第19話「いちばん強いやつ」



 子どもの喧嘩は、どちらの肉体と根性が優っているかを決めるための戦いだ。だが、殴り合って勝つ必要はないんじゃね、というのが大人の発想である。殴り合ったら勝てないのは目に見えてるし。


 大人になると、勝ち方というのは複雑になる。

 殴り合って勝ったところで、後々で問題になれば社会的に負ける。目先の勝ちを譲っておいて、重要なところでもっと大きな勝ちを拾ったりもする。


 重要なのは、自分にとっての勝利とはなにかを把握することだ。そのためには、他のものはくれてやればいい。男のプライドとか、恥とか。


 俺がほしいのはグラウの遺体だ。それ以外はなにもいらない。

 喧嘩でボロ負けしようが、さっさと逃げてしまうことで馬鹿にされようが罵られようが、勝ちゃいいのだ。


 そのためにあのふたりの猛獣をどうするのかが問題だった。あんだけ素早い肉体派が二人もいる状況では、出し抜くのも難しい。

 だが答えは明快にして単純だった。

 猫に小判、豚に真珠、猛獣には檻、というわけで。


「……大丈夫、っぽいな」


 半球状に作り上げた風の檻で囲んだ中で、男と少女が四方八方に体当たりをかましている。

 なにやら俺に向けて叫んでいるが、風で遮断されているので声は聞こえない。


「運に恵まれていますね。素早さが自慢のあの者らを容易く捕えられるとは」


 俺の頭の上に重みがかかる。姿は見えないが、エアリアルが椅子にしているに違いなかった。


「フッ、運ってのは自分で用意するもんさ」

「べつに格好良くはないです」

「……」

「なにか策略でも仕掛けたのですか?」

「……逆に何もしなかったんだよ。返り討ちにして、堂々と立ってただけだ」

「それに何の意味が?」

「あの男のほうは慎重っぽかった。魔法使いのことも知ってるみたいだし。俺のほうから何か攻撃したら、相手はなにも考えずに応戦すれば良くなっちゃうだろ?」


 俺は暴れ回るふたりから目を離さないようにしながら、グラウの遺体に向けて歩く。あの風の渦を維持するのが、結構大変なのだ。


「弱いやつが何もしなかったら、こっちから攻めれば良いって考えるのが普通だ。でも強いはずの魔法使いが––––簡単に返り討ちにしたのに、何もしないでいると、相手は警戒する。なにかしてくるかも、罠かも、だったらまずは様子見がいいか、ってな」 

「結果的に、素早さが本領のケイニス・ルプス族がふたりして棒立ちになり、風の檻で囲い込んだ、というわけですか。さすがプロスペローさま、愚か者を手のひらで転がす立派な謀略です」

「苦しゅうない」


 と、さも全て計算通りですというまとめ方をしているが、見栄を張っただけである。

 あんな身体能力化け物にむしろ何をすれば効果的かと悩んで困って突っ立っていただけである。それがうまいこと、向こうの疑念を誘ったのだ。


 なんかあいつら二人して話し込んでんな、いまのうちに捕まえたら勝てんじゃね? くらいの思いつきが、うまくいったに過ぎない。

 あの風の渦もいつ破られるか心臓バクバクなのだ。さっさと逃げよ。


「よ、グラウ、待たせた」


 遺体にそばに、グラウが立っていた。驚いたような、ちょっとだけ泣きそうな、複雑な表情で俺を見返している。


「……あんた、何だってそこまでして助けてくれるわけ?」

「あのとき、兵士から逃げてた俺をなんで助けてくれたんだっけ?」


 問いを問いのままに返すと、グラウは笑った。


「兵士をぎゃふんと言わせたら、気持ちいいからさ」

「俺もいま、魔族をぎゃふんと言わせてきた。いい気持ちだ。ほら、さっさと行こう」


 俺はグラウの遺体を覆う白布を整え、横抱きに抱え上げた。重っ、と言いそうになって、本人への配慮から何とか堪える。

 もっと身体を鍛えておけばよかったと後悔していたところ、ふわりと軽くなった。エアリアルが魔法で補助してくれたに違いない。助かる。

 おかげで俺は涼しい顔をしたまま、グラウの身体を運べる。


 相変わらず、風の渦の中で猛烈に暴れているふたりをそこに置いて、俺たちは通路に向かった。薄暗い廊下の先に扉がある。あそこを開ければ、一件落着だ。扉の向こうまでは追ってこれないだろう。


 グラウの身体を横抱きにしたまま、苦労しつつ扉のノブに手を伸ばしたそのとき––––背後で風が弾ける音がした。風の檻が破られたのだ。


 あ、やべ、と思った。

 行き先を考える暇もなく、とにかく必死で扉を押し開ける。


 光の膜に飛び込みながらも振り返れば、あの少女が牙を剥いて飛びかかっていた。その動きがスローモーションで見えた。


 あれ、これって死ぬときに見えるやつでは……?


 その爪が俺に届く直前。

 七色の輝きを散らしながら姿を見せたエアリアルが間に割って入る。その小さくも頼もしい背中を、俺は見ている。


「ケモノ風情が、身の程を知りなさい」


 雪風よりも冷えた声音が聞こえた。

 あれ、エアリアルさん、何か怒ってらっしゃる……?


 白い膜に視界が埋まった後。猛烈な風鳴りと、何かが吹っ飛んで転がるような音が聞こえた気がしたが、それは俺の気のせいかもしれなかった。

 



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