第22話「魔法の火がないところに煙は立たぬ」



 船内の薄暗さのためにすぐにはわからなかったが、それはハニーゴールドだった。もみあげ部分だけを三つ編みにしているのは奇抜に違いないのだが、彫りの深い顔立ちと、男らしさと柔和さの入り交じった独特の雰囲気には似合っているのが不思議だ。

 ハニーゴールドは俺を見つけると眉をあげた。


「もう帰ったのかと思ったぜ。その様子じゃ、うちの名コックをたらしこんだらしいな」


 眠たげな目であくびをするところを見るに、本当に昼寝をして、ついさっき起きたばかりのようだ。


「ヘンリー、俺にもメシくれ」

「はいよ」


 ハニーゴールドは手近な木箱の上に腰掛け、懐から銀製のシガーケースを取り出した。手巻きタバコを咥えると、壁掛けのランタンから火を採った。


 タバコを指で挟み、白い煙を吐き出す。

 それだけの動作が嫌になるほど様になっている。男が惚れる男とはこういう人間なのかもしれない。


 見惚れた、というと語弊があるが、見つめていたのは事実だ。それを煙草欲しさと受け取ったのか、ハニーゴールドがシガーケースを俺に投げてよこした。

 ケースには美しい紋様が刻まれている。開けると、中には煙草が並んでいた。一本、手に取ってみる。


 吸い方は分かるが、自分が煙草を吸う習慣があったのかどうかは覚えていない。しかしハニーゴールドがあまりに格好良く煙草を吸うものだから、俺も試しに、と唇に咥えた。


 火、火……と考えて、ふと人差し指を眼前に。そして”火”と念じた。するとそこにライターのように小さな火が灯った。

 塔のキッチンで着火したときと同じように、俺は火を起こせた。魔法と呼ぶにはあまりに地味だし、誰かに大声で自慢したくなるような達成感もなかった。


 いざ実際にそうできてしまうと呆気ない。指一本で火を灯すならライターと同じだ。

 煙草の先に火を当て、吸う。熱い煙が喉を通る。咳き込むかとも思ったが、身体は慣れた様子で空気を肺に受け入れた。頭がくらっと揺れて、俺は目を閉じた。


「……きっついな、これ」

「一級品だ。混ざりものなし」

「え、待て、もしかして危ない葉っぱとかじゃないよな?」

「それは扱わない主義だ。ただの煙草だよ」


 ハニーゴールドは両手をあげて首を振った。

 確認もせずに吸ってしまったが、ここは日本じゃない。煙草のように見えて、依存性が強いとか、めちゃめちゃ有害だとかいう可能性もある。


 消すべきかと摘んだままの煙草を見た。しかし意識もはっきりしているし、陶酔感もないし、煙草以上の変化も感じない。

 火をつけちゃったし、まあいいか、一本くらい、と、俺は再びそれを咥えた。


 ヘンリーが料理を持ってきた。ハニーゴールドが皿を受け取り、代わりに吸いかけの煙草を渡す。ヘンリーはそのまま煙草を吸い、ハニーゴールドは飯を食う。


「……なあ、襲った船で、女の子を見なかったか」


 訊ねづらいことだったが、今なら訊けるような気がした。同じ釜の飯を食う。同じ煙草の煙を吸う。それはコミュニケーションのハードルを下げてくれる。


「さあな。女とガキには手を出さないのが掟だ。女のガキとくれば視界にも入らん。探してんのか」


 ハニーゴールドは頬を膨らませながら、もごもごと言葉を続ける。


「あの船は沈めてない。今ごろはどっかの港に向かってるだろうさ」

「どっかって、どこに?」

「目的はバーネットだったらしいが、ま、あいつらを置いたままじゃ予定通りには行けねえだろうな。手近なところに船をつけるだろう。あのあたりならフィゾかシャードか」

「この船はどこに向かってるんだ?」

「トルテュ島だ。夜には着く」

「そこならフィゾかシャードに行く船が出てるよな?」


 ようやく海賊船を降りられることと、鍵を持つ少女を探す目標ができたことで、俺の声はいくらか明るくなった。

 だがハニーゴールドは肩をすくめ、ヘンリーは笑う。


「なんで笑うんだよ」

「本当に知らないのか。フィゾもシャードも、今じゃ海軍どもが集まってやがるのさ」

「……? それがどうしたんだよ。安全ってことだろ?」


 今度はハニーゴールドが喉を鳴らして笑った。


「トルテュは海賊たちの島だ。自分の首がいらねえ海賊なら、快く送ってくれるだろうさ」


 食べ終わった皿を置くと、ハニーゴールドは立ち上がって歩き去ってしまう。

 俺は呆然とその背中を見送った。


「……今から、海賊だらけの島に行くの?」

「知らなかったのか?」


 頷きを返すと、ヘンリーはため息をついた。励ますように俺の肩を二度叩き、ハニーゴールドの食器を手にして立ち上がった。


 それは、困ったな。

 俺は半ば無意識のままに、手に持ったままの煙草を吸った。

 薄暗い船室の中で、煙草の先がぽうと赤く明滅する。長く伸びた灰が膝に落ちた。慌てて手で払い落とす。そこでようやく、ハニーゴールドから渡されたシガーケースを返していなかったことに気づいた。


「どうしよ、これ」


 煙草を咥えて、シガーケースを弄ぶ。


「どうしよ、これから」


 海賊の島からの脱出……それはちょっと、大変なんじゃないか?

 うーんと悩んではみても、どうすればいいのかはさっぱり分からない。

 分からないままに、とりあえず煙草を吸うしかなかった。



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