第16話「目が覚めると知らない海賊船の天井だった」
目が覚めた。
何か印象的な夢でも見ていれば寝ぼけながら現実に馴染めたのだが、強烈な後頭部の痛みがはっきりと意識を覚醒させた。
「痛てぇ」
頭に手をやろうとして、両手首が縄で縛られていることに気づいた。
捕まることに慣れているわけではないのだが、自分でも意外なほどには冷静だった。
ああそうですか、縛られてますか。それは不便ですね。そんなことより頭が痛い。
ひどい頭痛を堪えるように目をつぶり、深呼吸をする。
床に横になっている。右頬に感じるざらついた木の床からは、古い木材と海水の入り混じった臭いがした。
芳しいとは言えないが、強烈な刺激となって脳みそに染み込んで、痛みはいくらかマシになった。
俺は目を開けた。目の前は壁だ。両肘をついてゆっくりと身体を起こす。
後頭部が猛烈に痛んで、俺は目を固く閉じた。力が抜けて体勢を崩し、壁に背中をぶつけるようにして座り込む。
「きみ、大丈夫かい」
「不法侵入の小人がハンマーで頭蓋骨を叩きまくってる」
思わず返事をしたが、あれ? と冷静になった。目を開く。
暗い部屋だった。天井の低い長方形で、窓もない。それでも天井や壁のわずかな隙間から細い光が入り込んでいた。白々しいほどの眩しさに、外が晴天だと分かる。
狭い部屋の中に、人が十数人と押し込まれていた。俺の目の前に、ひとりの男があぐらをかいている。いや、たぶん、男だ。
「魔嵐に遭った上に海賊にまで襲われて生き残ったんだ。それくらいで済んで運がいいさ」
「あ、ああ……」
「どうしんだ、そんなに目を見開いて。そういや、きみのことを船で見かけなかったな。積荷に隠れて乗り込んだんだろ? そうだとしたら船選びを間違えたね」
「まあ、そうだな……」
陽気な口ぶりで、熊が話している。
黒々として滑らかな毛並みに、つぶらな瞳。
大きさは俺と変わらないくらいで、しっかりと服を着て、普通に座っている。まるで人のように。
「あれ、そういえばきみ、ニンゲン族なのにマレグマ語が達者だ! こんなにまともに会話ができるニンゲンにはじめて会ったよ」
「あ、ああ。得意なんだ」
それでエアリアルの言葉を思い出した。魔法使いはどんな種族とも会話ができる。
ひとつ目の怪物にしか見えないジョゼフィーヌとだって、俺は意思の疎通ができた。
それと比べれば、クマと会話ができるくらいどうってことはないだろう。
「こうして数奇なところで出会ったのもクマ生の縁ってやつかな、よろしく頼むよ。僕はリチャード」
「俺は」
佐藤、と名乗りかけて、ためらった。たぶん、俺の名前は佐藤であっている。
でもそれは名字だ。リチャードと呼び合うのに、佐藤ではちぐはぐな気がする。
それに実際のところ、佐藤という名前に実感が伴なっていなかった。エアリアルに散々、プロスペローと呼ばれていたせいだろうか。
「プロスペロー。俺はプロスペローだ。よろしく」
「へえ、珍しい名前だ。よろしく、プロスペロー。ふたりして生きて船を降りられたら、ぜひハチミツ酒を飲もう」
リチャードは喉を鳴らすように笑ったらしいのだが、俺にはクマに威嚇されたようにしか思えなかった。
「……ちょっと記憶が混乱しているんだが」
「頭を殴られたんだ。それも仕方ない」
「ここは、もしかして海賊船なのか?」
できれば違ってほしい、という俺の懇願に、リチャードは目尻を下げた。
「残念だけど、そうだ。僕たちの乗っていた船は海賊に襲われたんだ。乗客の僕たちはここに閉じ込められてるってわけさ」
「……なんで、閉じ込められてるんだ?」
俺はごくりと喉を動かした。
口の中は乾いていて、飲み下した唾は固い。
海賊という言葉のイメージは最悪だった。
漫画であれば陽気な正義の味方もいるだろうが、現実的に考えれば残虐非道のならず者の集団なのだ。でなきゃ船なんて襲わない。
リチャードは首を回して、背後に座り込んだ乗客たちを眺めた。
「そりゃ、金になるからさ。ここにいるのは商人や金持ちだ。陸に着いたら、それ相応の金を払えば無事に降ろされる。だからまあ、大人しくしてるんだ。下手に騒いだら、どぼん」
と、リチャードは手を叩いた。鋭い爪同士がぶつかって、かちんと音を立てた。
「海へ放り込まれて魚のエサになる。海賊たちは命より金が大好きなんだ。命は同じ重さの金銀で買えると思ってるからね。まったく、ニンゲンは理解できない」
と、リチャードは肩を落とし、はっと気づいて慌てて首を振った。
「ごめんごめん、きみもニンゲンだったね。えっと、お金はある?」
俺は言葉を濁した。
悪い魔法使いと言われるくらいだから、あの塔に金銀財宝くらいはありそうなものだが、いまの手持ちはない。
リチャードはううん、と唸った。
「密航するくらいだもんね。でもそれは海賊には知られないほうがいい。金持ちのふりをして、陸に着いたらなんとか逃げ出すべきだ」
クマからこんなに実践的なアドバイスを貰う日が来るとは思わなかった。
「……そうするよ」
はは、と苦笑いが込み上げる。
部屋を見回し、両方の肩や背後をたしかめるが、もちろんエアリアルの姿はない。どこかに姿を消しているのだろう。それも慣れたものだ。
「なあ、リチャード。女の子は見なかったか? 黒髪の」
「ニンゲンの、だよね? 見なかったけど、知り合いかい?」
俺は頷いた。
地下室の扉はあの船に繋がっていた。間違いなく黒髪の少女も船にいたはずだが、リチャードは見ていないという。となれば、あの船に残ったまま、ということだろうか。
「なあ、襲われた船はどうなったんだ?」
まさかそのまま、と悪い予感がする。
リチャードは答えず「しっ」と俺を制止した。細長い顔が横を向いている。
誘われるように俺も視線を向ければ、そこには扉があった。ただし、普通のドアの半分くらいの高さしかない。
別に何も起きないな、と首を傾げるほどの時間が経って、扉の向こうでガチャガチャと金属の音がした。
乗客たちの空気がハッと変わり、誰もが息を潜めた。
がちん、と一際に大きな音は、錠が外れる音に違いなかった。
蝶番が錆びついた音を軋ませながら、ゆっくりと開く。
男が腰を屈めながら入ってきた。
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