第25話「海賊の酒場、口紅の女」
海賊たちの島というくらいだから、相当に物騒な場所に違いないと思っていた。それはもう治安が悪く、そこら中に目つきの悪い男たちがたむろしていて、目があっただけで喧嘩をふっかけられるような。
小舟で島に上陸したときには心臓がバクバクして手汗がびしゃびしゃだった。
だがそれは俺の想像力が豊かすぎただけのようだ。
遠目には小さな島に見えても、上陸すればそこはたしかに町だった。木々はひらかれ、石で階段まで作られている。道の左右には家が並んでいて、そのどれもが何かしらの看板を掲げていた。
空はすっかり夜だというのに、通りの賑わいはまったく衰えていない。ぱんぱんに膨れた麻袋を二つも三つも抱えた男や、木樽を転がしていく男、木箱に腰掛けてワインの瓶をラッパ呑みしている男……どこを見ても男ばかりではあるのだが、とにかく人が多い。
道幅は広いとは言えないが、すれ違いざまに肩がぶつかりそうになるくらいには人が行き来している。
ここにいる全員が海賊なのだろうが、想像していたように荒っぽい人ばかりではない。体格が立派で腕の先まで刺青が入っている男もいるが、人好きのするような優しげな顔立ちの線の細い男もいる。
そういう男たちが、すれ違いざまに必ず、先頭を歩くハニーゴールドに目をやる。そして道を開けるのだ。割れた人混みの真ん中を、ハニーゴールドが堂々と歩いていく。
船に同乗していた水夫たちは、いつの間にか減っていた。それぞれに目的があるのか、それともハニーゴールドの指示なのか、ひとりまたひとりと店に入っていってしまう。
名前さえ知らない相手ながらも、仲間が減っていくような心細さで、俺はハニーゴールドの背中から引き離されないように歩みを早めた。
やがて正面にひと際目立つ建物が見えてくる。張り出したテラスにもテーブルが置かれていて男たちが酒を飲んでいる。周囲と違うのは、そこに女性の姿があることだった。
ハニーゴールドが近づくと、その女たちがわっと駆け寄った。夜を明かすような声で話しかけるが、ハニーゴールドはあくまでも上品にかわして店内に入っていく。そのスマートさを見習おうと俺も身構えたのだが、女たちは俺を胡散臭そうに見るだけで、すんと元の席に戻ってしまった。
「なんだよ……」
釈然としない気持ちを抱えながらも店に入る。人の声が形になって身体にぶつかったようだった。店の中には熱気と紫煙、古びた木と人の汗と、酔いそうなほどのアルコールの匂いがこもっていた。
火の灯りのために店内は橙色のフィルターを通したように見える。狭苦しいほどに並んだテーブルに大勢の男とわずかな女が座り、酒と煙草を呑み交わしている。
隙間を縫って歩くハニーゴールドと俺の姿に気づくと、その場だけがしんと静かになる。通り過ぎるとひそひそと会話が始まる。
ハニーゴールドは真っ直ぐに店の最奥のテーブルに向かった。その周りだけは人も集まらずにぽっかりと開いている。
楕円型のテーブルには五人ほどが座っているのだが、空席がひとつあった。ハニーゴールドはその椅子に腰掛け、同席者を見回した。
「俺が最後か。みんな真面目だねえ」
と、手を伸ばし、テーブルの上に広がっていたトランプを混ぜながら手繰り寄せた。それぞれの前には銀貨が山になっており、どう見ても現金での賭け事の真っ最中だ。
俺なら絶対に近づきたくもないのだが、ハニーゴールドは我が家のように平然とトランプを配り始めた。
俺はテーブルに近づくのも気まずく、かといって居場所もなく、仕方なく手近な柱に背中を預けて、ハニーゴールドたちのテーブルを眺めている。
海賊にも色々あるのだろうが、このテーブルに座っている奴らはとくに目立っている。傍目に見ても場違いな変な奴らなのだ。
「お前が来るのはいつも最後だろう。時間の価値を見くびると報いを受けるぞ」
懐中時計の蓋をぱちんと閉じながら男が言う。痩けた頬にちょび髭で、細い目が神経質そうだった。海賊という言葉の野蛮さが似合わない上品さがあれど、どうも偉そうだ。なんか、こう、伯爵的な雰囲気がある。
「時計なんてもんを持ち歩くのはあんたぐらいさ……時間にこだわったって良いことはないよ」
と、艶のある声が聞こえた。耳心地の良い妙齢の大人のお姉さんの声に違いないと目で探ると、配られたトランプを取る細手があった。全身をすっぽりと外套が覆っている。顔が見えない……!
視線の圧に気づかれたのか、その顔がこちらに向いた。
「おや、若い男だ」
「……あ、どうも」
声は張りのある若さに満ち満ちているというのに、こちらに向いた顔は老女そのものだった。ねじくれた白髪が顔にすだれを掛けている。茶けた顔の中で真っ赤な口紅だけが鮮烈なほど浮き上がっていた。
「おっと、そうだ、約束だったな。ほら、これがお前に紹介したかった”良い女”だ」
ハニーゴールドは口紅の老女を指差す。
「なんだい、あたしにくれるのかい、この子」
と老女は唇をにいっと釣り上げた。真っ赤な唇が引き延ばされて弧を描く。俺をじっと見つめて、人差し指を立てた。
「二階でお話でもするかい」
「……お気持ちだけで、結構です」
俺はそっと身を引いて首を振った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます