第21話「その名が彼女を殺した」
「なぜその名を……!」
「なんであんたがルティのことを知ってんだい!?」
ハリエットとグラウの反応を見て、俺たちは全員、間違いなく同じ人間を知っていると確信した。
俺が感じたのは、薄ら寒さだった。
やあ、それは奇遇だ、珍しいこともあるもんだね、と能天気に驚いてはいられない。偶然とはそんな風には起きない。
俺が出会ったあの少女が、いまは死んでいるという。つまり俺が迷い込んだあの庭園は、過去のことだったというのだろうか。
タイムマシンじゃあるまいしと笑い飛ばしたいが、俺はすでに同じような経験をしていた。
以前に、塔から冥界の鍵とかいう希少なアイテムを盗んだ黒髪の少女を追いかけて扉をくぐり、海賊の伊達男ハニーゴールドの少年時代に出会ったことがある。
扉を繋ぐ魔法は時間を越える。
これまでに何度も無意識に扉を繋げたとき、行き先は完全なランダムだと思っていた。しかし完全に無関係な時間、場所ではなく、俺の気づかないところで糸は繋がっているのかもしれない。
呆けて立っていた俺のそばにグラウが寄る。
「アンタ、どこでルティのことを?」
「……会ったことがある。一度だけな」
「独りで呟いていないで、私の質問に答えなさい。どうしてここがルスティカーナさまの墓所だと知っているのです」
グラウとは違って、ハリエットの声には疑念と敵意があった。
俺はハリエットに向き直る。事情が聞きたかった。あの少女がなぜ死んだのか。どこで死んだのか。
しかし見るからに怪しい上に、半端に情報を知っている俺のことを、目の前の老女は簡単には信用しないだろう。
作り話で誤魔化すかとも考えたが、事情が複雑すぎた。嘘に嘘を重ねて情報を引き出すような器用な真似はできそうにない。正直にすべてを話すしか手段は残されていない。
それに、グラウはルスティカーナを妹と言った。ハリエットのことも知っているようだった。だったら、ハリエットがグラウのことを知らないわけがない。
俺はグラウの顔を見て、小さく頷いた。その合図の意味をどこまで読み取ったかはわからないが、グラウもまた頷きを返してくれた。
「ここが墓だってことは、グラウに教えてもらった」
「グラウ……?」
と、ハリエットは眉間に皺を寄せた。
あれ、知らないのか、と俺が首を傾げたとき、ハリエットは口をぽかんと開いた。唐突に記憶の底にしまいこんでいた箱が開いたようだった。
「まさか……生きて、いらっしゃった……?」
小さく、弱々しい声だった。
グラウがその半透明な手を、俺の腕に添えた。感触はない。だが、グラウの感情の重みが伝わってきた気がした。
「グラウはね、古い言葉で”灰色ねずみ”っていうんだ。あの子が好きだった童話の主人公でね……その童話の本を贈ってくれたのが、このハリエットさ––––ねえ、この名前を教えてあげて」
囁かれた声を俺は繰り返す。それ以外に必要なことはなにもないとわかっている。
「カヴァレリア」
記憶の底に迷いぼやけていたハリエットの瞳の焦点が、一気に蘇る。瞬間、枯れ枝になりつつあるだけだったハリエットの肉体に、若々しい生気が蘇った。精神が過去に戻るように、肉体が引きずられているかのように。
「––––ああ、懐かしいお名前」
ハリエットは息を吸い、目を閉じ、身体のうちに溢れる感情を抑え込むようにゆっくりと息を吐いた。
「あなたは、カヴァレリアさまに頼まれてここに?」
「そうだけど……名前だけで、俺を信じるのか?」
「あの方にとって、ここは何よりも大切な場所。本当に信頼できる相手でなければ、どんなことがあろうとも話さないはず。あなたはこの場にいる、それ自体が証でしょう」
ハリエットは握っていた笛を懐に戻しながら答える。その瞳は俺の抱えるものを見つめている。
「であれば––––それは、カヴァレリアさまのお身体、なのですね」
その察しの良さに、俺は驚かされた。
「……取り乱さないんだな?」
「もちろん悲しいことです。しかし、もう悲しみ尽くしました。生きることは喜ばしいばかりではない……ルスティカーナさまと同じ場所に眠られることは、お二人にとっての最後の憩いでしょう」
ハリエットは歩み寄ってくる。すぐそばに立つグラウには見向きもせず、俺の抱えた遺体の顔に、皺の目立つ手を伸ばした。
布の上からそっと、壊れ物のように指先で撫でる。一度躊躇ってから、その顔を覆う布をそっと引いた。
現れたグラウの、眠ったように穏やかな顔。ハリエットはそれを見つめ、唇を噛み、ただ愛おしむように額を撫でた。
「よく、お帰りになられましたね。ルスティカーナさまもお喜びでしょう。あの方は、あなたのことが大好きでしたから」
「……あんたのことも大好きだったよ。ルスティも、あたしもね」
グラウの声をそのまま伝えられたらいいのに、と思う。俺が繰り返すには、その言葉はあまりに重たかった。
ハリエットは大切そうに布を戻すと、一歩足を下げ、腰を落とすようにして淑女らしい一礼をした。
目尻に浮かんだ涙を抑えながら背を向け、二度、小さく鼻をすすった。
「先ほどは失礼しましたね。あなたにも感謝を。カヴァレリアさまをここにお連れしてくださったこと、言葉もありません」
「いや……まあ」
たいした事情も知らぬままだった。自分の行動に深い意義を感じていたわけじゃない。比例しない感謝を受け取るのは躊躇われる。
「重ねての労苦をお願いするのは心苦しいのですが、カヴァレリアさまの埋葬をお願いできませんか? 情けない話ですが、私ではじゅうぶんな墓穴をご用意できません」
「……もちろんだ」
「ではこちらへ」
先導するハリエットの小さな背中を追って歩く。
奇妙なことだが、誰かの墓穴を掘るという事実は、遺体を抱えていることよりも現実的な死の実感となった。
俺の横にはグラウの姿がある。半透明ではあるが、まだ生きているように思える。しかしその身体を地中に置いた瞬間に、彼女が死んだという事実が冷たい手触りとして残るのだ。
ハリエットが立ち止まったのは、東屋の裏手側になる花壇の一角だった。かつては鮮やかな花が咲いていたはずの場所には、ただ雑草ばかりが茂っている。
その茂みの中に踏み入ったハリエットは膝をつき、無言で雑草を抜き始めた。そこに、手のひらほどの銀の板が隠されていた。
「ここにお眠りです」
囁くように言って、ハリエットは手を重ねて祈る。
グラウは表情もなくルスティカーナの墓を見下ろし、俺はただ立っているだけだった。
青空の下で光るように美しく、聡明で、見ず知らずの俺を助けるほどに心優しい少女がここにいるという証は、小さな板きれ一枚だけしかなかった。
たった一度の出会いでしかないが、また出会える予感があった。
助けてもらった礼もできていない。海と、海賊と、冒険に憧れていたあの子が、殺されなければならない理由があるはずがなかった。
俺はグラウの遺体を柔らかな地面にそっと置く。スコップを探したが、都合よく落ちてはいない。だが都合よく俺は魔法が使える。
ルスティカーナのための銀札が置かれた場所から距離をとって隣へ。地面に手を当て地面の中に箱をイメージする。風は空気だ。空気は地中にも染み渡る。
地中の箱を風が押し上げる……と、氷を切り出したかのように、地面から長方形のままの土が盛り上がった。空中にまで引っ張り出せば、そこには深い墓穴ができている。
「あなたは……いえ、あなたさまは、魔法使い様でございましたか」
ハリエットが恐縮した様子で頭を下げる。
「存じ上げなかったとはいえ大変失礼をいたしました。ご尊名をお伺いしてもよろしいでしょうか」
「尊名ってほどじゃないんだけどな。俺はプロスペローだ」
そう答えたとき、ハリエットの顔から血の気が引いた。ただでさえ月の光さえ頼りない夜に、老女の皮膚は青白く見える。だが瞳だけが、身体中の生気をそこに集めたかのように強く、俺を見据えたのである。
「辺境の魔法使い、プロスペロー……?」
「そう、だけど……?」
意思と声はときにすれ違う。
ハリエットの声は乾き掠れた弱々しい老人のものだったが、俺にぶつけられる視線に宿る意思の強さは、思わず一歩二歩と後退りしてしまうほどだった。
だが睨まれる心当たりは俺にはない。返事もできずに立っている俺に、ハリエットは今度こそ声と意思を合わせて、怒りと憎しみを込めた声音で言った。
「首と胴が離れようと、この耳に刻まれたその名を忘れませぬ! ああ、プロスペロー! 悪の魔法使い、黒のプロスペロー! その名こそ、ルスティカーナさまを殺めた憎き男の名ではありませぬか!」
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