティカーナの墓の前に膝をつき、地面に手を当てた。冷えた土と、枯れた草の感触。ここに、本当に眠っているのだろうか。力を込める。


 地面の下にまで染み込んだ空気を動かし、風として操る。地中に埋まった箱の感覚すらわかる。囲うように長方形に土を切り取り、持ち上げる。重さは感じない。

 空中に長方形の土塊が浮かんでいく。それはグラウを埋葬したときと同じような光景だ。


 穴からずらして地面に置き、棺の上に被さった土だけを持ち上げて穴に落とした。

 黒々とした棺が姿を見せる。十余年と土の中にあったわりには朽ちた様子もなく、昨日埋めたかのように綺麗なままだ。


 歩み寄り、棺の横に立って見下ろす。顔を覗くための小窓はない。棺を丸ごと開けるしか確認する方法はない。

 隣にトスカが並んだ。何も言わないが、二人してただ眺めているわけにもいかない。そして言い出したのが俺である以上、この棺を開けるのは俺の役目だ。


 しゃがみ、棺の縁に手をかける。滑らかで冷たい棺。この中に、あの少女が眠っているのかもしれない。その遺体を目にすることで、自分が何を感じるのだろう。あるいは空白だったとしたら、どうすべきなのだろう。


 どちらにせよ、自分の心は固まるはずだと思う。

 力を込める。軋んだ音を立てて、蓋が開いた。

 ひと思いに一気に開け放つ。

 遮っていた雲が逃げて月光が満遍なく落ちている。棺のなかを白々しく照らしている。

 棺の中には。


「––––は?」


 俺は手を伸ばす。拾い上げる。

 ポケットから、シガーケースを取る。

 ふたつを並べる。

 まったく同じものだ。


「なによ、どういうこと?」


 トスカの声に返事はできない。俺も分からないからだ。


 棺の中に遺体はなかった。


 空っぽの中にただひとつきり、真鍮のシガーケースが入っていた。

 それは俺が持っていたものと瓜二つだった。土の中で過ごした時間の経過のせいか、サビが浮き、劣化してはいるが、形や模様や傷までそのまま。


 ハニーゴールドから譲り受けたシガーケースと同じものが、たまたまルスティカーナの棺に入っている––––そんなわけがない。

 誰かが入れたのだ。このシガーケースを持っていた人間が。


 つまり、おそらくは、俺が。


 ルスティカーナを埋葬しているはずの棺の中に、俺はどうやって、そしてなぜ、このシガーケースを入れたんだ?


「……面白くなってきたな」


 ふう、と夜空を見上げた。雲が晴れつつあった。美しい星が無数に浮かんでいる。


「ちょっと。どういうことか説明しなさいよ」


 いや、さっぱり分からん。



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