第24話「冒頭へ戻る」
俺は同じことを繰り返した。何か失敗があったのかもしれないと考えた。
再び火事の中に飛び込み、より素早く、倒れ伏したルスティカーナを抱き上げ、外に出た。
今度は庭に集まっていた人間たちとともに、ルスティカーナを近くの別邸に運びこむところまでを見届けたが、周囲から「ところでお前は誰だ」と問い詰められ逃げ出すことになった。
結果は変わらなかった。戻れば、彼女の墓は変わらずに存在した。
あの状況で、俺ができることは多くない。そもそもすでに火が回っているのが問題かもしれない。簡単な解決法を思いついた。
火がつく前にここにくればいい––––そこで、俺は気付いた。
ルスティカーナを救いたいと思って扉を開けば、そこはいつも燃える屋敷の中に繋がる。何度開けて、戻っても、時間は動かない。ルスティカーナを救うための時間は、あの火事の中にしかない。
成功のためには失敗を重ねるしかない。間違いを見つけ、修正する。それを繰り返すのだ。だが、何が間違っているのかすら分からない状況で失敗を重ねることに、どれほどの意味があるのかは分からない。
俺は繰り返し火事に飛び込み、同じ数だけルスティカーナの墓を見る。
ある時には彼女を助けずに部屋を飛び出し、ある時には部屋を破壊し、ある時には彼女を連れて屋敷から離れた。全てがだめだった。
思いつく限り––––つまり、常識的に試そうと考えられることはやったが、効果はない。だったら常識的じゃないことをやるしかないが、それこそ選択肢は余りあり、なんでもできるという状況から正解を選ぶことは難しい。制約は自由を束縛するが、束縛のない自由は混沌でしかないのと同じことだ。
墓の前で頭を掻きむしる。
燃え盛る部屋からルスティカーナを救うための制約は分からない。だが、どこにでも、いつにでも繋がると思っていた扉には制約がある。
だったら、まずは扉の制約から確かめるべきだと思った。俺は立ち上がり、もう何度目かも分からない扉に向かう。
ルスティカーナを救いたいと願えば、あの燃える部屋に繋がる。あの時間以外の過去には繋がらないのだろうか?
ルスティカーナに会いたいと願い、俺は扉を開いた。
白い膜を抜けると、眩さに目を閉じた。突然に夜が明けてしまったようだ。手で光を防ぎ、細く目を開けてなんとか慣らしていく。
そよ風がゆっくりと抜けていく。小鳥たちが鳴きながら頭上を横切って行った。ようやく目が開く。
胸がすくような青空が広がっていた。手入れの行き届いた植木が道を作り、新緑の鮮やかさが目に染みる。
あの墓地と同じ場所だとわかる。振り返れば、出てきた物置小屋も同じだ。立派に建っている、という違いはあるが。
周囲を観察する。衛兵が駆けつけてくる様子もない。俺はわずかに緊張を抱えながら、ゆっくりと道を辿った。
植栽の上から、白亜の東屋の丸い屋根が見えている。彼女がそこにいるのか、いないのか。早く確かめたいという欲求がある。だがこの目で見てしまう怖さもある。
やがて曲がり角につく。俺は息を整え、進んだ。
百花が彩る庭園に、花びらが舞っている。あの青い夜の下で見た寒々しい光景は名残もなく、春の空に生命力が溢れている。
花壇の真ん中に作られた一本道を進みながら、東屋の影の中に人影を見つけた。淡い黄色のドレスを着ている。俺が東屋の階段をのぼるころには、彼女も俺にすっかり気づいていた。
「……よう、今日は寝てないんだな」
「い、いつも寝ているわけではありません!」
ルスティカーナは、恥じらうように答えた。傷ひとつない雪肌、結いあげた純白の髪。周囲はこれほど色鮮やかなのに、この少女ばかりは霧のように消えてしまいそうな儚さがある。
生きている。
床に倒れ伏した姿ばかりを繰り返し見せつけられることは、精神的にキツかった。こうして元気でいてくれることに、何よりも心が安らぐ。
ルスティカーナは改まった態度で俺に対して恭しく一礼した。
「またお会いできましたね、渡り鳥さん」
「挨拶をしたほうがいいんだっけ?」
「……ど、どちらでも」
郷に入りては郷に従うべきだし、ルスティカーナは王女さまだ。非礼があったら打首になりかねん、と言うのは冗談だけども。
俺はルスティカーナの前に膝をつき、差し出された手を取った。前は加減が分からずに失敗した。今度は気をつけて、手袋の甲に唇を触れされるだけにする。
ぎこちない自分の動きがお遊戯会の道化のようにも思えるが、気にしたら負けな気もした。
恥ずかしさを誤魔化すようにささっと立ち上がって咳払いをして。
「あー、久しぶり? だな」
「はい。以前にお会いしたのは、そうですね、ひと月も前になりましょうか」
「ひと月? そんなに経つの? マジ?」
「まじ、というのは、どういう意味のお言葉でしょうか? ごめんなさい、不勉強で」
「確認の言葉だけど、覚えなくていい。下賤な言葉だから」
「子どもではありません。下賤な言葉くらいわたくしだって知っております」
「ほう。たとえば?」
「た、たとえば? ……ええと、メシを食う、とか」
「ちょっと違うと思う」
「ええっ。衛兵の方たちがそう話しているのを、ハリエットが叱っていたのですが……そうですか、違うのですか」
うむむ、とルスティカーナは顎に指を当て、真剣に悩むその姿に愛嬌を見る。
ルスティカーナは生きている。今はまだ、という言葉が続くけれど。
火に囲まれて倒れ伏す弱々しい姿が脳裏をよぎった。グラウと並び、雑草の覆われた暗く寂しい墓地。彼女はやがてあそこに眠ることになる。
人の運命がわかる人間なんて普通はいない。だが俺はわかる。未来を知って、過去に戻ってきている。未来を変えられるはずだ、と思っている。
誰かが彼女を殺したはずだ。何度もあの場所に繋がる以上、火事が起きてしまえば、ルスティカーナは死ぬ。
だったら火事が起きる前に、それこそ今この時間軸で、犯人を見つけてぶちのめしてしまえば解決するだろうか?
だが、と考える。
犯人がひとりなら、それで良い。しかし、ルスティカーナは王女さまだ。大企業の社長ですら比べものにならないくらいに偉い存在だ。そんな相手を殺そうと計画するやつが、たったひとりで実行しているなんてことがあるだろうか。
グラウを殺したのは外套で姿を隠した魔族だった。だがグラウの遺体を回収しようとしてやってきたのは、男と少女の二人組だ。あの二人の話ぶりからすると、彼らに命令を下した奴もいるのは間違いない。組織的に魔族が絡んでいる。
グラウはルスティカーナの異母姉だと言っていた。グラウが狙われたことと、ルスティカーナの死に関わりがないとは思えない。
そのことに思い至り、背筋に寒気がした。
悪いやつをぶちのめせば済むという簡単な話じゃないのだ、と思い知る。
平和に生きてきた俺にとって、陰謀なんて言葉は魔法よりも縁遠い。けれどルスティカーナの死に関わるのは、たぶん大人たちのそういう企みによるものだった。
「プロスペローさま?」
きょとんと首を傾げるルスティカーナを、俺は見返す。
すぐに解決できないなら、それを教えるというのはどうだろう。策略で攻撃するやつらがいるように、ルスティカーナを策略で守る大人たちもいるはず。
「ルスティカーナ、落ち着いて聞いてくれ」
「はい……?」
「お前を殺そうと企んでるやつがいる。誰かも分からないし、いつ狙われるかも分からない。突拍子もない話だけど信じて……って、なんで笑ってるんだよ、冗談じゃないんだって」
俺はできるだけ真剣に話そうとしているのに、ルスティカーナはくすりと微笑んでいたのだ。
「ごめんなさい、失礼でした。真剣に心配してくださるのが嬉しくて」
「怖がるのが先じゃないか?」
「あら、だって、わたくしを邪魔に思う方はたくさんいらっしゃいますもの。いつかはそうなる……わかっていることです」
「死ぬのが分かってるって?」
「魔族と融和を企むルスティカーナは乱心している、魔族に魅入られている、国を滅ぼす悪女……みなさん、言葉豊かに表現してくださっていますね」
平然とした顔で口にする言葉は、どれも平穏とはかけ離れていた。
「魔族と仲良くしようとしてるだけで殺されるって? んな馬鹿な」
「戦争はすでに昔のこととはいえ、忌避感情は拭えません。それでも、せめて対話の場を持つべきだと、みなさんに呼びかけているのですが……戦争によって家族や先祖を亡くされた方も多いですから、仕方ありません」
自分の死すら受容するかのような毅然とした態度は、少女とも呼ぶべき年齢には似つかわしくない。自らが信じる理想を持ち、そのために邁進する力と意志を持っている。そんな人間を前にして、凡人たる俺はただ唖然とするばかりだった。
「もちろん、わたしもただの夢想を語っているわけではないんです。ほら!」
と、ルスティカーナは、テーブルの上に置かれていた便箋を広げた。小さく折りたたまれていた折り目が残っている。そこに記された文字は直線ばかりで描かれた奇妙な紋様の羅列だ。
「実は、魔族の方と文通をしているんです。相手のお名前はお教えできませんが……この方もまた、魔族と人間たちの今の関係性に危機感を持ち、再び戦火を招かぬためにも、互いを理解するための対話が必要だとお考えなんです。そして、それが難題だとわかっているからこそ、まずはわたくしたちからそれを始めるべきだと。同じ考えを持つ、言わば同志なのです」
ルスティカーナの口調は熱っぽい。真白い肌に赤みを乗せて、夢を語るように言葉を繋いでいる。
それは初めての恋に浮かれる少女のようでもあり、夢のための炉に薪をくべる革命者にも見える。
ルスティカーナの行動がどれほど意義あることなのか、そしてどれほど危険なのか、俺には判断できない。でも結果は分かっている。
ルスティカーナは死ぬ。魔族との融和は為されず、国は争いへと向かう。彼女の夢は叶わない。
「……すごい目標だ。立派だと思う。でも、危険だ」
「わかっています。理解してくださる方は多くありません。だからこそ、内密にしながら、少しずつ進めていこうと」
「時間は、たぶんない。その目標は諦められないのか?」
「プロスペローさま?」
今なら間に合うのではないか。火に包まれてしまえばもう助けられない。だがここでルスティカーナが意志を変えれば、未来は変わるはずだ。
俺の表情からなにを読み取ったのか、ルスティカーナは優しく微笑み、手紙を丁寧に畳んだ。
「なにかをご存知なのですね。とても難しいお顔をされています」
「きみの命に関わることだ」
「わたくしのことで悩んでくださっていることが、申し訳ないと思いながら、正直、ちょっと嬉しいです。お優しい方」
にこりと、透き通った笑み。
「神はすでに運命の糸を紡ぎ終えていると言います。わたくしはわたくしの信じることを行いたい。その結果は受け止めるつもりです。たとえその先が死であろうと。それがわたしの定めなのでしょう」
「死んでも良いって? 冗談だろ?」
「王族とはそういうものです。自分の命を決める権利はないのです。何をしようと、あるいは何をせずとも、国のために身を捧ぐ日が来ます。それがいつにせよ、わたくしは意味のない生よりも意味のある死を受け入れたい」
「生きてれば後からいくらだって意味を作れる」
「この美しい庭園に、どれほどの意味があるでしょう」
ルスティカーナは両手を広げる。
「かつては母がこの庭園に。いまはわたくしが囚われています。鳥籠よりは広く、花は咲き、安寧に満ちて––––なんの意味もない場所。お分かりいただけますか、プロスペローさま。このような場所で生きることは、死んでいることと変わりがございません」
風が吹く。花びらが舞う。小鳥が歌う。木々の葉が擦れ合う。東屋に木漏れ陽を揺らす。
「プロスペローさま、よくお聞きくださいまし––––定まった運命は誰にも変えられぬのです。そうでしょうプロスペローさま」
ルスティの視線は俺の背後に向かっている。
俺は振り返る。そこに黒づくめの男が立っている。
俺が、立っている。
どういうことだ、と口を開きかけた瞬間、身体が吹き飛ばされるように浮いた。見えない力によって引きずられる。
「だ、なっ、う、おおおお!?」
ルスティカーナが、俺の背中が、東屋が、遠ざかっていく。
背後で扉が勝手に開いていた。白い靄が強く輝いている。俺は扉に引きずり込まれた。
勢いのまま弾き出され、地面を転がる。ようやく止まったときには、俺は真っ黒な夜空を見上げていた。影のような雲の連なりのまた向こうに、星が無数に散らばっている。
「……なんだってんだ」
突然の事態に起き上がれもせずにいると、土を踏む足音が近づいた。その主が俺の顔を覗き込んだ。
「––––悪名高いプロスペローでも、運命を捩じ曲げるのは無理か」
俺の顔に向けて垂れ下がる長い黒髪を耳にかけながら、その少女は言った。
見覚えのある顔。聞き覚えのある声。その少女こそ、俺が探し求めていた存在。
「––––鍵泥棒ぉぉ!?」
「ああ、はいはい、盗んで悪かったわよ」
ちっとも悪びれた様子はなく。ついでに言えば、初めて会った時のか弱い雰囲気もすっかり消え失せて、黒髪の少女は面倒くさそうに両手で耳を押さえた。
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