第12話「牢獄の中でもひとりじゃない」
貯蓄の多い人間が心やすらかになるように、魔法が使えるというだけで余裕も生まれる。
いざとなれば壁でも檻でも吹き飛ばして逃げればいいのだ、と考えれば、牢の中もカフェのカウンター席も変わりはない。美味いコーヒーは出てこないが、とりあえず腰を落ち着けることはできる。
足元まであるローブの裾の後ろ部分を折りたたんで即席の座布団にして、俺は冷たい石床に座っている。
ここが地下だからか、石造りだからか、牢屋という景観が輪をかけるのか、やけに寒気がした。
ぶるっと震えがきて、俺はローブをかき合わせて身を縮こめた。
「さみいなあ、ちくしょう」
「さっさと逃げればよろしいのでは」
鉄格子の隙間をあっちへこっちへとすり抜けて遊びながらエアリアルが言った。
「たしかに脱獄は憧れる。男の夢のひとつと言っていい」
「檻に入ることが夢だったのですか? 叶いましたね。おめでとうございます」
「出るところがかっこいいのよ。入ってるだけじゃ悲しいだろ」
「ではお出になられては?」
「そりゃ、やろうと思えばできるけどさ」
寒さなどちっとも感じていない様子で、エアリアルがくるくると興味深げに飛び回るのを眺めながら、俺は膝に頬杖をつく。
「ここは地下だろ? 壁を壊して出るのは無理だ。天井か、檻を壊すとすると……人が集まってくる。囲まれたら逃げられないだろ」
「人間など軽く吹き飛ばせるでしょうに。あの魔族に向けたように」
「それは」
たしかにと笑いかけて、俺は笑えなかった。
魔法は暴力だ。銃や剣とは違って、魔法には形がない。あまりに簡単な動作で、目に見えない風が何もかもを破壊する。
エアリアルの言葉に、俺は安易に頷きかけた。邪魔するのであれば、魔法で打ち負かせばいい。
それは俺にとっては正当な行為なのだが、巻き込まれる人間にとっては関係がない。俺はただの加害者になってしまう。
魔法を使うということは、夢いっぱい希望いっぱいのメルヘンなことではない。暴力を振りかざすということに他ならないのだ。
「……あぶねえ」
俺は額を手のひらで拭う。汗はかいていなかったが、嫌なものが張り付いているような気がしたのだ。
「俺、いま、悪役だったわ。権力とか暴力で押さえつける人間が大嫌いだったのに、俺がそうなってたわ、いま」
「それが何か問題ですか?」
ふわりと戻ってきたエアリアルが、俺の正面に浮かぶ。変わらない表情ゆえにやけに透き通った瞳だ。
「振るわぬ力に意味はありません。権力があるなら権力を、暴力があるなら暴力を使う。それが当然では?」
「論理が弱肉強食すぎるんだよ。本人はそれで気持ちいいだろうけどな、わがままを押し付けられる被害者が可哀想だろ」
ふと胸が押されるようにして息苦しいのは、俺にもその経験があるからだろうか。過去の記憶(おそらくは会社勤めだった自分)に、思い出そうとするのも嫌気がさすものがある。
あー、やだやだ、と首を振る。
プロスペローではなく本当の自分……サトウ、なんだっけ? ちょっとすぐには思い出せないが、元の世界に帰るには”冥界の鍵”とやらが必要だという。それを盗んだ少女を追いかけることにもっと必死になるべきだと分かりながらも腰が重いのは、内心のどこかで戻ることに拒否反応があるからかもしれなかった。
「被害者が可哀想」
とエアリアルが俺の言葉を繰り返している。
「その被害者とは、いまのあなたでは?」
エアリアルは宙に浮いたままくるっと一回転。
「ここは人間の作った檻。罪人を閉じ込め、罰するための場所でしょう。あなたは罪を犯していないのにここにいる。間違っていることです」
エアリアルの言うことは間違っていない。
「あなたは愚かで無能で抜けていて魔法の神秘すら理解できない役立たずですが」
「お前、言葉のナイフでならいくらでも刺していいと思ってねえか?」
「それでも同族に拘束され、このような不名誉な境遇を押し付けられることは、理に反するように思います」
じっと俺を見上げるエアリアルの瞳には、揶揄うような意思は見えない。彼女なりに俺のことを思って発言してくれているのだと分かる。
「……まあ、そうだな。俺がここにいるのは間違ってる」
「では、出ましょう。先ほどの者らの言葉を見ても、そこに真実への敬意は見受けられません。同じ言語を使えど、対話が通じぬ相手というのはいるものです」
それは俺を取り調べたおっさんたちのことだろうな。
俺が無罪を訴えたところで、おっさんたちはまるで信用しない。
現代の日本ですら冤罪事件は起きるのだ。ただでさえ鑑識や捜査方法が未発達だろうこの世界で、無罪を証明することは難しい。無罪なら水に浮かぶはずだとか、無罪なら燃やしても生き残るはずだとか、訳のわからないことを言い出される可能性だってある。
つい権力に頼り、従うのは日本人としての事なかれ主義のせいかもしれない。
冤罪でこんな場所に押し込まれても、真実は証明されると根拠もなく信じる気持ちがあった。俺は間違っていないことを知っている。だから他の人も気づいてくれる、と。もしかするとそれは、平和ボケした他人頼りの思考だった。
「するか、脱獄」
「さすがです、プロスペローさま」
俺が膝を叩いて立ち上がると、エアリアルが無表情で拍手をする。
「もともと悪名高いらしいし、今さら炎上も指名手配も怖くないな。意外と気が楽だ」
身体の芯まで冷えてきたし、こんなところで眠れない。壺をトイレとして使うのも嫌だし。決めたらさっさと実行するに限る。
俺は立ち上がり、鉄格子に手をかけた。冷たく、無機質な感触はびくともせずに俺を閉じ込めている。
とりあえず魔法を使えばなんとかなるだろうと、体内で力を巡らせたとき。
「あたしも連れていっておくれよ」
女の声がした。
振り返る。何度も確かめ、誰もいなかったはずである。しかし声はすぐ真後ろに鮮明に聞こえた。そして疑いようもなく、薄暗い牢屋のその中心に女が立っていた。
しかしその姿はレースのカーテン越しのように白くぼやけ、半透明となって石壁を透かしている。
俺が目を丸くして下から上まで何度も眺めるのを、女は笑みで受け止めていた。
「……嘘だろ?」
意図せず漏れた呟きは、まるで他人の声のように耳に届いた。
「ほら、よく言うでしょ? この天と地のあいだには、学問などでは思いもよらぬことがあるのだ……って」
女は––––あのテーブルで刺されて死んでいたはずのグラウは、亡霊となってそこに立っていた。
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