第11話「牢屋にないもの、なーんだ?」


 俺は粗末な木の椅子に座っていた。両手には赤錆の浮いた鉄の手錠がはめられている。それが重いし冷たいし、鋭い目をした中年のおっさんに囲まれているし。


「もう一度、確認するよ。お前さんの名前は?」


 と、机の対面に座っている小太りのおっさんがしゃがれた声で言った。


「プロスペローです」

「……職業は?」

「魔法使いしてます」

「あのねえ」


 俺の左隣に立っていた細身のおじさんが身を乗り出し、机を叩く。

 俺は体を縮こまらせる。


「あんたね、さっさと正直になりなよ。俺はこの仕事をやってもう15年だけどさ、魔法使いプロスペローって名乗ったやつはあんたが5人目!」

「いや、おれが本物で……」

「みーんなそう言うの! 本物のプロスペロー? お伽話から出てきたっていうのかね!」

「いやあ……話せば長いんですけどね……」


 男が鼻を鳴らした。


「状況、分かってる?」

「ここ、警察ですよね」

「なに、警察って? 俺らは警吏。ここは詰所。あんたみたいな犯罪者とか酔っ払いを留め置いて、必要があれば捜査するわけだ」

「いや、犯罪者じゃないんですけど」

「犯罪者はみんなそう言うんだよ、プロスペロー」


 俺がいるのは石造りの部屋だった。壁の高いところに明かり取りの小窓があったが、頭も入らないような細い造りになっている。そこからは光も入らず、ただ夜の暗さが広がっている。

 唯一の灯りである壁掛けのろうそくに照らされて、警吏のおじさんの姿が影絵になっていた。


「まあ、何だって構わん。魔法使いだろうが、魔族だろうが、わしの所轄でやったことの責任を取ってくれるならな」


 正面に座る小太りのおじさんが、気だるそうに髭をいじっている。


「報告を受けたが、そもそもあんた、昼にも警吏の姿を見て逃げ出してたそうだね。夜には爆発騒ぎ、おまけに女の刺殺体。で、あんたは右手に血まみれの凶器を持っていた。どう見ても犯人だわな」

「だから、さっきから言ってるとおり」


 反論しようとすると、細身のおじさんが俺の肩に手を置いた。


「もう聞いたよそりゃ。女はあんたが寝てる間に死んでいて、顔を隠した黒づくめの魔族が犯人なんだろ?」


 その通り、と俺が頷くと、肩を押さえつけるように力が加わった。


「あんたは魔法使いじゃなかったか? それもあの悪名高い伝説のプロスペローさまだ。だったら、なんで魔族を取り逃したんだ? なんで警吏に捕まった? 霧のように姿を消して逃げちまえばよかったのに」


 ぷぅ、と効果音のように息を吹き、男は俺の眼前で拳から指を広げて見せた。


「逃げたくても逃げられなかった。だってあんたはただの人間だからだ。だろ? なんだ、女にこっぴどく振られたのか。金の問題でもあったか。わかるよ、ついカッとなっちまったんだろう?」


 細身のおっさんがしゃがみ、俺の顔を見上げてくる。声音は優しいが、目はちっとも笑っていない。完璧に俺を犯人だと思っている。


 いや、まあ、そうだよなあ、とため息もつきたくなる。

 殺人現場に不審者がひとり。おまけに凶器を握っているのだ。どう見たって犯人は俺だ。誰でもそう考える。つい拾ったとはいえ、迂闊だった。


 なんで警吏に捕まったのかといえば、逃げ場がなかったからだ。

 正面の扉からは警吏たちが入ってきたし、裏口へ続く廊下は俺が吹き飛ばした瓦礫で道が塞がっていた。壁に開いた大穴から飛び出そうにも、俺はそんな魔法は習得していない。


 やばいとは思いながらも抵抗もしなかったのは、話せばわかってくれるのでは、と思ってしまったからだ。

 俺は無実だ。無実の人間は信じてもらえる。

 そんな甘っちょろい話はなかった。取り調べのおっさんたちは俺の言い分を聞く様子もない。


「……グラウは本当に死んでたのか?」

「グラウ。それがあの女の名前か。ああ死んでたよ。どういう関係性だ? お前の女だったのか?」


 そうか、やっぱり死んでたのか。

 奇妙な空白、実感のない虚脱感、悲しみきれない感情に自分でも戸惑う。


「……ろくに会話もしてない。出会ったばかりの他人だ。けど、彼女は俺を助けてくれた。良い人だった」

「だったらどうして殺した?」


 小太りのおっさんが髭を捻りながら言った。グラウにも、目の前の俺にも興味はないと告げている。

 あの魔族に殺されることになったグラウの人生と。冤罪と着せられそうになっている俺と。


 どれだけ無罪を主張しようと、状況をわかってもらおうとしても、無駄なのだ。問題を解決する立場にあり、それを可能にする力を持っている目の前の人間たちにはその気がない。


「俺は、殺してない。犯人は別にいる」

「そうか、お前がそういうならそうなんだろうな、プロスペロー。何たってお前は偉大な魔法使いだ。悪名高いあんたを牢にぶち込む俺は勇者さまってところか」


 小太りの男の言葉に、細身のおっさんが笑う。


「まあいいさ、無実を訴える気なら裁判でも何でもすりゃいい。自称魔法使いの殺人者を弁護したいってやつが見つかるなら、だが。それまではうちのホテルでゆっくりしてくれ、魔法使いさま」


 小太りの男は立ち上がり、もう俺には興味もくれずに部屋を出て行った。

 残った細身のおっさんが俺の脚を小突く。


「ほら、立て。お前は運がいい。ちょうど昨日、溜まってたやつらを移送したばっかりだ。いつもなら楽しい同居人がいるが、今日は貸切だぞ」

「……足が伸ばせそうで嬉しいよ」


 肘を掴まれて部屋を出る。

 俺はもう逃げ出すことに心を決めている。


 警察組織なら分かってくれる。むしろ、真犯人を目撃した以上は証言する責任がある……そう考えていたが、まるっきり無駄だった。空を飛ぶ魔法は使えないが、扉さえあればどこにでも行ける魔法はある。


 通路を歩きながら手頃な扉を探すが、細身の男はがっちりと俺の腕を掴んでいるし、狭い通路にある扉は、鍵が開いているのかどうか分からない。

 逃げ出す機会を伺っているうちに、細身のおっさんは奥まった扉を開けた。冷えた湿っぽい空気があふれてきて、思わず背筋が寒くなる。地下に向けて階段が続いている。


 背を押され、今度は俺が先導する形で階段を降りる。今なら走って逃げられるが、地下に逃げ道があるわけもないし、鍵の開いている扉があるとも思えない。

 階段の出口は鉄格子の扉が塞いでいた。格子の向こうは小部屋になっていて、並んだ机にふたりの警吏が座っている。


「おい、開けろ。宿泊だ」


 俺の肩越しに細身のおっさんが告げると、座っていたひとりが駆け寄ってきた。少年のように若々しい男だ。


「また酔っ払いですか? それとも無銭飲食?」

「殺人だ」

「へっ」

「前みたいなヘマはするなよ、ナッシュ」

「は、はいっ」


 慌てた様子で鍵が開けられる。細身の男は俺を中に押し込むと、そのまま階段を上がって行った。

 殺人という言葉で張り詰めた空気の中、ふたりの警吏に挟まれるようにして小部屋を進んだ。その先に、壁一面を区切る鉄格子。まるで刑務所だ。


 ひとりが扉を開け、中に入る。

 通路の左右に檻の個室が並んでいる。蝋燭はわずかで、部屋全体が暗く沈んでいた。冷え冷えとした空気が重く溜まっていて、それをかき混ぜるように歩く足がやけに重く感じられる。


 警吏たちが立ち止まる。その一室が俺の今夜の寝床らしい。

 牢の扉が開いた。錆びついた金属の悲鳴が反響する。会話もなく、俺は牢に入った。背中でがちゃん、と鍵が閉められる。

 警吏たちの遠ざかる背中を見送って、俺はため息をついて部屋を眺めた。


「……ないじゃん、扉」


 地下に入るまでのどこかで、無理にでも試すべきだったか。

 狭い部屋である。奥は石の壁だ。周りは鉄の檻で囲われていて、遮るものもない。隅に甕がひとつ置いてあった。そこから漂うこびりついた臭気が、その用途を教えてくれていた。

 部屋の中央まで歩いて、ぐるりとその場で身体を回した。


「……ベッドは?」


 自分の声が檻の中に寒々しく反響した。



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