第27話「魔法を使うにはパンツを」



「早くしろ魔法使い! 追いつかれたらどうなるか試したいのか!」

「こっちも必死に走ってるんだよ!」


 平穏無事に戻れることを期待していたのだが、都合よくはいかないらしい。


「なんでバレたんだよ!」

「ちょっと出てくるって言って戻ってこなけりゃ、そりゃ勘付くさ!」


 俺は息を荒げながら振り返る。人相の悪い男たちが怒鳴りながら迫ってきている。酒場でテーブルを囲んだ船長たちの部下に違いない。懸念した通り、あの船長たちの誰かが、あるいは全員が、ハニーゴールドの敵になっているらしい。


「いてっ、なんだよ急に止まるなって!」


 やたらと幅の広く逞しい背中にぶつかって跳ね飛ばされた。勢いで転がりそうになったが、腕を掴まれて引き戻される。


「海賊にしちゃ手際がいいな。道をそれるぞ」


 息を弾ませながら、どこか楽しげにハニーゴールドが言う。道の先で顔を突き合わせている男たちが見えた。向こうもこっちに気づいた。通りの人混みを弾き飛ばすように向かってくる。

 ハニーゴールドが横手の細道に走り込む。俺の腕を掴んだままなわけで、俺は引きずられるように付いていくしかない。


「なんかさあ! これって、ヒロインのポジションじゃねえかなあ!?」

「なんの話だ! おっと、こっちもだめか!」


 路地の先からも向かってくる姿を避けて左手に曲がる。道はどんどんと狭くなる。月明かりも遮られ、道はほとんど真っ暗だった。


「船までつけばなんとかなる。頑張れよ魔法使い!」

「なんでそんなに楽しそうなんだよ!」


 振り返ったハニーゴールドの顔は少年のように輝いている。友達との鬼ごっこをしてるみたいだ。いや、鬼役はマジで怖いおっさんたちなのだから面白いわけがないのだが。


「こういうときこそ楽しまなくてどうする。男は笑ってこそだろ」


 答えて、さも愉快そうに、高らかに笑い声を上げる目の前の男に、俺は呆れとも憧憬とも言い切れない感情を抱いた。こんなに人並外れて頭のおかしい……それでいて、なんとも見ていて気分の良い男は初めてだった。


「……変なやつだな、あんたって!」

「魔法使いほどじゃないさ! なんだってお前はそのまんまここにいるんだ!?」

「どういう意味だよ!」

「20年後に教えてやるさ!」

「はあ!?」

「おっと囲まれてきたな!」


 右に曲がっていく先の壁に、男たちの影が赤く照らされている。松明でも持っているらしい。影は怪物のように揺らめいていた。


「ここで分かれるぞ」

「えっ」

「そんな顔をするな。俺に任せろ。お前はそっちだ、先に行け。俺はあいつらを引きつけてこっちから回る。船着場は分かるな? そこで集合だ。行け!」

「ちゃんと来いよ!?」


 肩を押されて俺は走り出した。後ろからも前からも海賊たちが迫ってきている。十字路の真ん中で左右に分かれることになった。走りながらも振り返ると、暗がりのなかでハニーゴールドが手を振っていた。なんでそんなに余裕があるんだよ!

 とにかく走るしかない。さっさとこの道を抜けて、広いところに出たい。


「どうして逃げるのですか? 魔法を使えばすぐに片付きましょうに」


 星屑を散らしたような煌めきを落としながらエアリアルが姿を現した。こっちは汗まみれで走っているというのに、表情ひとつも変えずにすいっと飛んで並走している。


「久しぶりだな! なんでいつも隠れてるんだよお前は!」

「人見知りなんです」

「じゃあ仕方ねえなあ!」


 道が二叉路になっている。俺は立ち止まり、壁に手をついて息を整える。後ろを振り返るが、まだ気配はない。


「ハニーゴールドが無事だといいんだが」

「ですから魔法を使えばよろしいのでは」

「そう言われてもな、分からないものをどう使えってんだよ」

「すでに使われているでしょうに」

「う、む」


 言われるとそうなのだが。

 火を起こしたり、エアリアルが浮かべた砲弾を弾いたり。


「それはあくまで結果であってさ、こうしようと思って使ってわけじゃない。よく分からん魔法に頼るより走ったほうが確実だろ。なんだよ魔法って。そもそも俺はプロスペローじゃない」

「その肉体はプロスペローさまのものです。そしてプロスペローさまが呼び出し、その肉体に収まったのであれば、あなたの魂はプロスペローさまとほぼ同一のはずです。魔法を使えぬ道理はありません」

「じゃあどうやって使うんだよ」

「パンツを脱ぐのです」

「は?」


 俺はぽかんと見返した。だがエアリアルは真剣な無表情だった。本気で言っているらしい。

 仕方ない……俺は腰に手を伸ばした。


「何をしているのですか?」

「いや、パンツを脱ごうかと」

「そういう意味ではありません」

「そう言ったろ! たったいま!」

「比喩表現というものです。人間の得意とするところでは?」

「妖精が言ったら分かりづらいだろうが!」


 ふう、やれやれ、とエアリアルが首を左右に振った。絶妙にイラつく所作を完璧に身につけているらしい。


「これはプロスペローさまのお言葉です。理論はあれど、そもそも魔法の根源とは願望の発露。パンツを脱ぐ……自分の心をさらけ出すことが始まりだ、と。理論も技術もその肉体に刻まれているはずです。あとはあなたのパンツ次第ということです」

「最初からそう言えよ」

「感謝の言葉は結構ですよ」


 嫌味な妖精め……。

 けれどその言葉が間違っていないとしたら、パンツを脱げば俺も魔法が使えるということらしい。魔法使いであるプロスペローの体は、魔法の使い方を覚えている、ということだろうか。


「いやそんなわけ……でも自転車の乗り方って身体で覚えるって言うしな……」


 ふと思い出した。記憶喪失の人の話だ。他人の名前や住んでいる場所、自分の過去を忘れたとしても、ボールペンの使い方は忘れないらしい。それと似たような原理、ということだろうか。


「もしかして、使おうと思ったら使えるのか、魔法」


 煙草に火をつけたとき、俺は指先に火を起こせた。それはライターを鮮明にイメージしたときのことだ。

 よく分からないままに魔法というあやふやなものを使おうとするからだめなのだ。もっと鮮明に、知っているものを再現すると考えれば––––。


 頭の中でパズルが噛み合うような気配を感じた。あともう少し、手が届く。そのとき、通路の左手の先に、人影を見た。動くものにつられるように目が追った。掴みかけた気配はふっと逃げてしまったが、代わりにもっと重要なものを、俺は認めた。


「黒髪の女の子!」

「女性の好みは聞いていませんが」

「ちげえわ! あれ! 鍵を持ってった子だろ!」


 俺は走り出した。通路を曲がれば、道の先に黒髪を翻して走る小柄な背中が見えた。


「鍵! 家に帰らせろ! エアリアル! 捕まえろ!」

「はあ。うーん。ちょっと気が進みません」

「なんでだよ!?」

「捕まえてしまうと、あなたは帰ってしまうのでしょう? 私の自由もおしまいです。もうちょっと謳歌したいです」

「就活前の大学生みたいなこと言ってんじゃねえよ! ああ、くそ! 魔法! 魔法でてこい!」


 と手をぶんぶん振ってみるが、都合よく魔法は出てこなかった。

 くそ! 脱ぐぞパンツ!


 少女が俺を振り返った。けれど立ち止まらず走っていく。前方が明るくなっている。大通りにつながっているらしい。

 まずい、とは思った。だがここで立ち止まるわけにはいかない。

 少女を追って俺は大通りに飛び出した。横切るようにして反対の路地へ飛び込む。


「見つかってませんように!」


 と祈って五秒後、背後から野太い男たちの声が追いかけてきた。


「でしょうねえ!」


 思わず笑いが込み上げた。


「どうしてそんなに楽しそうなんです?」

「笑うしかないからだよ!」


 ハニーゴールドのように楽しむ余裕は俺にはない。

 運動不足ながら、大人の俺が走っているのだ。少女との差は縮まってきた。だが通路を曲がられ、一瞬、姿が消えた。

 俺も急いでその角を曲がると、そこはもう行き止まりだった。奥まで走って立ち止まると、そこは壁の突き当たりだ。ただ、左手の壁にひとつきり、扉がある。鍵穴から漏れる淡い光が虹色に輝いていた。


「”冥界の鍵”を使ったようですね」

「前もこうだったな……開けたらまた船の上、とか? まさか今度はあの世とか言わないよな」

「正しい持ち主が使わねば冥界には繋がりません。時と場の乱れたどこかの扉に繋がっているだけです」


 通りたくない、という気持ちしかない。


「…………」

「追わないのですか?」

「もちろんあの鍵を取り戻したいんだけど、ハニーゴールドとの約束があるからさ。俺を待ってる」

「自分の目的よりも、他人との約束を優先するのですか?」

「そう言われるとたしかにそうなんだけども」


 そのとき、背後から足音と声が響いてきた。やばい、と顔を向ける。来た道は追っ手に塞がれている。相手はハニーゴールドを追う海賊だ。捕まったらどうなるかは、想像したくない。

 ええい、と、俺は扉の取手を握った。


「約束は守る! ちょっと待ってろハニーゴールド! これは戦略的撤退だ!」


 扉を開くと光があふれた。視界が白く染まる。足を前に踏み出せば、水の膜をくぐるような重い感覚があった。



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