第20話「それでも俺はやってない」



 俺はハニーゴールドに腕を取られ、力を入れる間もなく立たされた。そのままくるりと反転させられる。


 わあ、海がよく見えるなあ……。


「さ、存分に魔法ってやつを見せてくれ。砲弾が当たったら死ぬぜ、ここ」

「笑えない冗談はやめてくれよ」

「冗談は酒を飲んでからさ。海で溺死するよりは砲弾で吹っ飛ぶほうが楽だとは思うが」


 ハニーゴールドが隣に立ち、微笑みを浮かべて俺の肩に手をまわす。


「どっちも嫌だよ! なんでおっさんと肩組んで死ななきゃいけないんだ! せめて巨乳の金髪美女がいい!」

「陸に着いたら紹介してやるよ。心当たりがある」

 

 そのとき、どぉん、と爆発音がした。後方の船から白煙が上がっている。

 あ、砲弾だ……。


「おっと、こいつは当たるな」

「冷静に怖いこと言うのやめてくんない!?」

「船速も進路も変えてるんだが。たまたまか、計算されたか。参ったねどうも」


 ハニーゴールドは腰に手を当て、はっはっは、と笑っている。ちっとも参った様子じゃない。

 砲弾はぐんぐん近づいてくる。言うとおり、さっきまでと違って、砲弾は山なりにここに向かってくるように見える。


 俺はいよいよ怖くなった。

 砲弾が当たることではなく、そんな状況で笑っているハニーゴールドという男に、だ。言っていたように、砲弾が当たればここにいる俺たちは死ぬだろう。分かっている。なのに怯えも見せず、慌てた様子もない。それはもう、人間としておかしいとしか言えない。


「おいお前ら! 当たるぞ! 衝撃に備えろ! 手近なもんに掴まれ! 海に落ちたやつは置いていく!」


 甲板に振り返り、ハニーゴールドが言った。


「カシラ何やってんですか! このヘタクソ!」

「責任とって砲弾を受け止めやがれ! そしたら次は俺が船長だ!」

「なんとかしろ!」


 途端に、あちこちから船員の怒鳴り声が返ってくる。砲弾が当たれば死ぬかもしれない。沈没するかもしれない。そんなことは誰もが分かっている。だというのに誰も怯えず、むしろ茶化している。


 受け入れているのだ。海の上では常に死と隣り合わせ。海賊ならば尚更に。死んだときには仕方ない……それは諦めとも違う、自分の定めを受け入れる度量のようなもので。

 唖然とする俺の肩を、ハニーゴールドが叩く。


「もしお前が本物の魔法使いだってなら、頼めねえか? 代償は何だって払う。あの馬鹿どもと一緒に死ぬのはごめんでな」


 口元にうっすらと笑みを浮かべながらも、その瞳は真剣だった。ひとりの男が、本気で頼んでいる。

 それに首を振ることは、俺にはできなかった。ましてや、この状況で。


「ああ、もう、分かったよ! 危ないからちょっと離れてろ」


 ハニーゴールドは素直に後ろに下がった。俺は小声で呼びかける。


「エアリアル、いるか、エアリアル!」


 姿は見えなくてもすぐそこにいる、そんな確信があった。それは信頼と言ってもいい。


「こちらに。状況は把握しております」


 耳元で囁く声があった。右肩にちょんと触れる感触。座っているらしい。


「なんとかできるか?」

「たやすい仕事です」

「なんて頼りになるんだお前は」

「もっと褒めてくださって構いません」

「最高。天才。妖精コンテスト日本一」

「ニッポンとはなんですか?」

「あとで説明してやる。どうしたらいい?」

「砲弾を指差してください」


 言われたとおり、弧を描きながらこの船に向かってくる砲弾を指で追う。もはや猶予はない。


「古来より、指をさすという行いは魔術的な意味があります。時にそれだけで魔呪ガントとなるほどに」

「説明ありがとよ、さっぱりわからん。それよりやばいやばい近づいてきたって!」


 もはや砲弾はすぐそこにあって、数秒と待たずに船に着弾するに違いなかった。


 そのとき、背中を押すように猛烈な風が吹いた。船の帆が目一杯に膨らみ、しゃくりあげるように船首が上向く。船員たちの悲鳴が聞こえる。


 砲弾が目の前で急減速したかと思うと、水中を進むようにゆっくりと近づいてきて、ついには俺の指の先でぴたりと停止した。その場で宙に浮かびながら、ゆっくりと回っている。


 砲弾は黒々としたボーリング玉のようだった。こんな鉄の塊が当たっていたらと思うと、背筋に寒気がはしる。木製の船が耐えられるわけがない。


「どうなってるんだ、これ」


 エアリアルの魔法によって宙に留まっている砲弾。

 磁石の上で回転するコマのように不思議な光景。つい好奇心に勧められるままに、俺はそれを、ちょん、とつついた。


 出来心だった。


 その瞬間、砲弾を包んでいた風の膜が弾けた。手の中で風船が破裂したような軽い音。砲弾は向かって来た時と比べ物にならない速度と、直線的な軌道でぶっ飛んでいった。


 まるでレーザーだ、と呆然と見つめる視界の先で、砲弾は海軍船のマストをへし折った。


「……ええぇぇ」


 ドン引きだ。自分で。


「的確な反撃です。本当にプロスペローさまではないのですか?」

「あんなことになるとは思わないだろ普通!」


 誰が悪の魔法使いじゃい、と無実を主張したいのだが、強くは言えない。


 視界の先で、海軍船のマストが倒れていく。甲板に引っかかりながら海に落ちていくさまは、どう見たって悲惨な光景だった。

 操舵輪を握っている男が顔だけを後方に向け、口笛を吹いた。甲板からも野太い歓声や囃し立てる声が盛大に聞こえる。

 隣にハニーゴールドが立ち並んだ。単眼鏡を伸ばし、海軍船を観察している。


「おいおい、そこまでやれとは言ってないぜ? 魔法使いってのはおっかねえな」

「……いや、俺はやってない」

「お前以外の誰がいるんだよ」

「よ、妖精……」

「冗談のセンスはいまいちだな、魔法使い」


 ハニーゴールドはけらけらと笑って俺の肩を叩いた。


「ま、これで気持ちよく航海の続きができる。助かったぜ」


 ハニーゴールドは振り返り、甲板を見下ろして声を上げる。


「てめえら、ここからは全速だ! 帆を出せ! 風の女神の前髪を引っ捕まえるぞ!」


 おおう、と声が重なって返ってくる。甲板は騒がしくなる。ロープに取り掛かる男もいれば、マストを駆け上る男もいる。みるみるうちに、畳まれていたいくつかの帆が広がっていく。


「さて、俺は昼寝でもするかね」


 あくび混じりに階段を降りていくハニーゴールドの背に声をかけた。


「なあ、俺はどうしたらいい」


 ハニーゴールドは振り返るでもなく、肩越しにぷらぷらと手を振りながら、


「好きにしな、魔法使い。船のマストをへし折れるやつを捕まえとく気はねえ。飛んで帰るなら陸地はあっちだぜ」


 階段を下って、ハニーゴールドは見えなくなった。本当に昼寝に行ってしまった。

 俺はその場に立ちすくむ。操舵輪の男に振り返るが、男はちっとも俺に目を向けない。ここにいるのも居心地が悪い。俺は階段の半ばまで降りて、そこに腰掛けた。膝の間に、くっついた両手をぶら下げる。


「……縛られたままなんだが」


 せめて切ってから寝てくれよと、思わず独りごつ。


「よくお似合いですよ」


 光の粒子が砕けたかと思うと、エアリアルの姿が目の前に現れた。長い髪がふわふわと海風になびいている。

 俺は両手を差し出した。


「これ、とってくれ」

「私たちの契約は対等ですが」

「……とってください」

「エアリアル様、と」

「さっき対等って言ったよな!?」

「冗談です」


 エアリアルが指を振ると、固く結ばれていたロープが命を宿したように解けた。

 ようやく自由になった両手で、手首の跡を撫でる。


「ふう、楽になっ、た……」

「……」


 甲板で少年がひとり、こっちを見て口をあんぐりと開けていた。船員と同じような服装をしている。見習いらしい。

 どうするべきか対応に悩み、とりあえず笑顔で手を振ってみる。少年は口をあんぐりと開けたまま、そっと物陰に消えて行った。


「……まったく、どこなんだよここ。なんで塔の扉が船に繋がってるんだ。どこでもドアかっての」

「あれはプロスペローさまが設置した”自由自在移動扉”です」

「どこでもドアじゃねえか」

「魔法によって結んだ場所を行き来できる扉ですが、”冥界の鍵”によって魔力場が乱れたのでしょう」

「鍵を盗んだあの子と違うところに来た、なんてことはないよな?」

「それは私には分かりかねることです」

「不安になってきた。帰りたい。ああ、1DKの俺の城が恋しい……あ、俺って1DKに住んでたっぽい。全然思い出せないけど」

「城に住んでいたのですか?」

「実は王族なんだ。俺は偉いんだぞ。敬え」

「それはさておき、余談ですが」

「無視するなよ。寂しいだろ」

「契約外ですので」


 無表情のままで答えながら、エアリアルが小さな指をさした。その指先が向かうのは、船の後方、海の先、俺がマストをへし折ったあの船だった。


「先ほどの砲弾には魔力が宿っていました。あちらの船に魔法使いがいるようです」 





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