第22話「わるい寄り道」
衝撃の事実を告げられた俺は、動揺しながらも慌てて自己弁護をする……訳でもなく、むしろ呆気に取られるだけだった。
ハリエットは娘の仇を見つけたとばかりに俺を睨み、肩で息を荒くしている。
名探偵よろしく、お前が犯人だと告げられたわけだが、俺には一切の心当たりがない。
と、同時に、無罪であるという心当たりもない。
俺はもちろんやっていないが、この肉体––––プロスペローという名を担う存在は、何十年、いや何百年と前から悪い魔法使いとされる存在だったらしい。
今はどうしてか俺がその魂に成り代わっているが、過去の記憶はない。
本来のプロスペローが、ルスティを殺したという可能性を、俺は否定できなかった。
「なにも言わぬということは、やはりお前がルスティカーナさまを……!」
「あ、いや、やってない! 俺はやってない!」
「だったら証明をしてごらんなさい! 己の無実を、ルスティカーナさまの墓前で語ることができるのであれば!」
「いや、それは難しいというか……困ったな」
言われてできれば苦労はしない。やっていないと納得させることは、やったことを証明するよりも難しい。
じつは俺は本当のプロスペローじゃなくて、という事情を解説したところで、他人があっさりと信じるとも思えない。
困ったな、と後ろ頭を掻く俺の視線を切るように、グラウが目の前に立った。
「あんた、ルスティを殺したの?」
真剣な目だった。静かな問いだった。曖昧な返事や誤魔化しはできないとわかった。
説明できる事情は少ない。信じてくれと訴えるしかない。俺はグラウの目を見返し、答える。
「殺してない。俺じゃない」
グラウは俺の返事を確かめるように何度か頷いた。それから腰に手を当て、はあ、と息を吐いた。微笑みが浮かんでいた。
「あんた、お人よしだもんね」
「……信じてくれるのか?」
「あんたってなんか、雰囲気がないんだよね。もうちょっと悪役らしい振る舞いをしたら?」
「どういう文句だよ」
「今さらあんたが悪い魔法使いでしたって言われても、なんか調子が出ないんだよ」
ルスティは明るく笑って、肩に流れた赤髪を背中に払い落とした。
「そもそも、今さら誰かを疑っても仕方ないしね。あたしもルスティも死んでる。なにもかも戻らない。誰かを憎みながらあの世に行くより、安らかに休みたいじゃない?」
「……心残りになるんじゃないか?」
「誰が殺したか、って? そんなの、分かってる。権力のある悪いやつらでしょ。何かを企む大人たち。自分たちの都合のために、ルスティやあたしが邪魔になった。それだけのことよ」
「権力のある悪いやつ? どういう意味だよ」
「もう分かってるでしょうけど、ルスティは王女だった。ゆくゆくはこの国の真ん中に座る立場だったの」
「でも」
と俺がグラウを指さすと、彼女は手のひらをぱたぱたと振った。庶民的な仕草だった。
「あたしは異母姉。母は側室だったけど、庶民の出だったから、もうぜんぜんよ。使い道もないから放置されてたようなお姫さま。そんなあたしを、あの子は慕ってくれたけどね」
グラウは視線を下げ、ルスティの眠る場所を見つめた。
「……当時、魔族たちと交流を深めるべきだって話があったの。魔族側にも穏健派がいて、話が進んでたはず。あの子が親善大使として会談をする予定になってた。でも、あの子が死んで、すべては白紙。おかげで魔族とは今でも没交渉。この国はどんどんおかしくなって、ついに戦争をやり始めるって話さ」
「あっ」
グラウの話に聞き入っていたその隙に、ハリエットが走り出してしまった。
誰か、衛兵! と叫んでいる。
「あんたが急に黙りこんで虚空を見つめてちゃ恐ろしくもなるだろうね、ハリエットもまだまだ元気そうだ」
グラウがけらけらと笑っている。
「笑い事じゃないんだが……また兵士から逃げ回らなきゃ……」
「いいじゃないか。あの扉があればどこにだって行けるんだろ? そうやって扉で移動しているときにルスティに会ったの? あの子は元気だった?」
「東屋で昼寝をしてたよ。それから、海賊の話をしたら目を輝かせてたっけな」
グラウが目を細め、ひどく優しい笑みをこぼした。
「ルスティは城の外にも出られなかったからね。遠い場所の物語が大好きだった。あの子が死んでから、世界はすっかり悪くなっちまった。悪い奴らが好き勝手に振る舞って、私利私欲を満たして……力のあるやつは、誰かを踏みつけてもなにも感じない。墓に入る人間のことを悲しんだりはしない」
「俺は、悲しむ」
「だからあんたは、悪い魔法使いをやるにしちゃ、お人よしすぎるのさ」
ため息と共に月を見上げ、グラウはぐっと背伸びをした。
「さあて、そろそろ眠ろうかな。すぐにハリエットが衛兵を呼んで戻ってくるだろうし、あんたともここでお別れだ。悪かったね、死人の世話なんかさせちゃって」
どう返事をすべきかに迷って、俺はただ頷いた。
「必要だったらあげるけど、いる? あたしの魂」
「いらねえよ」
「やっぱり? 魔法使いにタダ働きさせちゃった」
「たっぷり酒をもらったよ、あの酒場で」
「もっといい酒があれば良かったんだけどね」
「酒の味は分からないからな、安酒でいい」
「ずいぶん庶民派な魔法使いさまだね」
俺たちはくだらない会話を続けた。それは別れの時間を少しでも延ばすための抵抗だった。出会ってから過ごした時間は長くはないが、まるで古い友人のように別れ難い。どうしてか胸が痛む。
そうした時、男はいつだって女々しい。女はいつだって雄々しい。
グラウはさて、と歩き出し、俺が開けた穴の前に立った。
「この中に、入れてくれる?」
「……おう」
俺は白布に包まれたグラウの遺体に指を向ける。
白い月の光が照らす地面に、風の煌めきが舞った。俺はできるだけ丁寧にグラウの身体を持ち上げる。
ふわりと浮かんで、ゆっくりと滑り、穴の底へそっと横たわらせた。
「土、かぶせて」
「……おう」
掘り出した四角く固まった土を浮かせ、穴の上に移動させる。グラウはなにも言わず、白い布に包まれた自分の身体を見下ろしている。
グラウの上に固めた土を落とすのは、気分が悪かった。
結果に違いはないが、俺はせめてとの思いで、土の塊を風で削った。土は小さく砕かれて落ちていく。月明かりにほのかに反射しながら、土は穴を埋めていく。グラウを埋めていく。
土が平らになり、グラウの遺体の埋葬は終わった。全てが元通りになるまで、グラウは目を離さなかった。
「最期にこうして弔ってもらえたんだ、あたしは幸せだね」
グラウは笑う。俺は小さく頷くだけだ。
「あんたに出会えて良かったよ。ありがとう。もしおとぎ話みたいに、死者が行く冥界があったら、あんたが来たときには案内してやるからね」
あっけらかんとした言い方に、俺は苦笑した。
「その時はよろしく頼む。俺も、あんたに会えて良かった。助けられた」
「じゃあね」
「おう」
別れの言葉はそれだけだった。グラウは自分の墓の正面に立つ。半透明に透けていた白い身体が、淡い光に溶けるように薄くなっていく。
グラウはもう振り返ることもなく、そのまま行ってしまった。
月に雲がかかり、庭園にはただ重たげな影が溜まっていく。
グラウとルスティカーナ、ふたりの墓前で、俺は居心地悪く立っている。
「善行を積まれましたね」
ふわりと粒子を散らして、エアリアルが姿を見せた。
「なあ、プロスペローは本当にルスティカーナを殺したのか?」
「存じ上げません」
「エアリアル」
「本当のことです。私の役目はあの塔の守護でした。かつてのプロスペローさまは、内密にどこかに出向かれることもあったかもしれませんが、私の知るところではございません」
相変わらず、無感情のようにも思える冷静な声だ。その声が今ばかりはどうしてか、少し苛立たしい。それが八つ当たりだとは分かっている。
「次はどちらへ? 招かれた王城へ向かいますか?」
「……そういえば、そうだっけ。手紙をもらったんだったな」
「招請状です」
「そうだ、招請状」
ちょっとした寄り道のつもりだったんだけどな。
俺は踵を返した。
立ち止まる場所はない。ここにもやがて衛兵が来るだろう。いつだって追われてばかりだ。誰かに追われるようにして、いつもどこかへ逃げている。誰かに頼まれて、どこかに行っている。
誰かに頼まれれば、言い訳が立つ。誰かのために行動していれば、責任を取らずに済む。
他人に押し付けられることを嫌がりながらも、そこから逃げることができないのは、自分で自分の行動の責任を取る勇気がなかったからだ。
けれど今、俺は俺の意思で行動する。グラウに頼まれた用事は終わった。衛兵も、魔族も、王子の招請状も、すべてはくだらない瑣末ごとだ。
「どちらへ向かうのです?」
「ちょっとな、寄り道だ」
「長い寄り道になりそうですね」
俺は来た道を戻る。屋根の崩れた物置小屋に、朽ちかけた扉が傾いている。その取手を握る。
伸ばした腕にふわりとエアリアルが腰掛けた。
「––––過去に戻って、どうするのです。あの者を哀れに思い、施しをなさいますか。その運命を変えようとなさるのですか」
「悪いか?」
「なぜそうするかが問題かと」
なぜ?
過去を変えようとする行いにどんな可否があるのか。誰かが悪いのか、何かが間違っているのか、何もかもが分からない。正しいことがしたいわけじゃない。間違っているから止めたいわけでもない。
思い当たる理由は、ひとつきりだった。
「俺がそうしたいからだ。誰がなにを言おうと、知らん。俺は力を持ってる。だから、好きにやる」
「過去を変えるには障害がありましょう」
「ぶっ壊す」
「立ち塞がる者がいれば?」
「はっ倒す」
「私利私欲のために力をふるい、過去すら変えてみせると」
「問題あるか?」
エアリアルは、微笑んでいた。
「––––いいえ。それでこそ
俺はちょっとばかし拍子抜けして、肩から力が抜けるほどに安堵もしていた。ひとりで行くには心細く、隣に並んでくれる存在は何よりもありがたい。
「ついて来てくれるか?」
「あなたがそれを望むのであれば」
「んじゃ、一緒に寄り道すっか。ちょっくら過去を変えてやろう」
俺は扉を押し開く。光り輝く白い膜は繋がっているはずだ。あのふたりが、まだ生きている場所へ。
光へ、踏み出す。
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