幕間「魔法少女のお仕事」



 魔法は血でなく魂に宿る力だ、と師匠は言った。

 だから魔法使いの家系なんてものは存在しない。どんなに優秀な魔法使いであっても、その子や孫が魔法を使えるわけではない。


 なぜ魔法を扱える魂とそうでない魂があるのか。いくつもの研究と仮説はあるけれど、誰もその真理には至っていない。


 師匠は、真理は”扉”の向こうにあるのだと言う。

 人の魂が還る場所。冥府と呼ばれる始源の場。


 聖女の手記や世界各地の遺跡に逸話が刻まれるのみで、冥府の存在を確かめた人間はいない。けれど多くがいまだに、その世界を信じている。死者の安息を約束してくれる理想郷だと願っている。


 魔法使いは、この世の真理に触れる者とも呼ばれる。魔法とは今生の理を超越した奇跡の体現だ。どんな物理法則も理論も適応されないその神秘の力こそが、冥府の存在を証明する欠片であるとされている。


 冥府で加護を受けた強く清浄な魂……その力の残滓こそが、魔法となるのだ、と力説した学者もいる。


 あたしは信じていない。


 冥府の記憶もなければ、見たこともない。たしかめられないものを存在すると信じるのは愚かなことだ。


 そう答えたとき、師匠は困ったように眉尻を下げた。

 そしていつもあたしに魔法の手解きをするときのように、ゆっくりと語りかけてくれた。


「たしかに己の目を信じることは大切よ。けれどね、同じように自分を過信してはいけない。たとえ目の前にあったとしても、それを理解できなければ見えないのと同じ。地に黒い羽がひとつ落ちていれば、空を飛ぶ黒鳥は実在するのよ」

「では師匠は冥府に繋がる羽を見たことがあるのですか?」


 そう訊いた私に、師匠は微笑んだ。


「––––鍵をね」


 #

 

「おや、魔法使いさま、こんなところに。なにか冷たいものでも運ばせましょう」


 金属をぶつけるような声に、意識が戻った。船のへりに立って夕暮れの海を見つめている間に、すっかりと考え事に耽ってしまった。


 振り返ると、同じ目線の高さの男が立っていた。白い制服がはち切れんほどに膨らんでいるのは、船の中で身体を動かす必要がない立場にいる人間だからだ。

 胸元には勲章が並んでいる。背の低い男だが、その権力はこの船の中で並ぶものはいないと見せつけていた。


「お気遣いありがとうございます、閣下。お気持ちだけで結構です。それと、あたしはまだ見習いです。魔法使いと呼ばれるのは不相応です」

「軍では士官候補生として入ったものはやがて士官となる。魔法使い見習いとて、やがては魔法使いとなりましょう」


 閣下––––この軍船の支配者であるドルーマン少将は、鼻の下にちょこんと生えたヒゲを親指で撫でながら言うと、あたしの横に並んだ。


 軍にはいろんな人間がいる。

 たいていは厳しいルールによって切り揃えられた実直な人たちだ。航海中でも、場違いな乗組員のあたしに、親切にしてくれる人ばかりだった。


 けれどドルーマン少将や、船に乗らない海軍の権力者たちなどは、あたしなどでは見透せないほどに深い思惑を抱えていることしか分からない。

 こうして親しげに話しかけてくれることと、あたしを歓迎することは同義ではない。


 村を出てからずっと塔の中で魔法を学ぶだけだったあたしにとって、言葉の裏を読み取る、という行為はひどく難しい。


 それでも今のドルーマン少将が、あたしに何か話があるらしい、ということはなんとか分かったので、顔を向けて黙って立っている。こういうときは相手が何か話すまでは何も言わないことが礼儀らしい。


「魔法使いさまのおかげで、当船はこうして港に辿り着くことができました。感謝しますぞ」

「いえ、あたしは」

「いけませんな。わたくしが礼を言っておるのです。受け取っていただかねば」


 横目に向けられたドルーマン少将の目は鋭い。分厚い瞼のために目は細いのだが、その隙間から覗く瞳には権力者だけが持つ重たい力があった。


「……失礼しました」

「この船のマストを折られたのは不測の事態でした。あのハニーゴールドの船に魔法使いが乗っていた。これは由々しき事態でしてな。今夜の作戦に支障が起こりうる」

「今夜の作戦、とは?」

「これは軍事機密だ。しかし魔法使いさまを信頼し、ここで打ち明けさせていただきたい」


 ドルーマン少将はヘリに両手を載せた。視線は海を眺めている。そのまま緩く左に顔を振れば、寄港している港街が見えた。夕日の赤色に照らされた中を、多くの人影が動き回っている。


「ご存知でしょうが、ハニーゴールドという海賊は我が国の商船を襲うばかりか、奴隷の輸入から武器の輸出までなんでもこなす男だ。ランジー国との緊張関係にある今、これ以上は見過ごせない。あの男……古臭い海賊の象徴たる男を我らは討伐せねばならない。あの場で仕留め損ねはしたものの、まだ逃げられたわけではない。狙いはそもそもが今夜だったのです」


 たん、たん、と、ドルーマン少将は手すりを一定のリズムで叩いている。


「ハニーゴールドはトルテュ島で船を停める。我らは今夜、そこを襲撃するのです」

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