第14話「魔法使いと幽霊による脱獄の手順」
亡霊から願いごとをされた経験もないし、そんな話も聞いたことはない。オカルト話は世に溢れているが、すべては空想の産物だと思っていた。だが自分の目で確かめてしまった以上、主張を変えざるを得ない。
幽霊に頼み事をされるのはおかしな話だが、その依頼内容については「なるほど」と納得してしまった。
自分の死体を取り戻して埋めてほしい。生きている人間には不可能なお願いだ。
グラウは補足を続けた。
「身寄りもないし、あたしの死体は誰も引き取りにはこない。このまま教会の墓地の端っこに、縁者のいない他の遺体とまとめて埋められることになる。死後の世界への信仰なんてもうないし、それで構わないと思ってたんだけど……ほら、こうなってるだろ」
グラウは自分の透けた身体を指差した。
「死んだあとにこんなことがあるんだ。死後の世界もあるのかもしれないし、そうしたら、また妹に会えるかもしれない。自分でも馬鹿らしいとは思ってるけどね、急に怖くなっちまったのさ。それが役に立つのかは分からないけど、妹と同じ墓にいなきゃ、会えないかもしれないだろ」
子どものころの夢を語るような気恥ずかしさを顔に浮かべている。
死後の世界だとか、神の救済だとか、墓の意味だとか。信仰というものといくらか縁遠い現代に生まれた俺にとっては、それはやっぱり絵空事のように思えた。
しかしこうして目の前に死んだあとの存在がいる。現代ではどうかは知らないが、少なくともこの世界には幽霊が存在するのだ。あの世がないとは言えない。
もしかすると天国があって、そこでは死者たちが愉快に、(あるいは地上と同じように少し不愉快に)暮らしている可能性もある。
そうした可能性が明白に目の前に現れたとき、失った家族に会いたいと考えるのは当然だろう。それに関わるであろう物事は、細大漏らさず気を配りたいものだ。
同じ墓に入れば、あの世でも同じ場所に居られる。
子どもの抱く空想的な色合いながら、それは俺にも合理的な判断に思えた。
「つまり、どこかにあるあんたの遺体を引き取って、妹さんと同じ墓地に埋葬されたい、と」
「魔法使いなんだ、それくらいできるだろ?」
「簡単に言ってくれるなっての」
専門的な分野を扱う人間に対して、無知な人間が抱く共通した問題は、それこそ魔法のように簡単になんでもできるのだろう、という過剰な期待だ。
どんな仕事にも無理はあるし、やっていることは地道な手順を重ねるだけだ。
「プロスペローって、貴族のお偉方を怖がらせるようなおっそろしい魔法使いだろ。あたしの死体を持ってくるくらい簡単じゃないのさ」
「いろいろあるんだよ、プロスペローにも」
俺は実は本人ではなくて代役で……と説明するのもおかしく思えて、俺は話を置いた。
「とにかく、この牢獄を出よう。息苦しくなってきた。狭いところ苦手なんだよ」
「あたしはもっと狭苦しいところに入るんだけどね、これから」
「笑えねえ、マジで」
グラウの笑い声が檻の中に響いた。亡霊には不釣り合いな明るい声だった。
「生きてるってのは不便だねえ」
グラウが俺の横を通り、檻に手をかけた。半透明の身体は流体のように檻を通過した。檻の向こう側で振り返り、グラウが俺に手を振っている。
「……あんたみたいに陽気な幽霊ばっかりじゃ、ホラー映画も面白くないだろうな」
「なんだい、ホラー映画って」
「そのうち教えるよ」
俺は腰を屈めて檻の錠に顔を寄せる。突起のついた鉄の棒がかんぬきとなっている。扉には輪型の受け金具があり、棒を通したあとに大型の南京錠を掛ける仕組みになっているようだ。
「もっと脱獄映画でも観とけばよかったな。魔法使いが囚人だったら参考にできたのに」
「考えはあるのかい、ずいぶんと頑丈だけど」
「出す知恵がないときにやることは決まってる」
「へえ、どうするって?」
「ぶっ壊す」
「分かりやすくていいね」
檻から手を出して南京錠を指で探る。箱型の鍵穴部分の上に∩型の金属棒があり、それがかんぬきを止めている。檻ごと壊すのはおおごとだが、扉を開けるだけならこの鍵さえ壊せばいいのだ。
∩型の間に指を置き、意識を集中する。嵐を起こして船を浮かせ、壁を吹き飛ばすほどの風の力を、プロスペローは扱える。だったらこんな鍵を壊すことは容易い。できると信じること、その光景を鮮明に描くことが、魔法には重要だ。
想像するのは風船だ。∩の間に風船が挟まっている。そこに俺が風を押し込む。風船は見る間に膨らんで、∩の左右の棒を押し広げていく……。
ぱきっ、と金属が破裂する音。南京錠が落ちる前に、それを握った。大きい音だった。そのままじっと動きを止めて、耳を澄ませる。
牢番の兵たちが笑い合う声が遠く反響している。
「……バレてないな」
ほっとひと息。ここまでくれば問題は解決だ。檻ごしにかんぬきを動かせば、扉は簡単に開いた。
「これで脱獄成功、っと」
檻を出て通路に待つグラウの前に立つ。胸を張って見せたが、グラウは腕を組んで首を傾げている。
「なんだよ」
「……なんか、地味だね。あたしの店を吹っ飛ばしたみたいにさ、もっとこう、どーんと出るのかと思ったんだけど」
「騒ぎになるだろ。人が集まってきたら困るし」
「うーん、あんたって常識人だ」
「常識知らずよりいいだろ。ちゃんと出れたし」
手に持っている壊れた南京錠を掲げて見せるが、グラウの顔はなんだか物足りなさそうだった。わがままなやつだな。
グラウがいることで姿を隠してしまったエアリアルがちょっと恋しくなった。普段は毒舌だが、こういうときは褒めてくれるやつなのだ。
「……まあ、いいや。それで、あんたの身体はどこにあるんだ?」
「普通は家で通夜だけど、あたしの遺体を引き取ってくれる人はいないしね。葬儀堂に置かれてると思うよ」
「葬儀堂?」
訊き返すと、グラウは苦笑した。
「そっか、あんた偉い人だもんね。平民の文化には疎いのか」
いや、異世界人だから、とはもちろん言えなかった。
「葬儀堂ってのは、小さい教会みたいなもんでね。普通は家で葬式をするものだけど、身寄りがなかったり、事情があって家で葬式が行えないような人間は葬儀堂に運ばれるのさ」
「んじゃ、その葬儀堂に行くか。脱獄がバレる前にさっさとここを離れよう」
「離れようたって、出口はあそこしかないだろ。どうするんだい」
俺は振り返って檻の扉を閉める。鉄格子の扉は隙間だらけだが、扉には変わりがないはず、という気がした。
葬儀堂、葬儀堂、葬儀堂……念入りに呟いて、檻の扉を開く。
「これはびっくりしたろ?」
振り返ると、グラウは目を丸くしていた。
隙間だらけの鉄格子の中で、開かれた扉の部分にだけ白い膜が張っている。薄暗い地下牢の中でほんのりと輝きながら、虹色の光沢が水面のように波打っている。
「これは不思議だ……ここに入れば外に出られるってこと? どういう理屈?」
「俺も知らない」
「それでどうやって魔法使ってるわけ?」
「電子レンジの仕組みは知らなくても、弁当が温まるならそれでいいんだよ」
そのとき、ぽかんとした顔のグラウの、その助けた顔の向こうに、呆然と立っている男が見えた。牢番の兵士だった。男は口をパクパクと開閉させながら震える指先を俺を向けた。
あ、やべっ、脱獄がバレた––––
「ゆ、幽霊……ッ!?」
「そっちか。っていうか他のやつにも見えてるのか、あんた」
「ええ? そうなの? そりゃ驚かせちゃったね」
「のんびりした幽霊ってのもなんか締まらないな。もうちょっとこう、おどろおどろしい方がいいって。叫ぶとか、泣くとか」
「そんなことしてなんの意味があるのさ?」
幽霊のイメージは守れるんじゃないかと思う。
見つかったものは仕方ない。兵士が冷静になって俺を捕まえようとする前に、さっさと扉に入ってしまうことにする。
「じゃ、行きますか」
「面倒かけるね」
魔法使いと幽霊という奇妙な組み合わせで、俺とグラウは白い膜を潜った。
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