第17話「至って普通に海賊」



 海賊と聞けば、俺は筋骨隆々の荒くれ者を思い浮かべる。

 肌は日に焼けて黒く、剥き出しの腕には刺青がいくつも刻まれ、誰もが腕っぷしに自信があって喧嘩っ早い。


 海の男という言葉には逞しさがある。

 荒れた海に船ひとつで乗り出していく命知らずさと同時に、そこで研ぎ澄まされた生命力の漲るイメージ。

 そこに山賊や野盗といった、陸での無法者を混ぜ合わせたような姿こそが、海賊という言葉に重なる。


 扉から入ってきた男は、人生で初めて目にする本物の海賊だった。

 天井の低いために、男の頭はつっかえそうになっている。それは帽子をかぶっているせいだ。広いツバを捲り上げて留めているために、船の先のような歪な形だ。


 男は海賊帽のつばに指を当て、くい、とずらした。

 彫りの深い顔立ちだが、無精髭に覆われた顔の頬は痩せこけていて、海の男と呼ぶには似つかわしくない線の細さがある。こめかみから三つ編みにされた髪が顎の下まで伸びていて、先端に三角形の白い骨片のようなものが結ばれていた。


 船室の人間たちの視線が集まるのを待っていたかのように、男は両手を広げた。


「ようこそ、我が役立たずのクソ野郎ジャック・アス号へ。諸君、ご機嫌いかがかな? 俺は最高だ。なにしろ、ほら、天気がいい」


 と、男はあちらをご覧あれ、と優雅に手を振ったが、そこはもちろん薄暗い壁だった。ただ、わずかに白い光が差している。


「嵐は最悪だ。船が揺れる。俺はこう見えて船酔いしやすいんだ、海賊なのに」


 と、男は俺たちに顔を向け、耳を寄せるような仕草をした。

 おそらく冗談を言ったのだろう、と俺は察した。海賊なのに、船酔いをする。場合によっては面白い話だが、もちろん誰も笑わなかった。


 目の前にいる男は名乗っていない。けれど態度やまとう雰囲気が雄弁にこの男こそが船長なのだと告げていた。

 この船の支配者である。つまり自分たちの生殺与奪をその手にしている。


 そんな状況ではひたすらに息を潜めるしかなく、船室には凪の海のような静けさが満ちていた。

 反応のない観客を前に、男は肩をすくめた。


「笑わないと楽しくないぜ? 海の上には娯楽が少ないんだから」


 やれやれ、と首を振りながら帽子を取ると、ぱたぱたと煽いで顔に風を送る。

 外の気温が上がったのか、押し込められた大人数の男たちの緊張によってか。部屋にはむっとする熱気が篭りつつあった。


「わ、私たちをどうするつもりだ!」


 船室の奥で、誰かが言った。その男の声はかすかに震え、語尾は裏返った。

 男は発声者を確かめようと首を伸ばし、人差し指を向ける相手に迷いながら答えた。


「もちろん陸まで運んで差し上げるさ。それが仕事だ」

「うそだ! 海賊は、船を襲って、ひ、人を殺す!」


 また別の誰かの声。その声は太かったが、涙が混じっているようにも聞こえる。

 男がすぐさまに顔を向けると、声の主と目があったらしい。「ひっ」としゃっくりのような悲鳴が上がる。

 男は声の主に指を向け、4本指を波うたせて揶揄いながら笑みを見せた。


「そりゃ殺すさ。海賊だもん。じゃなきゃ俺たちが殺される。だがいいかい、旦那。俺はあんたたちを丁重にもてなしてる。手は縛ってるが、それも歓迎の証だ。足は残しておいた」


 男は帽子を持った手で船室全員をなぞるように手を横に振った。


「あんたたちは全員がお客様だ。この船は豪華客船。そして俺はその船長、ハニーゴールド。あんたたちは傷ひとつなく陸に足をつける。そして優雅な船旅の礼に、俺にちょっとばかしの……そう、取るに足らぬわずかな銀貨を払う。立派な仕事だろう?」


 男––––ハニーゴールドは首を傾げた。

 切れ長の目は細められ、薄く血色の悪い唇は切ったような笑みを浮かべている。

 線の細い頼りげない優男……そんな印象は、もうなくなっていた。ふざけたような態度に、底の知れない不気味さがある。ふと何かのきっかけで爆発してしまいそうな気配、とでもいうのだろうか。


 決して声を荒げるでもなく、腕力や武力で脅迫してみせるでもない。ただ話しているだけだというのに、船室にいる全員が気圧されていた。


「無口だ。よくないね。女を口説くときもこんなに静かなのか? 酒を呑むときも? ベッドの中でも? 俺は女に生まれなくてよかったな。退屈な男の相手をするのは嵐よりも苦痛だ」


 男は肩をすくめる。帽子を両手でくるくると回しながら、つまらなそうな目で船室を見渡している。誰もが目を合わせぬようにと伏せた。ふと、その目が俺に向いた。

 俺は視線を外すのを忘れていた。度胸があるからではなく、この場にいる誰よりも危機感が薄かったせいだ。


 目があってしまえば、逸らすほうが難しくなる。それは猛獣と出くわしてしまった時と同じように。

 逃げ出すこともできずに見つめ返す俺に、ハニーゴールドは両手を開いて笑みを浮かべた。それはまるで思いもがけない場所でばったり再会した旧友のようでもあった。


「そうだった。あんたのことが気になってたんだ。船に乗るのに黒の外套、珍しい黒髪、おまけに瞳も黒か。黒づくめでこりゃ景気がいい」


 ハニーゴールドは座り込んだ男たちの隙間をステップを踏むように切り抜けると、俺の前にしゃがんだ。


「あっちの船員に確かめたが、あんたのことを知ってるってやつがひとりもいなくてね。面白い話じゃないか? いなかったはずの人間が、いつの間にか増えてる。まるで嵐と共にやってきたみたいに」


 ハニーゴールドは海賊帽をゆっくりと仰いでいる。ゆるい風に混ざって、汗と、潮と、蒸留酒のような匂いがした。


 薄暗い船室の中で、ハニーゴールドの瞳が俺を見据えている。黄色の瞳から目を逸らしたくても、まるで鎖で繋がれたように動かせない。


「俺は……み、密航したんだ」

「ひゅう! 根性があるね。命知らずは大好きだ。で、どこに行きたかったんだ?」


 訊かれて、俺は困った。どこに行きたいのか。誤魔化そうにも、俺はこの場所がどこなのかも知らない。答えるためのとっかかりすらない。しかし何かを答えなければいけない。心臓ばかりが焦っている。


 うっすらと笑みを浮かべたハニーゴールドの唇が引き伸ばされ、にぃっと笑みが深くなる。そして唇が開かれ、何かの言葉を発しかけたそのとき、


「カシラ、船です」


 扉を開けて、別の船員が入ってきた。

 ハニーゴールドはすっくと立ち上がった。帽子を被り直し、船室の誰にも目も向けず、すっかり興味をなくしたようにさっさと部屋を出て行った。


 再び扉が閉まり、錠の掛かる音が響く。

 残された俺たちはただ、残された静寂に呆然とするだけだった。

 



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