第21話「それはバナナではない」



 俺はバナナの皮をむいている。


 帰るなら勝手にどうぞ、とハニーゴールドは陸地の場所を教えてくれたが、まさか日本があるわけもない。陸地に向かったところでそこは知らない国だ。それと軽い問題がひとつ。俺は空を飛べない。


 エアリアルが言うには、俺が戻るためには冥界の鍵とかいう魔法のアイテムが必要だ。その鍵をなんでか盗んで行ったあの女の子を探すことこそが目標だ。


 しかし情報がない。どこに行ったのか分からない。


 ただ、同じ扉を出た以上は、少女も船にいたはずだ。

 襲撃したハニーゴールドなら知っているのではないかと思い直して、彼の姿を探そうと船に入ったのだが、海賊船の中は探索に向いていないことが分かっただけだった。


 昼寝に行く、というハニーゴールドの言葉からして部屋に戻ったのだろう。ところが船長室がどこか分からない。船の中は狭く、暗く、通路にはあちこちに水夫たちが寝転んでいる。彼らは場所さえあればどこでも寝てしまうようだった。


 暗い通路、寝転ぶ男たち、明らかに場違いな自分。探すのを諦めて引き返そうとしたときに出会ったのが彼だった。


「このプランテインってやつは煮ても焼いても使える便利なやつだが、とくに皮をむくのが面倒でね」

「……ちょっとだけ手伝ってくれたらいい、って言ったよな?」

「ああ、もちろん。あと二箱でおしまいだ」


 細身で初老の男––––ヘンリーは、人懐っこい笑みを浮かべた。オイルランタンの灯りに、無精髭に覆われた顔が照らされている。


 船という迷路の中のどこかの突き当たりの小部屋で、俺とヘンリーは向かい合って座っていた。右の木箱からバナナを取り出して皮をむき、中身を樽へ入れ、皮は左の木箱に投げる。


 バナナはバナナだと思うのだが、このバナナは強いバナナだ。

 皮は緑色で硬い。素手でむくことはできず、渡された小さなナイフで切れこみを入れ、引き剥がすようにして身を取り出さなきゃいけない。


「こんなにバナナ、いるか?」

「バナナじゃなくてプランテインさ。ちょっと食ってみなよ」


 ヘンリーがナイフの先でプランテインを切り、口の中に運ぶのを見て、俺も同じように真似をした。

 バナナのような甘味も、柔らかい食感もない。サクサクとした歯応えと、芋に似た風味があった。


「パーディアからの輸入品はもっぱらこいつと砂糖なんだ。おかげで港で安く買えるし、味をつけりゃ不味くはない。ただまあ、剥くのが面倒でな。僕は一日中、ここで作業さ」


 ヘンリーが両手を広げて見せたのは小さなキッチンだ。小さな部屋には棚や机が詰め込まれ、壁には調理器具、通路には食材が所狭しと並んでいる。正面には寸胴鍋が置かれ、そこには火が焚かれていた。


「あんたは海賊じゃないのか?」

「海賊船に乗ってるのが海賊なら、僕も海賊だ。仕事の話なら、料理人だ。料理以外はできないし、興味もない」


 ヘンリーはプランテインの皮を手際よくむいている。その合間にも、壁に取り付けた器具を確認している。それはガラス玉の中に水と船の模型が浮かんでいるものだ。船はいつも揺れていて、大きな波を乗り越えるたびに、ガラス玉の中の水が傾くというものだった。ガラス玉には水平に赤い印が刻まれていて、一目で船の揺れ具合がわかるというものらしい。


「さっきの砲撃で怪我人は出てないか?」

「……出てない」

「そうか、なら特別食はいらないな」

「特別食?」

「肉、砂糖、果物、新鮮な魚。怪我人には食いたいものを特別に食わせるんだ。だが普通は、食材は限られてる。ビールならいくらでも飲めるぞ。腐るほど積んでるからね」


 航海時代には、ただの水ではすぐに腐って飲めなくなるために、ビールやワインを積んでいた、という話を思い出した。自分の名前すらまともに思い出せないくせに、そういうことは分かるのが自分でも不思議だ。


 なぜか海賊船で、中年も過ぎたおっさんとふたりでバナナの皮をむいているが、むしろ今までが波瀾万丈すぎた。薄暗い小部屋で荷物の隙間に身体を押し込んで、単純な作業に没頭するのは悪くない。

 プランテインの皮をすっかりむきおわると、ヘンリーはそれを寸胴鍋に放り込んだ。バナナを煮るって? 嘘だろ?


「さて、次はこいつだ」


 と、ヘンリーが持ってきた木箱の中には、アボカドがぎっしりと入っていた。塔のキッチンにあった食材には見慣れないものが多かった。こうして見知った食材を手に取ると、それだけで嬉しくなるのが不思議だ。

 真ん中に置かれた大きなボウルに、アボカドの身をくり抜いていく。


「なあ、この船って、海賊船だよな」


 俺が訊くと、ヘンリーは肩をすくめた。


「当たり前のことを訊くんだな。あんたは同業者か?」

「いや、全然」

「……なんでこの船に乗ってるんだ? 客だろ?」

「客、かな。ハニーゴールドに好きにしていいとは言われたけど」

「だったら客だ。でなきゃ荷室に閉じ込めるか、海に突き落とされてる」

「笑えねえ」


 海賊ジョークなのか、本当にそうなのか、俺に訊く勇気はなかった。

 ボウルにアボカドが溜まると、ヘンリーはそこにライムを絞った。砂糖と塩を入れ、棍棒のように太い棒で潰しながら混ぜている。身体は細身に見えたが、腕は太かった。そこにいくつもの刺青と古傷があった。


 料理をするヘンリーに、俺は親しみを感じていた。料理という馴染みのある行為に触れたからかもしれない。一緒に作業をしたことも理由だろう。

 ひとつ、知りたいことがあった。だが、訊く勇気が出ないでいた。


 ヘンリーは壁に積み上がった木皿をふたつ取ると、寸胴鍋からプランテインを二本ずつ移した。それにアボカドを潰したものをのせる。ディップソースというわけだ。


「ほらよ、いちばん初めに味わうのは料理人の特権だ」


 笑うと、ヘンリーは気の良いおじさんにしか見えない。

 俺は受け取った皿を見る。茹でられたプランテインは黄色を深くしていた。

 スプーンもフォークもないためにどうすればいいかと見やれば、ヘンリーはナイフでプランテインを切って、あとは素手で掴んで食べていた。

 俺もまた見よう見まねで、プラインテインに調理用のナイフを入れる。芋のようにねっとりとして、ランプの灯りに立ち昇る湯気が見えた。


「あっち! 熱いってこれ!」

「それでも男か?」

「男でも熱いもんは熱いだろ」


 平然としているヘンリーが信じられないほどに、茹でたてのプランテインは熱いのだ。悩んだが、ナイフをフォークがわりに使うことにして、ひとかけらに突き刺し、アボカドのソースをつけて口に運ぶ。

 念入りに息を吹いて冷ましても、口の中に入れるとめちゃめちゃに熱い。けれども。


「うまっ」


 反射的に言っていた。


「そうだろ。この食い方がいちばんなんだ」


 生で食べたときよりもずっと甘く、味がはっきりとしていた。プランテインの見た目はバナナでも、味はじゃがいも、さつまいもが近い。そこにもったりとしたアボカドのソースが最高に合っていた。食感のせいもあって、食べ続けるとくどくなりそうなところを、ライムの果汁が後味を爽やかにしている。


 茹でて潰して混ぜる。シンプルな料理だ。だが味わいは調理法よりもずっと重厚で、間違いなくこれは料理と呼べるものだった。

 食べ始めると自分の空腹に気づいて、俺はがっつくようにしてすぐに食べ終えてしまう。

 顔を上げると、ヘンリーがにんまりと笑いながら俺を見ていた。


「……なんだよ」

「あんたのことは知らないが、僕の料理を美味そうに食うなら悪いやつじゃなさそうだ」

「悪いやつならそもそも仕事を手伝わないだろ」

「間違いない」


 ヘンリーと俺は笑い合う。弛緩したいまの空気でなら、訊けると思った。


「なあ。ハニーゴールドって、悪い海賊なのか」


 一拍を置いて、ヘンリーは大口で笑った。


「良い海賊なんていない」

「そうだろうけどさ、そうじゃなくて」

「あいつは正義の味方さ」


 ヘンリーは軽く言った。あまりに分かりきったことを訊ねてしまった俺のことを揶揄っているに違いなかった。

 急に自分のことが恥ずかしくなってきた。


 海賊は海賊だ。悪いことをするから海賊と呼ばれるわけで。悪い海賊も良い海賊もないのは当然だった。

 そのとき、キッチンに男が入ってきた。

 

 

 

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