第18話「砲撃中のお呼び出し」
海賊の頭目、ハニーゴールドがいなくなった船室のあちこちで、安堵の息をつく様子が窺えた。何しろ俺たちは人質だ。ハニーゴールドの気分次第でなにが起こるか分かったもんじゃない。
その中でも、目をつけられた俺がいちばん安堵しているに違いないのだけれども。
「命拾いしましたね。どうなるかとヒヤヒヤしましたよ」
顔を寄せてきたリチャードが言った。表情は分からないが(なにしろ見た目がクマなので)、どこか面白がっている空気がある。
「海賊ってのはみんな、あんな感じなのか? 荒くれ者って雰囲気じゃないのに、見つめ合うと息苦しいくらいだった」
「アレが特別なんですよ。ハニーゴールドは名の知れた男です。この辺りの海じゃ一番の海賊でしょうね。政府の布告もお構いなし、かといって海賊連合の仲間にもならない。一匹狼なのに多額の懸賞金がかけられてるって話ですが」
やべえ海賊じゃねえか。
「さっき、船が見えたって話だったが……また襲うつもりってことか?」
「それはハニーゴールドの気分次第でしょうね。なにしろ変な男です。こんな逸話がある」
と、リチャードは鋭い爪をひとつ立てた。
「ある商船がハニーゴールドの船と遭遇した。陶磁器や香辛料など、それは多額の荷を積んでいたが、相手がハニーゴールドじゃ逃げられない。船長は抵抗せずに停船することを決め、なんとか命だけは助けてもらえるように交渉しようとした。ところが船に乗り込んできたハニーゴールドが要求したのは、船員たちが被っていた帽子だけだった」
「……は? 帽子?」
「なんでも、前日の酒盛りで酔った船員たちが騒いで帽子をみんな海に投げ捨ててしまったのだとか」
「それで、帽子を……?」
「ハニーゴールドは船長に航海の無事を祈って、さっさと船に戻ったそうです。多額の荷には目もくれず、丁重に帽子だけを要求し、去る。海賊ながらに変わったところのある男のようです」
俺は反応に困った。笑い話とも美談とも聞こえるが、帽子だけで見逃してくれた海賊を面白がれるのは、他人事だからだろう。それに、俺は帽子を被っていない。
無言になってしまった俺に気をつかってか、リチャードがことさらに明るい声を出した。
「海軍の船、ということもあります。国は海賊狩りに本腰を入れたところだ。この辺りの海も頻繁に見回っているそうですから」
「海軍の船だったなら、俺たちは助かるってことか」
「いやあ……」
「どっちなのよ?」
自分で言っておきながら、リチャードは返答をぼやかすように首を捻った。
「いえ、そうだったら助かる、とも思ったのですけどね。ハニーゴールドの悪名を考えると、海軍は拿捕するよりも沈めることを選ぶかもしれません」
「沈めるって、俺たちが乗ってるのに?」
「それを海軍が知っていたら良いのですが」
それくらい連絡が……と、言いかけて、俺は口を閉じた。
これは帆船だ。帆船が海の主役だった時代に、パソコンや電話があるだろうか。襲われた船が通報し、本部がすぐさま各船に周知徹底して人質救出に全力を挙げる。それはあくまでも現代的な発想であって、この世界にそれを求めるのは無理かもしれない。
リチャードの言うことはもっともな推測だ。
「仮に、沈めるとして。いや、仮にだぞ? 海軍はどうやるんだ?」
恐る恐ると訊ねた俺に対し、リチャードは平然と答えた。
「そりゃ、砲撃ですよ」
「……あー。なるほどね。一応の確認なんだが、帆船の砲撃というと、あの、船の側面にいくつも大砲が並んでいて、それがドーンと火を噴く、あの?」
「他になにがあるんですか」
リチャードは笑った。
俺はもちろん笑えなかった。
リチャードのすぐ後ろでがっくりと項垂れていた男が、急に顔をあげる。俺たちの話を聞いていたに違いない。
「くそ! 今まで何度も船に乗ったが、こんな目に遭ったのは初めてだ! 助けてくれるはずの海軍に撃たれて死ぬなんて冗談じゃない!」
頭を抱えてしまった男の肩を叩き、リチャードが声をかけた。
「まあまあ。船というのが海軍船だと決まったわけでは」
その時、遠くで何かが破裂する音と、風鳴りが聞こえた。あれ、と耳をすませてすぐ。水に重たいものがぶつかり、波が弾ける音。そして船がぐらりと揺れた。
揺れの中で、俺とリチャードは顔を見合わせる。これって、
「ほ、砲撃だ! 狙われてる!」
男が立ち上がり、叫んだ。
途端に混乱が伝染した。あちこちで悲鳴が上がり、男たちが騒ぎ出す。唯一の扉に駆け寄り、必死に叩く者もいる。男たちの騒音の中に、また水飛沫の音が続き、船がぐらぐらと揺れた。
「狙われてますね」
リチャードが座ったまま、腕を組んだ。
「……落ち着いてるんだな」
「あなたこそ」
「いや、あんたを見てたら俺だけ騒げないだろ」
騒いで当然の状況のはずだが、目の前で悠然と座っているクマを目にすると、自分だけが慌てているのもおかしく思えて、俺もまた座ったまま、周囲の騒ぎを眺める形になっている。
「こうなってしまうと、僕たちにできることはありませんからね。砲撃が当たるかは運次第。神に祈るしかありません」
「達観してるなあ」
痩せ我慢でもなんでもなく、リチャードは自然体のままである。その度胸を見習いたい。
そのとき、急に扉が開いた。男たちが殺到するが、悲鳴とともに床に転がった。見やれば、船員らしき男が立っている。その手には抜き身の剣が握られていた。剣身は短いが幅広く、反りが強い剣先に向かうにつれて細くなっていた。カットラス、という名称が頭に浮かぶ。
薄暗い室内で、金属の輝きは妖しく光っている。
船員は集まった男たちを剣で脅すようにして散らしながら入ってくると、部屋を見渡してすぐに俺に顔を向けた。
「……おい、こっちに来い、黒づくめ。カシラがお呼びだ」
「––––俺?」
思わず自分を指さして訊き返す。
「お前以外にそんな可笑しい格好をしてる奴がいるかよ。さっさとしろ」
船員はカットラスで自分の肩を叩きながら、くい、と顎で扉を示した。
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