第3話「逃げるが勝ちの魔法」

 

「アロンゾ殿下ってのは人間の国の王子様だよな? さっきのサミュエルは、悪魔なのか? 角生えてるし」


 靴を脱いであぐらをかいて、肘掛けに置いたままだったコーヒーを取った。ひと口飲むとすでにぬるく、時間を置いてしまったために酸味が目立つ。


「悪魔ではなく魔族の一種です。以前にもお話しましたが、あなたの脳みそでは覚えていないと推察してもう一度教えて差し上げます。あの者は四塔がうちのひとつ”黒山羊”に属しております」

「俺を言葉でいじめることに抵抗はないのか? 確かに覚えてないけども。つまりその魔族ってやつは四つの派閥に分かれてるってこと?」

「仕方ありませんね、赤子のように常識知らずのあなたに私が解説してあげます」

「やけにウキウキしてないか?」


 エアリアルは俺の前にふわりと浮かぶと、人差し指を指揮棒のように振った。

 青白い線が空中に描かれ、それは地図のような形になっていく。真ん中に黒丸がひとつ浮かび、周囲を△のマークが囲んだ。


「ここが私たちがいまいる“塔”です。この山脈を境に、東側が人間の領地に。西側が魔族の領地となっています。かつては魔王によって統治されていましたが、今では四つに分かれ、それぞれを四つの種族がおさめる形です。後継者不在のために内乱状態というわけです」


 エアリアルが指を振ると、西側の空白地に線が引かれ、四つに分割された領地が描かれた。


「え、魔王って死んだの? まさか、勇者が––––!?」

「いえ、食あたりです。珍味に目がないことで有名な魔王でした」

「……そっか。なんか、ちょっとさびしい気分になっちゃったな」

「? ニンゲンの機微は難しいものですね」


 ファンタジーには定番の存在だ。魔王でも勇者でも見たかった。それに死因が食あたりじゃ格好もつかないだろうに。


「うん? 待てよ、じゃあ俺たちがいるこの塔は何なんだ? プロスペローは魔族じゃないよな? なんでここに住んでるんだ」

「それについては私の知らぬ時代のことですが」と前置きをして、「かつてこの山は白竜族が支配していたとか。人間の領地に侵攻した際、プロスペローさまが討ち滅ぼし、そのままこの塔を奪取したようです。以来、この山脈一帯は事実上プロスペローさまの領地として、魔族と人族共々に認めざるを得ない状況になったのではないかと」


 俺はコーヒーを飲みかけたまま動きを止めてしまう。


「……もともとは五大魔族だったのを、ひとつ滅ぼしたってこと? プロスペローが?」

「はい」

「この塔に乗り込んで、占拠したって? ひとりで?」

「はい」

「化け物じゃねえか」

「ですから”悪の魔法使い”として恐れられているのです。この塔を手に入れて以後、プロスペローさまは魔族はもとより人間族からの交渉も受け付けていません。その絶対的な魔法力により、言わば第三の勢力としてこの境界地を抑えていらっしゃるのです。そのおかげで人魔の争いが顕在化することもなく時が過ぎたと考えれば、ある意味では平和の使者かもしれませんが」

「冗談か? 本気か?」


 訊き返す自分の頬が引き攣るのが分かった。

 常識的に考えて、この場所は危険だ。元は魔族側の領地だし、人間側からすれば魔族と繋がる軍略路だ。そんな場所に何も言うことをきかないし、何をするかも分からないめちゃくちゃ力を持った魔法使いが居座っていたら、どう考えたって不安だし鬱陶しいだろう。


「やばいかもしれん」

「なにがですか?」

「なあ、エアリアル。アロンゾ殿下があんな軍隊と一緒に手紙をよこしたことはあるか?」

「いえ、私の記憶では初めてのことです」

「最悪」


 俺は頭を抱えた。


「なにを怯えているのです?」

「今まで、人間側はそっとしておいたんだろ? この塔を。それはたぶん、プロスペローが厄介だってことと、国の中でもどう対処するか迷ってたんだろう。それが急に軍隊と一緒に正式な手紙を送ってきたってことは、何かしらの方針が決まったってことだろ」

「方針」


 エアリアルはきょとんとしている。妖精だからな、人間の考えることはよく分からないのかもしれない。


「魔族が仲間割れしているうちに向こうに攻め込みたいとか、プロスペローを仲間に引き込みたいとか……よく分からんが、呼び出したってことは、何かしらの企みがあるんだって。あー、やべ。手紙の中を見ておけばよかった」


 知らないままのほうが良い厄介ごとと、知っておかないとまずい厄介ごとがある。仕事と同じだ。知りませんでしたと後から誤魔化すにしたって、本当に知らないままではまずいこともあるのだ。知った上で誤魔化すかどうか決めなきゃいけなかった。


「あの手紙の中身が知りたい。今から取り戻せないかな」

「やれぬことはないと思いますが」

「俺がプロスペローだったら、そりゃ簡単だったろうな」


 額を抑えながらぼやく。

 俺がそうしたいと願うだけで、扉があちこちに繋がったり、嵐が起きて船を浮かばせるのだ。魔法なんてのはおおよそ何でもありだろう。だが何にせよ使い方を熟知していない技術は宝の持ち腐れ。取り戻したいと思えど、それを魔法でどうやって叶えれば良いのかが分からない。


「私に命じればよろしいのでは? プロスペローさまはよくそうなさっていましたが」

「……しない。仮にするとしたら、ちゃんと頼みごととしてそうするし。ま、渡したもんは仕方ないか」


 俺は手をぷらぷらと振って、残ったコーヒーを飲み干した。

 たぶんやばいとは思うのだが、どこか他人事のように思える余裕がある。問題の中心はプロスペローだ。今は俺が成り代わっているとはいえ、もちろん本人じゃない。代役のようなものである。


 それに、これがたとえば会社の仕事でのミスであれば、俺はもっと焦っただろう。

 結果的にどうなるか分かるからだ。あの先輩にねちっこく嫌味を言われる、あの上司に呼び出されて詰められる、今後は同僚たちからどう思われるか……失敗した後の自分の未来が具体的に想像できるというものだ。


 この世界のことをいまいち理解しきれていない以上、この失敗が結局どう転ぶのか、何を運んでくるのか、俺には具体的な想像ができないでいる。

 たぶん良くないとは思うが、じゃあそれがどの程度の事態になるのか計り知れない以上、どれほど焦ればいいのかも分からず、結果的にまあいいかという楽観性にたどり着いたというわけで。


「問題が起きてから考えようっと」


 頷いて、俺はソファの背もたれに身を預けた。雲に座っているような心地良さだ。このまま一眠りしたくなる。

 

 昨日は海賊と一緒に船旅だったからな、今日はこうしてゆっくり……と堕落しかけてすぐ、いや、これでいいのかと思い直した。


 俺はハニーゴールドとの出会いの中で、これまでの自分とはおさらばしたんじゃなかったか。

 他人の都合で振り回されたり、押し付けられた要求を迎合するような人生は嫌だと思い直したのだ。


「俺は、間違ってた」

「それはそうでしょうね」

「そこは『なにがですか』だろ? なんで全肯定なんだよ」

「慎ましやかな妖精ですので」

「なるほどな。俺は謙虚で素晴らしい人間だ」

「なにがですか?」

「なんでそこは肯定しないんだよ!?」


 エアリアルはツンとした無表情で俺を見つめ返している。声を上げた俺がおかしいみたいじゃねえか。


「まあいい。とにかく、俺は間違ってた。王国だとか魔族だとか知らんが、プロスペローに用事を言いつけたいんだろう。俺はそいつらの目的が分かるまでここで待とうとしてた。だが、これはあまりに受け身だ」

「はあ」

「相手の連絡が来るまで待っている。これは相手に主導権を譲っているのと同じだ。相手がお祈りメールを送ってくるまでそわそわして待つなんてごめんだね。俺の方からお祈りしてやるわクソ上場企業め、なにがこれからのご活躍をお祈りしますだ、けっ」

「なにがですか?」

「今は深掘りしなくていい。記憶にないが勝手に言葉が出てきた。たぶんトラウマがあるんだと思う」


 俺はこめかみを抑えた。この世界でプロスペローの身体に入ってから、いまだに自分のことすらはっきりと思い出せない。しかしどうも感情が昂ると反射的に過去に関連した言葉が飛び出るようだった。

 俺は肘掛けを叩くように勢いをつけてソファから立ち上がった。


「王国からの呼び出しだの魔族からの手紙だの、知ったことじゃない。俺は俺のやりたいことをやる。この塔で相手の出方を待つなんてごめんだ」

「お気持ちはよく分かりました。それで、どうするのです」


 小首をかしげるエアリアルに俺は宣言する。


「王都に乗り込む」


 俺の決め顔に決意の強さを感じたのか、エアリアルは目をちょっとだけ見開いた。

 今のセリフは我ながらかっこよかったと思う。


「王都がどこかご存知ないでしょう?」

「今の俺は扉を開けばどこにでも行ける。なんて便利なんだ、魔法」

「すっかり魔法使いらしくなったようでなによりです。それで、王都に乗り込んでなにをするつもりですか」

「そりゃ、王宮に……挨拶に……?」


 俺の自信無さげな返答に、エアリアルがため息をついた。


「それが招請状の目的でしょうに。アロンゾ殿下の要求をこれでもかと迎合していますが、よろしいのですか?」

「そ、そうか。王宮に行くのはだめか。何しろ謙虚な性格だからな、こういうときに慣れがない」

「なにがですか?」

「それはもういい。えーと、じゃあどうするかな」


 腕を組んで悩む俺を見て、エアリアルがやれやれと言わんばかりに目を伏せて首を振った。


「つまり、この塔で相手の出方を待つがために自由を束縛されるのが気に食わないということでしょうか」

「そう、その通り。俺は俺自身の自由を守る権利と義務がある」

「では遍歴に出られては?」


 とエアリアルは言った。


「遍歴、か」


 俺は「ほう」と興味深げに頷き、顎を撫でて検討するふりをした。


「––––なんだ、遍歴って?」

「……」

「そう冷めた目で俺を見るなよ。照れるだろ」

「広く巡り歩くことです」

「旅をするってことか? 最初からそう言えって」

「……」

「旅か、それもいいな。よく分からん世界だが、要するに外国みたいなもんだ。あちこちに出かけて、帰りたくなったら扉を通ればすぐにここに戻るわけだ。めっちゃいい」


 考えるだけでわくわくした。旅、という言葉には魔力がある。もしかすると俺はずっと旅がしたかったのかもしれないという気さえしてきた。


「よし、遍歴に出よう。いくぞエアリアル」

「……いいですけど」


 なぜかすっきりしない顔をしていたが、エアリアルはため息をつきながら俺の肩に乗った。

 俺はさっそく扉に歩み寄る。新幹線だの長距離観光バスだのと、目的地に行くまでの楽しみはなくなってしまうが、雪山から徒歩で出かけるより気楽に済む。

 うきうきと扉のノブを掴んだとき、エアリアルが俺の髪の毛をくいっと引っ張った。


「どこに行くか決めているのですか?」


 俺ははたと動きを止めた。扉を繋げるためには目的地が必要だ。どこかそこらへん、というアバウトさではどこに繋がるかわかったものじゃない。地下の扉から少女を追いかけたときには、海の上の船に繋がった。

 うん? 女の子?


「……やべ、忘れてた。女の子を追いかけないとじゃん」


 俺は愕然とした。寝起きから訪問者続きですっかり忘れていたのだが、そもそも、俺は元の世界に帰りたかったはずだった。そのためには異世界にすら扉を繋げる“冥界の鍵”とやらが必要不可欠で、それを盗んだ少女を捕まえない限り、俺は帰れない。


 少女の背を追ってハニーゴールドの幼少期に––––つまり過去まで追いかけて、俺は少女を見失っていた。追いかけたいのはもちろんだが、現在だけでなく過去の世界までを捜索しなきゃならない現状で、果たして見つけられるのだろうか。

 思わず唸ってしまった。旅行とか行ってうきうきしている場合じゃなかったかもしれん。

 過去。過去かあ。そういえばあれは時間旅行ってことになるんだろうか。

 とそのとき、窓がばたんと開いた。冷気と共に怒鳴り声が飛び込んできた。


「魔法使い! これは貴様宛の書状ではないか! 貴様のせいで私が主人の前でどれほどの恥を––––」 

「あ、やべっ」


 サミュエルから逃げるためには悩んでいる暇はなかった。俺は咄嗟にドアノブを握り、王都、念じて扉を開いた。


「待て! 逃げるのか貴様ァ!」

「あばよ、とっつぁん!」

「とっつぁんとはなんですか?」


 髪の毛をくいくいと引かれながら、俺は白い膜に飛び込んだ。




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