第16話「魔法使いが笑う時」


 カツカツとヒールが床を叩く音に、鈍い足音が重なっている。


「まあまあ、おかげでほら、探しやすくていいじゃないですか」


 軽薄そうな男の声だ。姿は見えずとも、話し方や声音で容姿が想像できることがある。今がそうだ。ほどよく力が抜けているが、耳にすっと入ってくる低音は、どう考えたってイケメンに違いない。


「そんなこと、どうでもいいです。私は楽しい時間を邪魔されたの」


 抑揚のない声は雪の降る朝のような澄んだ冷たさを含んでいる。女というよりは少女のような幼い響きが残っている。

 死体が安置されているような場所に、若い男と少女の二人組?


「てっきり、見回りの警備員だと思ってたんだけどな」


 小さく呟く。隣で膝を抱えて座っていたグラウが「どれ、ちょいと覗いてみるかね」と四つん這いになる。


「おい、バレたらどうするんだよっ」

「こっちは亡霊だよ。見えやしないさ」

「だったらなんで俺には見えるんだよ。他のやつにも見えるかもしれないだろ」

「だったら好都合だね。こんな場所で亡霊を見たら誰だって泣き叫んで逃げるさ」


 机から垂れた布にグラウが首を突っ込む。


「あたしは夜目が効くからね、こういうときは便利だ。よく見える……おや、良い男だ。ちょっと線の細いのが気になるけど……ちょっと待った、あれはケイニス・ルプス族だよ」

「なんだって? ケイニス?」

「女のほうはまだ幼いけど……やけに仕立ての良いドレスだ……形も少し変わってるね……黒一色ってのは気になるけど、あれが今の流行なのかな……」

「ファッションチェックはいいんだよ」


 小声で言うのだが、グラウには完全に無視されている。


「ちょっと、静かに」

「聞こえてるんじゃねえか」

「こっちに近づいてきた……死体の布を捲ってる」


 グラウの声に重なるように、少女の平坦な声が響く。


「ネリッサが探してるのは、これですか?」

「いえ、それはニンゲンのオスです。我々が探すのはメスです」

「ふうん? ニンゲンって、私たちとそんなに変わらないのですね。顔の横についてる、このでこぼこはなに?」

「それが人間の耳なんですよ」

「耳。へんなの。これでよく音が聞けますね」

「おっと、お嬢、触らないほうが」

「どうして?」

「ニンゲンの死体に触れると、口から血を吹くかもしれない、と」

「本当に? それは、どうして?」

「さあ。俺もそういうものだと聞いたことがあるだけで」

「ニンゲンって変な生き物なのね」

「さ、あっちも見ましょう」


 どうも人間のことを誤解している様子だ。ふたりとも、ふざけているのではなく、真剣にそう思っているらしいのが奇妙だった。

 少なくとも人間ではないらしい。その話ぶりから、まさか、と考えた。


「もしかして、魔族か?」


 布から顔を半分ばかし戻して、呆れた調子でグラウが答える。


「だからケイニス・ルプスだって言ってるじゃないか。四大魔族でいちばん好戦的なやつらだ。力も身体能力も化け物だからね、ここで見つかったら、あんたも私の仲間になるよ」


 俺は両手で口を押さえた。

 わかった。もうひとつも声を出さない。決めた。

 何をしに来たかは知らないが、さっさと出ていってくれ、と願うしかない。

 ホールを歩く足音がまた止まって、布を捲る音がした。


「これは? メスでしょう?」

「老いてますね。探すのはもっと若い個体です。それに髪の色も違います。赤色らしいので」

「私、赤色って嫌い」

「ネリッサさまの前では、それ、言わないようにしてください」

「やだ。他のやつが失敗したんでしょう? どうしてその尻拭いを私がしなきゃいけないのですか?」

「さっきも言いましたが、お嬢と俺がちょうどこの街に来てたからです。すぐに駆けつけるのにぴったりなんですよ。それに俺たちなら魔法使いにも気づかれていない」

「魔法使い。それは強いの?」

「強いというか、恐ろしいですね。滅多にいないんですが、いたらまずいです。何をしてくるか分かりませんから」

「殴って、蹴って、噛みつけば?」

「お嬢、魔法使いは普通のニンゲンじゃありません。もし魔法使いに出会ったら、いいですか、とにかく逃げてください。冗談じゃなく、本当に。呪われますから」

「でも、ニンゲンなんでしょ? すぐ殺せますよ」

「そう考えた多くの魔族が大戦で死にました。それ以来ですよ、数少ない魔族の掟に新しい条項が加わったのは––––魔法使いには二度会うな」

「ジェイムもお父さまも大戦の話が大好きですね。古いことにこだわってる」

「お嬢、本当にやばいんですよ、魔法使いってのは。特に白竜の地に居座ってるあの忌々しいプロスペローなんて、魔族は全員殺したいと思ってるのに、誰もそれができてないんですから」


 えっ、と声が出そうになって、俺は両手に力を込めて口を押さえた。

 俺、魔族に命を狙われてんの?

 足音が続いて、また止まる。


「これはオスですね」

「じゃ、次ね」


 魔族の二人組は、なんのためか知らないが死体を探しているらしい。できれば違っていてくれと、祈るような気持ちだったが、たぶん、そう甘くはないのだろう。

 グラウが顔を戻し、ちょっぴり心配するような表情で俺を見た。


「あんた、なにしたの?」

「……俺は、身に覚えがないんだけど。プロスペローは、ちょっと過激なことをしたかもしれない」

「あんたに身に覚えがなかったら、誰が覚えてるのさ」


 それを説明すると長くなるし、話したところで信じてもらえるとは思えない話だ。

 俺は首を左右に振って、


「それより、なあ、あいつらが探してるのって、グラウの身体じゃないか?」


 若い女で、赤毛。襲撃者が魔法使いに出会った。そんな限定的な話が今日、二件も起きているはずがない。


「……そうだろうね」


 と、グラウは苦笑した。

 それは力の抜けた笑い方だった。仕方ない、と諦めてしまった人間が浮かべる笑みだ。


「ごめん」


 とグラウは言った。


「やっぱり、さっきの取引、なしでいい? あたしの身体、結構、人気みたいでさ。魔族が相手じゃどうにもなんないよ。あんたまで死んじゃったら申し訳ないし」


 笑顔ってのは不思議だ。楽しくて明るく笑う人間もいれば、辛さを押し隠して笑う人間もいる。グラウの笑顔には、寂しげな明るさが付きまとっている。


 俺はすぐに返事ができなかった。

 俺に任せろ、と力強く飛び出すこともできるはずだった。俺には魔法があるのだ、と。


 けれど布一枚の向こうには、俺たちとは常識の違う存在がいる。昼間に出会った魔族は、グラウを殺した。俺も殺そうとした。向こう側にいる魔族もまた、ためらいなく俺を殺すだろう。


 俺はそれに対抗できるだろうか?

 魔法はある。風を叩きつけることはできる。

 でも、それで?

 どうにかなるのか?

 他人の死体のために、自分が死体になる覚悟はあるのか?


 机から垂れ下がった一枚の布をめくり上げる勇気が足りないでいた。

 歩き回る足音が止まる。


「これは?」

「ああ、これでしょうね。赤毛の若い女。持っていきましょう」

「ニンゲンの死体なんか持って帰ってどうするのです?」

「さあ、俺にはなんとも。使い道がある、と言ってましたけどね」

「ふうん。触ったら血が吹くのでは?」

「布越しなら大丈夫でしょう」


 魔族は、力を持っているのだろう。

 だから力のない存在を、人間を、下に見ている。人の遺体をモノのように扱う。


 目の前には半透明のグラウが、俯いている。口元に耐えるような笑みを浮かべている。

 モノじゃない。あの身体の魂は、まだここにいる。


 牢屋の中で、彼女は俺に頼んだ。

 身体を、妹と同じ墓に埋めてほしい、と。

 死して願うことは、ただそれだけだった。ささやかなその願いすらも今、諦めようとしている。魔族とかいうやつらが奪おうとしている。


「クソ喰らえだよな」

「––––え?」


 顔をあげたグラウに、俺は笑った。

 ちょっと頬が引き攣ってるかもしれない。怯えた強がりが残っているかもしれない。明るく楽しい笑いではないかもしれない。

 だが人間は笑うのだ。自分を奮い立たせるためにも、笑う。


「悪いな、グラウ。魔法使いとの契約はキャンセルできない」

「ちょっと、ばか、あんたやめときなって!」


 俺は床にへばりついた尻を引き剥がし、震える足で身体を起こす。足が震えているのは座りすぎて痺れたに違いない。


 一瞬、息を吸った。弱さと一緒に吐き出す。

 自分の気持ちが折れてしまう前にと、思い切り腕を振り上げる。


 どっ、と風が巻き上がった。テーブルが跳ね上がり、布が渦を巻く。

 視界が広がった。正面にあの二人が立っている。

 獣耳を生やした長身の男が目を丸くしている。

 その隣には、同じく獣耳の青髪の少女。ゴスロリと呼べそうなフリル過剰な黒のドレスを着ている。

 二人ともが俺を見ている。


「よう––––俺がプロスペローだ」


 布が舞い落ちる。視界が遮られた。


 次の瞬間。その布を弾き飛ばして、青髪の少女が俺の目の前にいた。脚を踏み込み、腰に拳を溜めている。


「魔法使いって、本当に強いの?」


 無表情のままに小首を傾げ、少女は腕を振り抜いた。


 もちろん、俺は吹き飛んだ。

 あ、死んだわ、と思った。

 

 

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