第15話「悪役魔法使いは盗みたい」
どんな魔法でも使えるとしたら、自分は何を選ぶだろう。
考えてみれば意外と平凡なところに落ち着く気がする。派手なのも良いが、結局は使用頻度が重要だ。その点、移動魔法というのは悪くない。移動には束縛がつきものだし、そこから解放されることは人生の質を高める。
悪漢から逃げるのにも使えるし、牢屋からひょいと脱げ出すのにも便利だ。慌てていたり、場所を明確に指定しないと、訳もわからない場所に飛び出してしまうという欠点はあるけれど。
グラウの言う葬儀堂を、もちろん俺は知らない。それでも魔法の扉は繋がっている。
白い膜を抜けると、急な景色と光源の変化に、思わず目を細める。
わずかばかりの蝋燭だけが頼りだった牢屋と比べればずっと明るく、空気までも冷ややかに透き通っているようだった。
初めて来る建物に入った人間がそうするように、俺は立ったままあたりを見回す。
円筒形の建物は天井部がドーム状になっている。天頂部には天窓があって、そこから月の光が落っこちている。
壁には上部だけが半円型になったアーチが並んでいて、その奥は通路となっていたり、立派な聖像が収まっている。
葬儀堂の中心には、見上げるような祠があった。巨大な白石を削って作ったかのように滑らかで、正方形である。
その祠を中心にして、周囲に長方形の台座が十何台と均等に並んでいた。そのうちの4台が埋まっていて、白布で包まれた細長い何かが置かれていた。その中身は見ずともわかった。
「……ここが葬儀堂で合ってるみたいだな」
自分の声がやけに大きく反響した。
息苦しさを感じるような空気の重さは、教会という信仰の場による敬虔な静けさのせいか、死と生の距離が剥き出しに見えているせいか。
壁や祠を囲む台に据えられた燭台に立つ蝋燭の火が、ちりちりと揺れている。それはまるで見えない何かがそこに立って、気まぐれに息を吹きかけているようだった。
「なにを突っ立ってるのさ」
「ひぃっ」
「なんだい、子どもみたいに」
飛び退いて振り返ると、グラウが腰に手を添えて、きょとんと俺を見ている。天井からの月明かりに、グラウの半身が白く透けている。
「……もう幽霊は間に合ってるか」
「怖いのかい。いい歳した男だろうに」
「うるせえ。想像力が豊かなんだよ」
揶揄う声に言いかえし、俺は気を改めた。
夜の墓地か、霊安室か。ホラーには定番な舞台だが、幸いにも俺はもう幽霊と出会っている。今さら半透明の人間がひとりふたり増えようと、驚くことでもないはずだ。
仮に悪霊が襲いかかってきても、たぶん魔法で吹き飛ばせるだろう。
対抗できない未知の存在に襲われるから恐ろしいのであって、殴り合えば勝てると思い直せば、幽霊は対処できる問題のひとつでしかない。
「それで、あー、どれがそうなんだ?」
配慮すべきとは思ったが、うまい言い回しは思いつかなかった。
グラウは気にした風でもなく手近な台座に近づいていく。包まれた布に手を伸ばすが、その指は布をすり抜けてしまった。
「ねえ、ちょいと布をまくってくれない?」
「へいへい」
俺はグラウの反対に回った。顔まわりを覆う布の端に手を伸ばす。ふと止めて、先に手を合わせて黙祷した。
「なに、それ?」
「一応な、礼儀として」
「ふうん? 魔法使いの作法みたいなもの?」
「そんな感じだな。ほら、めくるぞ」
返事を待って布をずらせば、そこには青白い顔をした中年の男がいる。眠っているようにしか見えないが、それは間違いなく死人だった。
生きている人間と、死んでいる人間の違いはどこにあるのか。心臓が鼓動を止めただけで、人は物に変わってしまう。
俺は布を丁寧に戻した。次の台の移り、同じように布の中を確認する。そこに透けていないグラウを見つけた。
「これがあたし、か。他人みたいに自分の顔を見るってのも変な感じだ。ねえ、こんなに顔丸い? 頬のあたりとかさ」
「答えにくい質問をするなっての。こっちは本人と幽霊を前にして戸惑ってんだよ」
「それもそっか。あたしだって変な気分だけど、あんたも気まずいだろうね」
グラウはけらけらと笑った。
目の前には元気な半透明の幽霊がいるが、その肉体は布に包まれて寝台に横たわっている。もう生き返ることはない。
グラウ自身がひょうきんに振る舞うからこそ俺も深刻にならずに済んでいるが、普通に考えればかける言葉に困る状況だ。
そんな感情が顔に出ていたのだろう。グラウは俺を見て首を左右に振った。
「別に気にしなくていいよ。死んじゃったもんは仕方ないさ。遺されて悲しむ人もいないから、気は楽だしね」
「俺に気を遣わなくてもいいっての」
「あんたこそ気を遣ってるじゃないのさ」
「そりゃ遣うだろ」
「死んだばっかりの人間だし?」
悪戯っぽい笑い方をするグラウは、こう言っちゃなんだが死ぬ前よりも明るいように見えた。
酒場で出会ったときのグラウには、取り返しのつかない失敗を悔やむような陰鬱さがあったが、その重荷をすっかり下ろしたようにも見える今の表情は、若々しくさえあった。
グラウは自分の肉体を覗き込み、その額に手をのばした。手は止まり、微かな迷いを見せたが、指先だけがそっと額に触れる。
「……ろくでもない人生だったなあ。どこでおかしくなっちゃったんだろうね」
小さなつぶやきは誰に聞かせるわけでもなく。ただ自分でたしかめるためだけのものだった。
なぜ、グラウは殺されたのか。
立ち入りすぎる質問だと分かっている。訊くべきか迷っている。話したくないこともあれば、誰かに聞いてもらうことで楽になることもある。
口を開きかけたとき、人の声が聞こえた。
幽霊か、と反射的に身を竦めて、耳に意識を集中した。戦えるから怖くないと言ってはみたが、やっぱり魔法が使えようと怖いものは怖いままだ。
息を抑えて待つと、反響してくぐもった話し声と足音が続いている。円型の葬儀堂は八方に通路がのびている。どこかに繋がる道から、誰かがやってきているに違いなかった。
「誰か来たみたいだね。ほら、さっさとあたしを担いで、さっきみたいに扉を抜けな!」
「軽く言うなよな、そんな気安く死体を担げるかよ!」
「それでも男かい!」
「男も女も関係ないだろ!」
小声で言い返しながら、俺はぐるぐるとその場で回った。
廊下はどこも同じに見える。どこから人がやってくるのかは分からない。隠れるには廊下は不安だ。
グラウの言うとおり、目的であるグラウの身体を担いで扉からどこかへ飛ぶのが良いだろうとは分かっていたが、心の準備が必要だ。慌てて死体を抱き上げられるほどには、俺の根性は座っていなかった。
「とにかく、いったんやり過ごすぞ。こんな時間に長居はしないだろ」
悩んで、中央の祠の前に据えられた台に近づく。正方形の祠を囲うように、各面に合わせて四つの台がある。燭台や花、水の注がれた陶器や故人の持ち物やらが並べられた机からは真白いクロスが床まで垂れている。
それを捲り上げてみれば、隠れるのに十分なスペースがあった。
俺は四つん這いになって机の下に潜り込み、ふうと息をついた。垂れた布を通り抜けてグラウが入ってくる。
「お偉い魔法使いさまとは思えないくらい手慣れてるね」
「ありがとよ。隠れるのには慣れてるんだ」
「何をしてたら隠れるのに慣れるわけ?」
「べつに悪いことをしてるわけじゃないんだけどな……強いて言うなら、運が悪い」
ついぼやいてしまったところで、話し声が鮮明になった。俺は口に人差し指を立て、グラウに静かにするようにと合図した。呆れた顔をするんじゃないっての。お前のために来てるんだぞこっちは。
「同胞の死体を集める人間の習性は理解できませんね」
廊下を抜けて葬儀堂に入ってきた女の声が聞こえた。
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