第26話「世界の半分のお気持ちで」



「内乱状態の今の魔族たちに、協力するなんて考えはないでしょうね。それでも、個は人間とは比べ物にならないくらい強い。戦争が始まればやがては魔族同士の共食いで崩れ落ちるでしょうけど、そのころには人間の国も吹き飛んでるでしょうね。互いに滅びるだけ」

「……それをお前がどうにかするって?」

「計画はふたつ。目的はひとつよ」


 とトスカは俺を睨むように視線を鋭くした。その瞳の強い輝きに既視感を覚える。


「目指すのは和平。そのためにあの子––––ルスティの力がいる」

「ルスティカーナが生きてれば、この戦争は起きないってことか?」

「あの子はやがて王国の中枢に立つ人間だった。そして魔族と和平を結ぶための重要な使者だった」

「そうしたいって話は聞いたけどな、本当にそうなってたとは限らないだろ。魔族がどうするかも分からないし」

「いいえ、分かるわ。あたしが必ずそうした」

「必ずそうしたって……」


 断言する口ぶりに、俺はようやく気づいた。俺がぱくぱくと口を動かしながらトスカを指差せば、ええそうよ、と返事がある。


「ルスティと手紙をやりとりしてたのは、あたし。あたしたちはふたりだけの同盟を結んでいたの。互いに理解を深め、和平を結び、国交を繋げる……世界を変えるための同盟よ。人間の王の娘と、魔族の王の娘が手を結んだの。できないわけがないわ」


 あー、それは、はい、できそうですね……と頷くしかない説得力。


「いや、でも、お前どう見ても15歳くらいじゃ」

「バカ。魔族の見た目と人間の年齢が比例するわけないでしょ」

「あ、はい。すみません」


 はあ、とついため息が出た。自分の質問の馬鹿らしさにではなく、思ったよりも世界はややこしいという現実にだ。

 ここは夢のようなファンタジー世界だ、と軽く考えていたのは否めない。剣と魔法であろうと、技術が進歩してなかろうと、人の野望は劣らない。


「……起きるかもしれない戦争を止めるために、お前はルスティカーナが死ぬ過去を変えようとしてるってことか」

「呑気すぎて欠伸が止まらないわね。起きるかも、じゃなくて、もう起きてるのよ。あとはどの火花から引火して盛大に爆発するかってだけ。いい? あたしが”冥府の鍵”を使ってもだめだった。あとはあんたしか可能性がないの。ことがある、あんたなら、何とかできるかもしれない。だからこうして交渉してんのよ」

「待て待て待て、なんで俺ならできるんだよ。冥府なんて通ったことないぞ!」

「ああ、もう、あんた本当にどうかしてんの? あたしを揶揄からかってる? 冥府に立ち入らないでどうやって鍵を持って帰るのよ。冥府の神すら恐れぬ蛮行、それこそが魔法使いプロスペローの恐ろしいところだってのに」


 苛立たしげに髪をまとめ、身体の前に流すと、トスカはずんずんと近づいてきて、間近で俺を睨めあげる。


「あんたは戦争がしたいわけ? また魔族を滅ぼして領地を増やす? それでもいいわ。そのときはこの国が滅びるまでやり合いましょ」


 トスカは、とん、と人差し指で俺の胸をつく。


「鳴りを潜めて塔に閉じこもって、その名前が埃を被ってたってのに、魔法使いプロスペローは急に表舞台に上がった。それも冥府に侵入して番人から鍵を奪い去るなんて方法で––––あんたもルスティを助けようとしたからじゃないの?」


 初耳だった。プロスペロー……この身体の本当の持ち主が何をしようとしていたのか、それを俺は何ひとつ知らないことを思い知らされる。


 なぜ、俺がこの身体にいるのか。本来のプロスペローがどこに行き、どうなったのか?


 俺には分からない。

 ルスティは俺の胸に当てた指をそのまま上げ、鼻先に突き付ける。


「あの子を殺したのは、プロスペロー、あんただって言われてる。でもそんなはずがない。誰かが真実を隠して歪めてる。あの子を助けるには、その真実を掘り出すしかないわ」

「……それで過去を変えられると?」

「それは分からない」とトスカは首を左右に振った。「でも取っ掛かりはそこしかないわ」

「さっき、計画はふたつって言ったよな? ひとつは過去に戻ってルスティを助けることだろ。もうひとつは?」

「あたしと手を組むなら教えてあげる」


 トスカは手を差し出す。

 俺はそれを握るべきかと迷う。それは自分の意志だろうか? 戦争を止めること、和平を築くこと、世界のために正しいことをすること。

 力のある者には責任があるという。だったら、俺にも責任があるのかもしれない。


「世界を救う、か」

「やりがいのあることじゃない?」

「ばかばかしい」

「えっ」


 吐き捨てて、俺はトスカの手を取った。細くひんやりとした手をぎゅっと握る。


「魔族と人間の戦争? 好きにやってりゃいいよ。止めたきゃ止めろ、俺は知らん。でも、あの子は助けたい。だから手は組む」

「……あんた、本当に人間? その考え方って魔族そっくり」

「お前こそ人間みたいだろ。和平だとか、戦争を防ぐとか」

「あんたに合わせたの。人間って好きでしょ、そういう大義名分? っていうの」

「じゃあ本音はなんだよ」

「あたしは友達を助けたいだけ。あとはどうでもいいわ」


 清々しい笑みが浮かぶ。美少女の笑顔は世界を救う魅力があるが、魔族の王女さまの場合は背中がひゅっとするような冷たさも感じさせる。


「じゃ、手を組むってことでいいわね?」

「……悪魔と契約した気分だ」

「そんな格下と同列にしないでくれる?」

「へいへい。で、これからどうするんだ。真実を見つけるたって、過去は変えられないんだろ?」

「まずは過去を知ることから始めるわ。当時の真相を知ってるやつに訊きに行きましょ」

「王女暗殺事件なんて大ごと、誰が真相を知ってるんだよ」

「決まってるでしょ。人間の王サマよ」


 トスカは手を離し、ちょいちょいと遠くを指差した。闇夜にそびえ立つ暗い影の尖塔が遠くふたつ見えている。王城である。


「……謁見を申し込む?」

「まどろっこしい。勝手に入るのよ。今から」

「やっぱり無かったことにしていいか? 無謀に思えてきた」

「魔族との契約にやっぱなしはないの。冥府まで有効よ。ほら、行くわよ魔法使い」


 再び鍵を取り出し、くるくると回しながらトスカは歩いていく。小柄で細身のくせに、なんとも頼りになる背中だ。


「なあ」と呼びかける。

「なによ」トスカは振り返りもしない。

「手を組むんだからさっきの話を聞かせてくれよ。もう一個の計画はなんだ?」

「ああ、それね」


 立ち止まり、トスカは肩越しに俺に顔を見せ、瞳を細めて笑った。吊り上がった唇から尖った牙が覗いた。


「––––馬鹿な魔族も人間も、まとめて張り倒してあたしが統治するの。あんたにも世界の半分をあげましょうか?」


 ぎゅう、と心臓と玉が竦み上がった。ぞぞぞ、と震えが腰から頭の先まで駆け巡る。

 俺はぷるぷると首を左右に振った。


「––––お気持ちだけで、結構です……」

「そ? つまんない男ね」


 鼻歌まじりにトスカが歩いていく。俺は迷った。今からでも逃げ出すべきかもしれない。やばい相手と契約してしまった。しかし見回しても、扉はひとつきり。その前にはトスカがいる。逃げ道はない。


「ほら、早くして」

「……はい」


 俺は覚悟を決めてついていくしかなかった。ルスティカーナを助ける。まずはそれだけを考えようと思う。助けたあとは……その時に考えよう。

 トスカが扉に冥府の鍵を当てる。捻ると同時に、錠が回る音。開かれた扉には虹色の膜が張っている。最初にトスカが。その背を追って、俺は膜に踏み込んだ。

 



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