第19話「海賊のおねだり」



 船員に連れられて甲板に出ると、あまりの眩しさに目が開けられなかった。手をかざして影を作っている間にようやく慣れて、夏の盛りのように青い空が見えた。白い雲が土台の上にいくつも重なり、巨大な城のように青空の一角を埋めている。


「おい、こっちだ」


 眩しさに突っ立っている間に、船員はさっさと進んでいた。慌ててついていく。何人もの男たちが慌ただしく動いているのを避けながらも、俺は辺りを見渡すことをやめられない。


 海だ。

 一面にどこまでも海が広がっている。。その上を木造の船に乗って、ただ風のみを頼りにして進んでいる。俺は頭上を見上げた。

 船体から垂直に立つ三本のマストから、いくつもの綱が張られている。それぞれのマストには3つから4つの大小の帆があって、そのひとつひとつの開閉を操作することで風を掴まえるようだった。


 帆船の性能は現代の船と比ぶべくもない。だが何人もの男たちが一本の綱にとりすがって帆を操り、ただ風の力のみを頼りに大海原に飛び出している眼前の光景には、背が震えるような畏れと浪漫を感じる。


 ひとつの波を裂くたびに船は上下に揺れる。俺は歩くのにもひと苦労だというのに、船員たちは平然と駆け足で移動し、時にはマストによじ登っている。

 海賊である以前に、彼らは命を懸けて仕事をする海の男たちなのだと思わされる。そしてその男たちを取りまとめ、この船の全責任を担うのが、目の前にいる男なのだ。


「カシラ、連れてきやした」


 海賊の船長ハニーゴールドは、船尾楼甲板の最後部にいた。単眼の望遠鏡を目に当てて船の後方に身体を向けたまま、片手を上げてふらふらと振った。

 それを受けて、船員はさっさと船尾楼の階段を降りて行った。


「……」

「……」


 ハニーゴールドが連れてくるように言ったのだろうに、俺に声をかけるでもない。

 俺は手持ち無沙汰で、ついきょろきょろとあたりを見回す。

 海賊船を観察する機会はそうそうなく、こんな状況––––両手を縛られて海賊の人質にされている––––であっても、つい好奇心が湧く。


 俺が知る船と言えば、横から見て凸型に盛り上がっているものだ。しかし帆船は中心にマストがあるため、その分の空間を前後に避けたように凹型になっている。

 俺が今いる後尾楼は、真ん中部分に比べて一階分ほど高くなっていて、全体がよく見渡せた。ちょうど横合いに大きな操舵輪があって、男がひとり、両手で舵輪を握りしめている。


 俺がじっと観察していることに気づいたのか、男がチラと横目を向けてきた。

 縛られた両手を振って挨拶をしてみる。


「……」


 無言で目を逸らされた。ちょっとばかし悲しい気分になった。


 そのとき、どぉん、と、遠くで何かが爆発する音がした。思わず顔を向ければ、音の発生源は船の後方である。

 青い海の半ばに、くっきりと白い帆が見えた。船が追いかけてきているのだ。船の先端からは白煙が上がっている。煙の白地を背景に、くっきりと目立つ黒い点が宙に浮かんでいた。それはみるみるうちに大きくなる。


「ハズレ」


 単眼鏡から目を離さないままのハニーゴールドの言葉どおり、砲弾は左手奥の海に大きく外れた。ドボン、と水飛沫が跳ね上がったが、波が船を揺らすほど近くはない。


「取舵5度」

「とぉりぃぃかぁじ、ごぉぉどぉ」

「うわっ」


 ハニーゴールドの呟くような指示を、操舵手の男が大声で復唱した。操舵輪を両手でぐるぐると回す。すると船がぐ、ぐ、とわずかに傾きながら左方向に曲がるのが分かる。


「戻せ」

「もどぉぉせぇ」


 再びの復唱のあとで操舵輪が回され、船の傾きも戻った。

 ハニーゴールドは単眼鏡をたたむと、俺に顔を向けて親しげに笑った。


「面白い船だ」

「……面白い船?」


 まるで旧知の友人に話しかけるようなハニーゴールドの態度に驚かされる。俺の動揺に気づく様子もなく、ハニーゴールドは言葉に熱を込めて話し始めた。


「普通、大砲ってのは船の横っ腹に並べる。近づいて横並びで大量にぶっ放さなきゃ、普通は当たらないからな。だが、あの船は正面に向けて撃てる大砲を積んでるらしい。おまけに狙いも正確だ。海の上でここまで狙えるってのは、ちょっと信じられん」

「お、おう、そうなのか」


 頬を紅潮させながら熱弁するハニーゴールドの目は、少年のように輝いているように見えた。


「海軍ご自慢の新鋭船だろう。足が速い。波も静かなもんだ。この調子で狙われたんじゃ、逃げ切る前に当てられる」


 ハニーゴールドは単眼鏡をベルトに留め、後尾楼の柵に肘をついて後方の船を見据えた。

 堂々として余裕のある態度だが、あっさりと言われたセリフが俺としては聞き捨てならない。


「当てられるって……当たったら、まずいよな?」

「ああ、まずいな。そのためにお前を呼んだ」


 ハニーゴールドはちょいちょいと俺を手招きする。

 呼ばれたらつい寄ってしまうのが人間というもので、内緒話でもあるのかと顔を寄せた途端、襟首を掴まれて引っ張られた。


「のわぁぁぁああ!? 落ちる! 上半身出てる! 海!」

「突然で悪いんだが、頼みがある」

「頼む態度じゃないだろ!」

「海賊の中ではこれが常識でな」

「頭おかしい奴しかいないのか!?」

「おっと、ひどい悪口だな。海賊は繊細なやつが多いんだ。そうキツいこと言うなよ」


 力強く引き起こされ、俺は柵に縋りつくようにして息を吐いた。心臓が高鳴り、こめかみが脈打っている。う、海こええ!


「お、落ちたらどうすんだよ!?」

「ちょいと昔にこんな話を聞いた」


 俺の抗議をあっさりと無視して、ハニーゴールドは俺の襟首を引き寄せた。そして密談のように声を潜める。


「そいつはガキのころ、海賊に襲われた。相手は掟も慈悲もない野犬のような奴らだ。もう死ぬってときに、突然現れた奇妙な男に助けられた。それが可笑しいんだが、上から下まで黒づくめの男でね。あんたは何者だと訊いたら、その男はこう答えた––––魔法使いだ、ってね」


 今度こそは抵抗しようとしたのだが、ハニーゴールドの力は尋常じゃない。俺は引きずり落とされるように柵から身を乗り出す形になった。眼下には白い泡を引く海面がある。


「お前も魔法使いか?」

「ち、ちがう! 俺は」

「魚たちによろしくな。まあ、俺は魚が嫌いなんだが」


 恐ろしい力でさらに引きずり落とされそうになって、誤魔化す意地はあっという間に海の藻屑になった。


「ああああ嘘ですそういえば魔法使いでした!」


 叫ぶように白状すると、身体はすぐに引っ張り戻された。柵に背中を滑らせるようにして、俺はその場に座り込んだ。

 か、海賊、怖すぎる。ちょっと漏れたかもしれない。

 ハニーゴールドは目の前に膝をつくと、俺を力強く抱きしめた。


「だと思ったぜ! まさか海の上で魔法使いに出会えるとはな。人生は面白い!」

「ひぃぃ」


 俺は子犬のように身を竦めて震えることしかできない。ついさっき海に落とそうとしてきたやばい男に抱きしめられても恐怖しか感じない。


「魔法使いだってんなら、もちろん弾除けくらいできるよな」

「……はい?」


 ハニーゴールドはにっこりと笑いながら、俺の顔を覗き込んで言った。



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