第2話「人間さんからお手紙ついた。それは読まずに黒山羊さんへ」

 

 

 一瞬の静寂があった。男は一目散に逃げ去ってしまう。塔の正面には兵士たちが並んでいた。見るからに物騒だ。


 逃げ帰った兵士と入れ違いに、ひとりの男がこちらにやって来た。身長は低いががっしりとした体格で、髭で覆われた顎は四角形のようにエラが張っている。寒さのために頬も耳も赤くしながら、のっしのっしと歩く。


 扉の境界線を前に立ち止まると、男は厚ぼったい瞼の下でじろじろと視線を動かして俺を確かめた。


「其の方が"魔法使い"プロスペロー殿か」

「……まあ、そうだな」


 男は俺ごしに塔の中を覗こうと顔を動かしたが、俺の咎める視線に気づくと、笑みを見せる。


「いや、失礼した。噂ばかり独り歩きしておる、かの悪名高き魔法使い殿にお会いできて良かった。本意ではなくとも、扉を破らねばならぬかと心配しておった。なにしろ必ずお会いしろとのお言葉。おお、そうであった、吾輩はクアン子爵である。この一通の書状を届けるため、はるばるこの辺境まで参ったのよ」


 ははは、と笑いながら、クアン子爵は手にした箱を掲げて見せた。

 正面を俺に向け、錠を外して開く。紫の内張りの中心に作られた豪勢な凹みに、封筒ぽつんと置かれている。

 過剰包装じゃないか?


「手紙を届けるためだけにこの人数で?」


 驚きと呆れとを混ぜた感情で見れば、クアン子爵は堂々と胸を張る。鼻の穴が広がった。


「さもあらん。ただしこれはただの書状ではない。アロンゾ殿下直々の招請状である。殿下は魔法使い殿にお会いしたいがため、その誠意としてこうして吾輩を遣わせたのだ。さ、謹んで受け取られよ」


 差し出された箱を前に無視もできず、俺は招請状とやらを取った。

 クアン子爵は満足げに頷いた。


「これで大役を果たせたというもの。たしかにお渡しいたしましたぞ。いやはや、王都からの道のりは遠く、いくつもの大河と荒野を抜け、ついには辺境の大雪山に踏み入ってここに至った。私も兵も修験者になったような心持ちでしたな」


 言いながら、クアン子爵はちらちらと俺を見た。働く大人特有の言外の思わせぶりを察知する能力を身につけている俺は、クアン子爵が言いたいことを理解できた。


「それは大変なお務めでしたね」

「いえいえ、これも吾輩にご期待されてのこと。身に余る光栄な務め」

「では、帰りもお気をつけて」

「は?」


 肩透かしをくらったようにぽかんとした顔に慇懃に会釈をして、俺は扉を閉めて、かんぬきを元に戻した。


 こっちは疲れてるから中で休ませろや、という要求はわかるのだが、訳のわからんおっさんをもてなす義理はないのだ。

 受け取った書状をためつすがめつしていると、エアリアルがひょこんと姿を見せた。


「聖王国からの招請状ですか。人間は本当に持ってまわった儀礼が好きなのですね」

「招請状って何かわかる? あとサンドイッチどこいった?」

「お招き状です。プロスペローさまは似たような書状をあちこちから年中受け取っておりました。サンドイッチは食べ終わりました」


 俺はエアリアルを見返した。相変わらずの無表情が平然としている。


「その細い身体のどこにあのサンドイッチが入ったんだ? お前よりデカいはずなんだが」

「妖精ですので」

「微妙に説得力があって嫌だな」


 答えながら、俺は扉を開けて客間に戻る。サラマンダーがしっかりと温めてくれている部屋はぬくぬくと暖かい。

 ようやくほっとできる……と思っていたのに、客間には呼んでもいない客がいた。


「招請状を送った覚えはないんだが」

「もらった覚えもないな。だが私にそんなものは必要ない」


 見上げるような長身に、死人のように白い顔。作り物めいた容貌は整っているのだが、痩けた頬と血色の悪さも相まって不気味な雰囲気がある。腰まである長い白髪も印象的だが、額から左右のこめかみに捩れて生えている黒々とした山羊の角が、人間ではない何よりの証だった。


「ええと……そういえば名前は聞いたっけ?」

「私の名を利用して呪いでもかけるつもりなのだろう。小賢しい」

「わかったわかった」


 俺は手を振った。

 この世界でエアリアルの次に会った男の正体を、俺はいまいち分かっていない。俺をプロスペローとして怖がっているのは間違いなく、それがかえって交流に難をきたしている。


「それで黒山羊角貧血顔男はなにしに来たんだよ。ていうか勝手に入るなよ」

「待て、なんだその呼び名は」

「仕方ないだろ、名前知らないんだから」


 黒山羊角貧血顔幸薄男は苦虫を噛み潰したように表情を歪めた。顔立ちがいいものだから、そんな表情もサマになっているのが癪だ。


「……サミュエルだ」


 見るからに渋々と名乗る。


「名前までイケメンかよ。呪いをかけるぞ」


 途端、サミュエルが慌てて身を引いて窓に駆け寄った。そのまま窓を開けて飛び出そうとするので俺の方が焦った。


「冗談! 冗談だって! かけない! 呪いなんてかけない!」


 サミュエルは顔だけを振り返り、俺を睨め付ける。


「……本当か? 本当だろうな? 弄するつもりなら私はここで貴様を縊り殺す」

「脅迫じゃねえか。しないよ。約束する」


 俺は両手を上げる。

 サミュエルは俺の一挙手も見逃さないとばかりに睨みつけながら身体を相対させた。


「……私が、ここに来たのは、貴様の返事を受け取るためだ。もう充分に検討とやらのための時間は与えただろう」

「あー、そうか。そうだったな」


 プロスペローは以前にサミュエルの上司から手紙をもらっていたらしい。

 その返事を受け取りに来たと言っていたのを思い出した。その時は訳も分からず、とりあえずまた今度ね、と誤魔化したのだが、すっかり忘れていた。


「よもや忘れていたとは言うまいな」

「もちろんしっかり覚えてる」


 忘れていたと正直に言おうものなら、サミュエルはブチ切れそうだ。

 線の細い顔立ちは神経質さを宿していて、怒らせるとやばいタイプに間違いない。おまけに、幻覚でなければ、サミュエルの身体からは赤黒い靄のようなものが立ち上っていた。人間ではない超常の存在がキレたらどうなるか分かったものじゃない。


 かといってその場しのぎでこれ以上の嘘を並べてもサミュエルは怒るに違いない。

 俺はこの場を凌ぐためになんとかせねば、と頭を捻り、手に持った紙を思い出した。


「これだ」

「ほう、今度こそ用意していたか」


 サミュエルは余裕たっぷりの声音で、しかしできるだけ窓から離れないように腕を伸ばして、俺が差し出した書状を受け取った。


「この紙質、一等品ではないか。良い心がけだ」

「そ、そうだろう。無礼があっちゃいけないからな」

「私はお前を見くびっていたかもしれぬ、許せよ魔法使い。その心意気、我が主人によく伝えておこう」


 サミュエルは満足そうに書状を懐に収めると、恭しくも一礼した。


「早朝より邪魔をしたな」


 マントを掴んで回転したかと思うと、サミュエルの身体はたちまちに黒い煙と変化し、開け放たれた窓から飛び出して行った。


「あなたはなにをやっているのですか?」


 姿を現したエアリアルが俺の肩に座り、呆れた口調で言う。


「……仕方ないだろ。まだ返事を用意してないって言ったら絶対に怒ったぞ、あいつ」

「そうですね、プロスペローさま宛の王国からの招請状を持ち帰れば、あの者も大いに喜びましょう」

「皮肉をどーも」


 とっさに渡してしまったが、改めてそう言われるとまずいことをした気分になってきた。サミュエルがあれほど怖いのだ。その主人となったら、もっと恐ろしいに違いない。


「やばいな。守りを固めよう。そして引きこもろう」


 俺は決意を固めて窓を閉めた。


「でも逆に考えれば、これで書状を読まなくて済むんだ。読まなきゃ知らないのと同じ。アロンゾ殿下とやらの呼び出しに答えなくてもいい……よな? 不安になってきた」

「あなたの行動を肯定するわけではありませんが、プロスペローさまも同じように無視されたことでしょう。アロンゾ殿下はプロスペローさまを蛇蝎の如く嫌っておいででした。くだらぬ企みを感じます」

「へえ、プロスペローは王都まで行ったことがあるのか。何をしたらそんなに嫌われるんだ?」

「プロスペローさまは全く心当たりがない、初めて会うのに、と仰っていましたが、どうせ覚えていないだけでしょう」

「ふうん。プロスペローがそうするっていうなら、俺がやっても問題ないな。よし、アロンゾ殿下とかいうのは無視しよう」


 目の前の問題を棚上げしただけにすぎないのだが、見えなくなれば存在しないのと同じだ。

 俺はあくびをしてソファにぼすんと座った。年季の入った革張りのソファは大きく、身体が包まれるようで心地良い。雪山の塔のてっぺんでソファに座っていると、まるで悪の魔法使いになった気分だった。




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