第27話「王様と怪物」



 扉を抜けた先は薄暗い部屋だった。それでもずば抜けた金持ちの部屋だと分かる。天井からはシャンデリアが吊り下がり、そこに並んだ蝋燭にわずかな火が灯されている。


 ここが王様の部屋なのだろうか。王様の家に不法侵入をすると、どれくらいの罪になるのか……そんな不安に肩身も狭くなる。

 一方のトスカは近所のコンビニにでも入ったような気楽さで絨毯を踏み、部屋を見回して振り返った。


「人間の趣味ってよく分からないのよね。こんなに飾り立てて何が楽しいのかしら。あんたはどう思う?」

「声っ、声が大きいっ」


 人差し指を口に当て、しーっとたしなめる。静かにしろというジェスチャーは異世界共通なのか、トスカは面倒くさそうに片眉を上げた。


「これが魔族の古兵が恐れるプロスペローねえ……? 小心の平民にしか見えないけど。まあいいわ、ほら、あそこに寝てるんでしょ、王サマ」


 トスカは部屋奥に置かれた馬鹿でかいベッドを指差した。四方から木の柱が立ち、わざわざベッドの上に屋根を作っている。そこから垂らされた薄衣がベッドで寝ている者を覆い隠している。


 トスカがずんずんと歩み寄っていくのに、俺だけが立ち呆けているわけにはいかない。今にも兵士が飛び込んでくるのではないかとそわそわしながら、小さくも頼もしい背中についていく。

 ベッドを遮る薄衣を前に立ち止まり、トスカは声をかけた。


「王サマ、起きてる? ちょっと話が訊きたいんだけど」

「大御所にタメ口を使うギャルタレントかよ……」

「ぎゃる? 正式な謁見じゃないのよこれ。夜討ちと変わらないのに礼儀ぶっても仕方ないでしょ」

「実は礼儀正しいとか言われるより清々しい態度かもしれねえ」

「王サマ、ちょっと起きてる? 開けるわよ」


 トスカは薄衣の切れ間に手をかけた。広々としたベッドの中央にひとり、枯れ果てたような老人が寝ている。瞳は開いている。だが闖入者である俺たちには目もくれず、ただ頭上を見つめていた。


「起きてるじゃない。こんばんは、王サマ?」

「…………」


 老人は答えない。

 天蓋から吊り下がったモビール––––何羽もの鳥を模った揺り飾り––––がゆっくりと回っているのを。ただ見つめている。

 口は小さく開いたまま、その口端にひと筋、涎が流れていた。


「王サマが冥界人になったって話、本当だったようね」


 トスカがため息をつきながらベッドに寄った。薄衣が戻るのを手で止めて、中に入り、俺もその隣に立つ。


「冥界人?」

「歳を重ねると、人間も魔族もやがてはこうなるのよ。記憶があやふやになり、人格が変わり、ついには自分が誰かも、ここがどこかも分からなくなる。魂だけが先に冥界の扉を通ってしまった状態」


 それは認知症のことではないか、と考える。

 国でもっとも偉く、誰よりも豪勢に暮らし、望めば何でも手に入る環境だろうと、病は平等だ。

 贅を尽くした絢爛な部屋の広々としたベッドでひとり、作り物の鳥を見上げて横たわる姿は悲哀を感じさせた。


「ま、いまさらこうなっても誰も気にしないでしょ」

「なんでだよ。王様だろ? 大ごとじゃないか、普通」

「そりゃ昔は賢王なんて名声も伝え聞こえたけどね。ルスティが死んでからはめっきり。宰相が代理で執り仕切って、ついにはアロンゾ殿下サマのご登場。この王サマがちゃんとしてくれてれば、人魔の関係もここまで悪化しなかったのよ」


 トスカは老人の顔の前に手を広げ、左右に振って見せる。だが反応はない。


「……この王サマに頼るのも難しいか。こうなったら上から順番に締め上げて聞き出すしかないわね」

「物騒すぎるだろ、暗殺者じゃないんだぞ」

「できるかどうかは別よ。いっそアロンゾ殿下でも暗殺できれば楽で良いんだけど。人間も馬鹿じゃないでしょ。偉い奴らには護衛がついてる」

「……ここにも?」


 そりゃそうだよな、どっかと戦争しようって国が警戒してないわけがない。

 咄嗟に身構えた俺に対して、トスカは悠然と立って肩をすくめた。


「ここにはいないわよ。つまり、この王サマはもう重要じゃないってこと。守る価値もないから放って置かれてる」

「……なんだか寂しいな」

「なにが?」


 きょとんと見返されて俺は返事に困った。護衛の兵士たちに出迎えられるよりは良いと分かってはいながらも、誰もそばにいない現実に胸が痛むのだ。

 それの気持ちをわかりやすく説明するのは難しく思えて、俺は首を左右に振った。


「とにかく、王さまと話ができないなら、これからどう––––」


 声。

 俺とトスカは視線を合わせ、それから老人に視線を向けた。

 老人の様子はなにも変わっていない。沈黙がうるさく思えるほどに息を殺して耳を澄ませた。老人の唇がかすかに動いた。


「––––その声はキャリバンか? ……鴉が飛んでいる……わしを見下ろしている……追い払ってくれ……」


 誰の名前を呼んでいるとも知れず、部屋に鴉などいない。老人の言葉は支離滅裂だ。それでも意識がある。今なら会話ができるのではと、トスカがしゃがみ顔を寄せた。


「鴉なら追い払ってあげるわ。王サマ、しっかり聞きなさい王サマ。ルスティを思い出して。ルスティカーナのことを」

「ルスティカーナ……」

「そうよ、あなたの娘ルスティカーナ。どうして死んだの? 誰が命じた?」

「愚かで哀れな鳥……あれは娘ではない……死んだ? ルスティカーナが死んだのか! なぜだ!」


 老人の顔に血が上った。歯を剥き出し、泡を飛ばしながら掠れた声で怒鳴る。

 その変わりように俺は身を引いたが、トスカは一片の動揺もなく問い返す。


「それを知りたいの。あなたは知ってるはず。思い出しなさい、ルスティカーナはなぜ死んだの?」

「死んだ、のか……そうか……」


 老人は急に呆けたかと思うと、枕に深く頭を沈めた。虚空を見上げ、息が抜けるように笑った。


「キャリバンめ……さぞ悔しかろう……お前がわしから奪ったもの……返してもらっただけ……」

「キャリバン? キャリバンがなにをしたの?」

「あいつは……あいつは盗んだのだ……わしのもっとも大切なもの……鳥籠に隠したのに……あいつは……魔法で……」

「魔法? 魔法使いね?」


 トスカは俺に振り返った。聞き覚えのない名前だ。俺は首を左右に振った。


「キャリバンがルスティカーナを殺したのね? あなたから奪った」


 空白。老人が笑った。子どものように明るく、邪気のない笑い方だった。そして笑みを浮かべたまま、トスカを見て言ったのだ。


「ルスティカーナを殺したのは、わしだ」


 トスカが戸惑うように言葉を止めた。


「……どういうこと? あなたの娘でしょう」

「わしが殺した。わしが命じた。わしが……ちがうシラクスよ! あいつだ! あいつが悪いのだ! あいつが奪った! あいつがあの娘を! この国を! ああ! 鴉が! やめろ、くるな」


 老人が手で眼前を振り払う。弱々しい動きだが、まるで目の前に本物のカラスが見えているかのような動きだった。


「トスカ、逃げよう。こんだけ騒いでたら誰か来る」

「王サマ、しっかりしなさい王サマ!」

「おい!」


 トスカの肩を引くが、彼女はぴくりとも動かなかった。


「どうしてあの子を殺したの! なぜあの子は死ななきゃいけなかったの!」


 トスカが老人の肩を強く揺さぶった。叫ぶような声。その一瞬、老人の目の焦点が合った。


「なぜ––––? あれは魔族に魅入られていたからだ。わしらに隠れて魔族と手紙を交わしておった。魔族と友誼を結んだなどと……わしの娘ではない……生かしてはおけぬ……生きていてはいけなかった……国のために……」


 訪れた正気はすぐに過ぎ去ったようだった。焦点は虚空に移った。俺はトスカの身体を抱き起こした。


「逃げるぞ! 誰か来てる!」


 壁の向こうで話し声がした。そして扉が開く音。もう余裕はない。

 腕を引く。トスカは抵抗もなく付いてくる。入ってきた扉に手を伸ばす。その正面の扉が開き、細い灯りが伸びた。

 俺たちは来訪者と入れ違うように部屋をあとにした。

 

 


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