第2幕「わるい魔法使いの歩き方」

第1話「コーヒーとサンドイッチに妖精を添えて」


「魔法使いの朝は一杯のコーヒーから始まる……」


 カップからもうもうと湯気が立ち昇っている。

 香ばしいにおいが鼻をくすぐる。ひと口を舐めると、柑橘類を彷彿とさせる酸味が、爽やかなに鼻を抜けた。


 カフェインは最高だ。

 ふう、と息を吐くと、それもまた白いもやとなって宙に溶けていった。


 窓を開け放って、枠に肘をつきながら、優雅な朝の時間を過ごしている。

 夜が明けてまだ間もなく、遠い山並みの向こうに太陽の頭がのぞいていた。空の大半には白んだ青空がある。


 俺がいるのは山の頂上にほど近い場所に建つ巨大な塔の最上階だ。

 マンションにすれば10階建くらいにはなるだろうか。おかげで見晴らしは最高というほかなく、地上の何もかもが遠い瑣末ごとのように見える。


 ただ雪山ということもあって、めちゃくちゃに寒い。格好つけるためだけに窓など明けてみたが、熱々のコーヒーはすぐに温くなってしまったし、寝起きの身体はどんどんと冷えて寒気がしてきた。


 だが決して早起きをした酔狂で窓を開けていたわけではない。

 昨日、ベッドで爆睡をかます前に、窓から見下ろした軍隊が気になっていた。


 妖精という摩訶不思議な存在であるエアリアルの言うところでは、この塔はどうやら有名らしい。

 俺––––正確には、俺がなぜか憑依してしまったこの身体の本来の持ち主であるプロスペローは、悪の魔法使いとして著名らしい。


 それに関わる因縁のためかはまだわからないものの、何者かがこの塔を目指してやってきたのは間違いがない。


 一晩ぐっすりと眠れば頭も冴え、問題の現状でも確認しようかという気分になったわけである。

 それでも、まずは腹が減ったと一階の台所を探ってサンドイッチを作り、見つけた豆でコーヒーを淹れてからようやく思い出したわけだが。


「うーん、集まってるな」


 塔の足元を囲うように、黒い影が留まっていた。赤色のテントが密集している。

 昨日から雪嵐は止まっているので、あそこで一晩を明かしたのだろう。それでもこの寒さだ、大変な苦労だったに違いない。どこの誰かは知らないが、心底同情はしておく。


「うっ、寒っ」


 背筋がぶるぶるっと震えた。俺は窓を閉じ、腕をさすりながら暖炉に向かった。

 そこには真っ赤な蜥蜴が炎の中で丸まっている。これがいったいどんな生き物かはもちろん知らないが、こいつのおかげで暖炉は火が燃え盛り、部屋を暖めてくれているのだ。


「もうちょっと火力上げてくれたりしない?」


 試しに頼むと、蜥蜴は気だるげに片目を開いて俺を見た。その瞳はすぐに閉じられてしまったが、尻尾をぺたんと一振りすると、暖炉の火が目に見えて盛んになる。


「あったけえ……」


 かじかんだ手に血が巡るじんわりとした感覚。寒さに強張った身体がほぐれていくのは、まるで温泉に浸かるかのような心地よさだ。


「あのさ、悪いんだけどこれも頼める? 冷めちゃって」


 カップを蜥蜴の前に置いてみる。蜥蜴はまた目を開けてカップをたしかめると、気だるそうに尻尾を動かした。

 炎が蛇のように動き出してカップを包み、あっという間に消えてしまった。ローブの余りある裾を手袋代わりにしてカップを取る。飲んでみると、ちょうど良く熱々だった。


「最高。ありがとう」


 蜥蜴はあくびで答えてくれた。見てると眠くなるやつだな。


サラマンダー始祖の炎を灯す者をそんなくだらないことに使うのはあなたくらいでしょうね。無知とは恐ろしいものです」


 顔を向けると、エアリアルが部屋に入ってくるところだった。

 小さな人間の背中に羽が生えて宙に浮かんでいる姿は、まさに妖精そのものと言える。身長よりも長い空色の髪はふわふわとなびき、時たま光の粒子が七色に散る姿などは幻想的と言うしかない。

 ただ、今は俺が作ってやったサンドイッチに抱きつき、無表情ながらも真剣にかじりついているのだが。食事というよりも抱き枕に見えてきた。


「サラマンダー? こいつの名前か、それ」

「サラマンダーに名前は必要ないでしょう」

「それ、人間のことを人間って呼んでるようなもんだろ? 不便じゃないか?」

「人間が世界にひとりきりなら、人間という呼び名はその個人を特定するものになるでしょう」

「……うん? え、こいつって世界で一匹だけなの? 絶滅危惧種じゃん。お前、すげえのな」


 火の中でくつろぐサラマンダーに話しかけるが、今度は相手にもされなかった。


「魔法使いは須く変な存在ですが、あなたも相当に変ですね」

「魔法使いって色んな言葉が分かるだろ? こいつとも話せると思うんだよな」


 現に、顔がクマであるリチャードとはマレグマ語とやらで会話ができた。俺は普通に話しているだけなのだが、魔法使いのこの身体には自動翻訳機能がついているらしい。動物や蜥蜴とも会話ができれば、なかなか楽しい気がする。


「サラマンダーと話す、ですか。斬新な発想です。もぐ」

「等身大サンドイッチに齧りついてるお前もけっこう斬新だぞ」

「なかなか具に辿り着きません。ですが食べ応えがあって悪くありません」


 人形のように整った小さな顔のほっぺただけを膨らませている。


「……今度はもっと小さく作ってやるよ。フィギュア用に」

「期待しています。それはそうと、今朝から来客者が扉を叩いています。どうしますか」

「扉をノックしてくれるなら、襲撃者じゃなくて来客ってことか。でもそれってプロスペローの客だよな。俺が出迎えても話は分からないだろうし。居留守するか」

「プロスペローさまもそうなさっておりました。ここに訊ねてくるのは厄介者ばかりだ、と」

「ちなみにいま来てるのが誰かとか分かったりしない?」

「容易いことです」


 サンドイッチを抱きしめて片頬をハムスターのように膨らませたまま、エアリアルは耳を澄ませるような顔をした。


「王国からの使者のようですね。召喚状である、と叫んでおります。受け取らないのであればこの扉を破るとも言ってます」

「押し売り強盗じゃねえか。まあ大丈夫か。この塔ってほら、魔法がかかってんだろ? 扉なんかびくともしないさ」


 俺は余裕たっぷりにソファに腰掛け、コーヒーを一服。オートロックマンションみたいなものだ。不審者お断り。


「通常はそうなのですが、いまは扉の封印は解けていますね」

「えっ、なんで?」

「あなたがあの少女を招き入れたからです。扉を開けてから再封印はされておりませんので、普通の鍵がかかっているだけです」

「……それは、まずいな」


 引きこもりのプロスペローが階段を崩したおかげで上には来れないだろうが、キッチンや食料庫は一階にある。このコーヒーも一階で見つけたのだ。荒らされては困るし、そもそも他人に家の中に押し入られるのはごめんだ。


「……仕方ないな。応対するか。セールス販売か宗教勧誘か」


 コーヒーをソファの肘掛けに置いて立ち上がり、扉に向かった。

 魔法とはどんな法則と原理で成り立っているのか、一般人の俺にはさっぱり分からない。けれど電子レンジや車の仕組みを知らずとも使えるように、俺は魔法という技術の一部分を使えるようになっていた。

 説明書がなくともやたらめったらにボタンを押せば何かしらの機能がわかるようなものだ。

 こうして行き先を思い描いて扉を開けば––––暖かな客間から、冷え冷えとした一階の広間に繋がっている。


「わかったわかった、いま行くってば」


 正面の大きな扉が絶え間なく叩かれている。大声が聞こえるが、何を言っているかまでは聞き取れない。


 頼もしい鉄製のかんぬきをずらし、扉を引いた。肌が切れるような冷気が我先にと雪崩れ込み、朝陽がゆったりと薄暗い広間にささやかなぬくもりを渡した。


 扉の前に鎧姿の男が建っていた。口を大きく開いた顔で、拳を振り上げたまま動きを止めている。目が合うと、男は野良猫のようにピンと背筋を伸ばし、


「ま、魔法使いです!」


 と高らかに叫んだ。

 俺は両手で耳を覆った。なんだよ、朝っぱらからうるさいっての。





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 更新に間があきましたが、第二章開幕です。

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 また、レビューをいただきありがとうございました! 楽しく読ませていただきました。がんばるぞー!


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