第4話「赤と白と青と」
真っ白な光を通り抜けてすぐ目を開けようとして、吹き付ける熱風に思わず手で目をかばった。かざした手のひらに焼けるような熱を感じた。
「はあ?」
目を開く。
視界いっぱいに赤が広がっていた。燃えていた。
どこかの広い部屋だ。壁には絵が飾られ、ソファやテーブルがあり、大きな絨毯が敷き詰められている。けれどそのどれもが、今は炎に包まれていた。火は壁にまで張り付き、天井を舐めている。
予想だにしない光景に引き攣った笑い声が出たが、その途端、喉に入ってきた空気に咽せる。熱っぽさと焦げ臭さに身体が拒絶反応を起こして、堪えようもなく咳が続いた。
その場に膝をついて姿勢を低くし、咳が治まるのを待つ。と、煙臭さのない清涼な空気が周囲を覆った。水面から顔を出したときのように俺は大きく息を吸った。
「え、エアリアルか。助かった」
「燃えておりますね」
「なんだって火事の真っただ中に繋がるんだよ」
エアリアルが生んだ風の渦が身体を囲んでいる。おかげで熱も煙も届かない。それでも炎のど真ん中にいることは変わりなく、呆然と部屋を眺めている。
「扉をつなげたのはあなたでしょう」
「炎の中に飛び込みたいなんて思っちゃいない」
「ではさっさと戻られたほうがよろしいのでは?」
「このままにして?」
真っ赤に染まった部屋を指させば、エアリアルは首を傾げた。
「消す必要があるのですか?」
「そりゃ、そう言われるとそうなんだが」
妖精だからか、エアリアルの性格なのか、言葉はスッパリとしている。冷酷だとも、頓着がないとも言えるが、単に合理的なだけかもしれない。
何かするべきでは、と思う気持ちはあっても、客観的に見ればたしかに俺には関係のないことだ。
部屋の中に助けを求めている人もいないし、ここまで燃え盛っているものを消せるとも思えない。
そりゃ魔法使いであるプロスペローならば容易いのだろうが、なんちゃって魔法使いの俺にできるのは風を起こすくらいのもので、火に風を送り込んだら余計に燃えるだけだろう。
なにより、他人よりもまずは自分の安全が優先だ。
火は絨毯に燃え移り、すぐそこの足元にまで迫りつつあった。黒く焦げた煙は天井に滞留し始め、熱気が風の渦を超えて頬を熱くしている。悠長にしていたらここで死ぬのは間違いなかった。
振り向けば扉がある。今まさに壁を辿った炎が扉の端に手を伸ばしたところだった。
「あっぶね」
扉がなくなればどこにも行けないところだった。とにかくこの部屋から離れるためにドアノブに手を伸ばし、開けて、白い膜へと飛び込む。
景色が白んで見えたのは、そこがあまりに明るい場所だったからだ。目を開けると、俺は鮮やかな緑の芝生を前にしていた。
天気は快晴間違いなしの真っ昼間で、青空には絵本のような雲が浮かんでいた。振り返ると、小さな物置小屋がある。
たったいま見てきたばかりの炎の中での光景との落差に、しばらく突っ立っていた。
「なんだったんだ、今の」
「何なんだ、お前は」
「はい?」
急に男の声がして、俺は左側に顔を向けた。
鎧を着た男が立っていた。手には槍を持ち、目を丸くして俺を見つめている。ぴかぴかの鎧が陽光を受けて輝いていた。
衛兵、という呼び方が頭に浮かんだ。男と視線が絡んでいる。だから、その目が混乱から警戒へと移り変わるのが分かった。
男が口を開いて……あ、やばい、と思った時には、もう遅かったのである。
「––––侵入者ァ!」
「だろうなぁ!」
人間は学習して適応するものだ。海賊と鬼ごっこをした仲だ。俺はもう逃げることを学習している。衛兵が叫ぶのと同時に、背中を向けて駆け出していた。
背後から怒鳴り声で呼び止められるが、もちろん止まるわけもない。身の潔白の照明だとか、無実を訴えるとか、そんなものが成り立たないのはわかりきっている。
「待てぇ!」
「それで待つやつ見たことないだろ!」
どこに迷い込んだのか知らないが、侵入禁止だったに違いない。勝手に入って悪いとは思うが、捕まるのはごめんだ。
そこは公園か、広い庭園のように見えた。芝生の広場があり、周囲を木々や植え込みが囲んでいる。
茂る木々の葉の隙間から、遠目に建物が見えるのだが、一部分を見ただけで豪邸と分かる構えをしていた。警備がいる大豪邸の庭に入り込んでしまったらしい。
芝生の広場の端に作られた石畳の歩道を走る。緩やかな弧をかいて続く先に、二人組の衛兵が走ってくるのが見えた。
挟み撃ちはやばい。魔法で戦うことはできるだろうが、それをしてしまったら本当にただの襲撃犯になってしまう。
屋敷から遠ざかるようにして道を外れた。背よりも高い植え込みが道を作っている。色とりどりの花が咲く通路は、厄介なことに右に左にと分岐していて、まるで迷路だった。
正しい道を考える余裕もなく、とにかく目に見えた先を適当に折れて進む。
背後で俺を見失った衛兵が戸惑う声が聞こえるので、追っ手から逃げるという目的にはちょうどいい。問題は、このままどこかに出られるかどうか、なのだが。
鉄で作られたアーチに蔦が巻きつき、オレンジの花が咲いていた。潜り抜けると、そこは小さな広場になっていた。周囲は植え込みの壁に囲まれていて、その中心にポツンとひとつ、白い東屋が建っている。
ぜえぜえと荒い呼吸を整えながら、一本道を東屋に進んでいく。道の周りは花壇になっていて、花の海の上を歩いているみたいだった。
三段ほどの階段を上がる。六本の柱で囲まれた東屋の中には、大きな丸テーブルと二脚の椅子が置かれていた。すぐ脇には白銀のワゴンが並び、見るからに品の良いティーセットの一式が置かれていた。
そのティーセットの持ち主が、目の前にいた。テーブルにもたれ掛かるようにして組んだ腕に頬を乗せて、少女がひとり眠っている。透き通るような白い髪を結い上げ、足元を隠して余りあるほど裾の長いドレスを着ている。
まるでお姫様だな、と悠長に考えた。あまりに幻想的な場所に吊り合う姿を見つけて、俺は追われていることも忘れて見惚れてしまったのだった。
青い陰溜まりができている東屋の中で、春のような柔らかい日差しが真っ白なドレスの裾を照らしている。
どこからか風が吹いた。周囲で花弁が舞い上がった。いくつかが東屋に滑りこみ、真っ白な少女の上に降り落ちて色彩を増やした。頭の上に乗った真っ赤な一枚の花びらをつまみ取ろうと手を伸ばしたとき、少女の睫毛がふと震え、青い瞳がおれを見上げた。
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