第28話「悪役としてたしかめるべきこと」
扉を超えて荒れ果てた庭園へと戻ってくる。俺たちは扉の前で無言で立っている。トスカは思い詰めた様子でうつむき、親指の爪を噛んでいた。
「……自分が殺したって言ってたな、あの王様。どこまで正気だったかは分からないけど」
認知症について詳しくは知らないが、その症状の程度によっては鮮明な意識を取り戻すこともあるらしい。
ほとんどは妄言のような状態だったが、あの瞬間、老人の目は焦点を取り戻していたと思う。
「魔族と––––あたしと、手紙をやり取りしたから、あの子は死んだ」
「お前のせいじゃないって」
慰めたつもりなのだが、トスカは俺を睨む。
「当たり前でしょ。我が子を殺す? 魔族だってもっと慈愛があるわ。あたしが言いたいのは、手紙がきっかけならどうしようもないってことよ。手紙がなければあたしとルスティの同盟は成立しない。魔族と人間の和平にも繋がらない」
はあ、とため息。
「過去に戻って王様ごと殺すしかない、か。それができれば苦労しないけど。ねえ、あんた、ちょっと過去で王様を殺してきてくれない?」
「コンビニのついでみたいなノリで恐ろしいこと言うんじゃねえよ!」
「あの名前、聞いたでしょ。キャリバン」
「王様がうわ言みたいに言ってたやつか?」
「あんたが塔に引きこもってなにしてたか知らないけど、その間に王国で名を挙げたのがキャリバンよ。今はどうしてるか知れないけど、ルスティが生きてたころは宮廷魔法使いとして王国を守ってる真っ最中。王様を殺そうにも、その魔法使いが邪魔だわ。最高に邪魔」
「……あー、なるほど? その王国最強の魔法使いに、俺をぶつけようって?」
「最強と最悪のどっちが生き残るか見ものね?」
「いや、期待されても困るんだが」
真顔で答えるしかない。本来のプロスペローであればそりゃ対抗できるだろうが、こちとら中身はど素人だ。専門職とやり合って勝てる可能性は万にひとつもないと分かりきってる。
「謙遜……じゃなさそうね? なによ、伝説の魔法使いとか呼ばれてるくせに矜持はないわけ? あんたが王様殺せないなら打つ手はもうないでしょ」
「過去は変えられないんだろ。この時代に王様がいるなら。どうやったって過去じゃ殺せないってことになる、のか? いや、もし王様を殺せたとしても、結局は別の理由でルスティが死ぬ可能性もあるんだよな……」
仮に過去は変えられず結果が同じになるのだとすれば。
ひとつの問題を解決しても、次の問題が起きる。今度はそれを片付けても、また次……過去から今に至るまでの十何年間のあいだ、ルスティカーナはずっと繰り返して死につづけるのかもしれない。
「過去に戻って助けるのは、そもそも無理なのか?」
思いつきのような呟きは、はからずもしっくりときてしまう。火事に包まれたあの屋敷から助け出そうにも、すでにルスティカーナの周囲で運命が決まってしまっている。
王様が口にした理由。魔族、王、宮廷魔法使いキャリバン……複雑に絡んだ糸は、時代を隔てた場所から解きほぐすにはあまりに複雑すぎる。
そのとき、はっと閃くものがあった。
「過去に戻って、そのままルスティを守るっていうのはどうだ?」
「はあ?」トスカが目を見開く。賞賛の驚きかと思えば、それは呆れた表情だ。「そんなことしたら魂が煉獄に囚われるわよ」
「響きが物騒すぎるわ。俺たちが過去に戻ってるのも似たようなもんだろ? 滞在時間を長くするようなもんじゃないか?」
「あんたがどんな魔法で過去に扉を繋げてるのかは知らないけど、あたしは冥界の鍵を使ってようやく移動してるのよ。普通の人間にも魔族にも、時間や空間を移動するのは不可能なの。次元の区別がない、冥界っていう裏道を使うからなんとかなってるだけ。魂が生きたまま別の次元に居座ったらどうなるか考えてごらんなさいよ。魂が正しい輪廻に戻れず、冥界の深淵に囚われて虚空に消える……それがどれほど恐ろしいことか分かる?」
口にしただけでもゾッとするというように、トスカは肩を震わせた。
「かつては魔族の大罪人を生きたまま次元流刑にしたって聞くわ。魂は決して現世に戻れず、転生もできず、次元の中に漂うだけ。あんたもそうなりたくないなら、過去に長居するなんて馬鹿なことを言うのはやめときなさい」
「お、おう……」
悪くないアイデアだと思ったのだが、うっかりやったら大変な目に遭うところだったらしい。
「それにね、あんたは自分の人生と魂を犠牲にしてでもルスティカーナを守り続けるとか言うつもり? どんだけ愛情深ければそんなことができるって言うのよ」
「いや、お前も助けたいって言ってたろ」
「可能性として助ける手段があるなら、そうしたかったってこと。あの子は大切な友人よ。この世界にもきっと必要だわ。でも」トスカは唇を噛む。「自分の魂を犠牲にはできない。不可能だって言うなら、諦めるしかないわ。死人を叩き起こして頼ろうっていう話が間違ってるのはわかってるもの」
俺たちの間に沈黙が居座った。
まだ起きていない運命ならば変えることができたかもしれない。けれどルスティカーナはもう死んでいるのだ。すでに起きたことを変える方法を、俺たちは知らない。
俺は踵を返す。荒れた道を歩く。東屋の横手に広がる花壇の跡地に、埋葬したばかりの新しい土。そこにはグラウが眠っている。その隣のルスティカーナが眠る場所は、古びた石と雑草があるだけで、ただ物寂しい。
「過去は変えられない。だったら、なんで俺たちは過去に戻れるんだ?」
それは単純な疑問だった。
過去が不変だとすれば、俺たちが過去に戻ることには意味がないはずだ。干渉できないのに、どうして過去に戻ることができるのだろう?
あるいは、俺たちが過去に戻ることもひっくるめて、ひとつの運命として定まっているということなのか。
俺はふと、ハニーゴールドのことを思い出した。
扉を通って出会ったのは、少年時代のハニーゴールドだった。あのとき、ハニーゴールドは俺に命を救われたと言っていた。
ポケットに手を入れる。礼として譲り受けたシガーケースがそこにある。
あれは、過去を変えたんじゃないだろうか?
それとも、俺が助けることまで決まっていたのだろうか?
「なにを悩んでるのよ?」
背後から声。振り返ると、トスカが腕を組んで立っている。
「なあ、ルスティカーナの死ぬところは見たか? 遺体は?」
「急になに? 見てない、けど……まさか、生きてるんじゃないかって?」
トスカは口ごもって、すぐに鼻で笑った。
「ありえないわ。なんのためにそんなことを? あの王様がじつは善人で、娘を手にかけることはできなかったとでも思うわけ?」
「お前が王様に会って確かめたように、俺も確認したいんだよ。運命だとか、過去だとか、話がややこしい。それでも一番大事なところを、はっきりさせなきゃいけない。でないと、俺たちのやることに意味があるのかどうかも分からなくなる」
「どうしたいのよ?」
トスカの表情には、答えを聞かずともわかっていると書いてある。それでも確認したのは、俺に本気かどうかを念押ししているのだ。
俺は唾を呑む。倫理に背く行いであるとわかっている。言葉にすることすら躊躇われ、緊張で口の中が渇く。
それでも俺は、やはりそれをする必要があるのだと思っている。
どうやっても助けられないのは、本当に過去を変えられないからか。それともルスティカーナが本当は生きている、あるいはこの墓には眠っていないから、過去でなにをしようともここに影響が起きないだけなのか。
「––––ルスティカーナがいるのかを確かめる」
トスカは俺を睨んでいる。
俺はルスティカーナの墓を見下ろした。
「墓を掘り返す」
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