第15話「俺たちの冒険はこれからだ」
塔に戻って来たときには、日はすっかり沈んでしまっていた。
帰ろうとした俺を、村人たちは総出で引き留めた。
そこに遠慮を重ねて辞去したのは、塔に残して来た少女のことが頭から離れなかったからだ。
そもそも俺が村まで来ることになったのは、塔を訪ねてきた少女が原因だ。あの子が俺に村を救ってくれと言ったのだ。
しかし、村人の誰に訊いても、そんな女の子は知らないと答える。
そうなると話はややこしい。
自分の命を賭してまで雪山の山頂にやってきた心優しき少女が、途端に身元不詳で住所不定の不審人物になってしまったのだ。
プロスペローと呼ばれてはいても、俺は佐藤だ。
目が覚めたあの塔がプロスペローの住まいだとしても、俺にとっては家でもなんでもない。
それでも不思議なもので、今あの塔に不審な少女がいるとわかると、すぐにでも帰らなければ、という気持ちになる。
見送ってくれる村人たちと、バケツいっぱいの鼻水を垂らし、滂沱の涙を流すジョセフィーヌに再会を約束して、俺は来たときと同じ雪道を辿った。
登りのほうがしんどいが、そこは再びエアリアルの魔法に頼った。魔法、便利すぎる。
あいも変わらず塔の周囲は暴風雪が荒れ狂っている。エアリアルの魔法のおかげで風除けができるが、普通に考えればただの少女がこの道を抜けて来たとは思えない。
視界は雪の深い白色で塗りつぶされ、左右も上下も分からなくなってくる。自分が進んでいるのかどうかすら確信が持てない。
道先案内として浮かんでいるエアリアルがいなければすぐにでも遭難していただろう。
やがて水中から顔を出すように、急に視界が明るくなる。
暴風雪の壁を通り抜けると、そこに塔があった。ここを出て半日も経っていないのに、懐かしさと安堵を感じる。何だって見慣れたものはいいものだ。
少女はキッチンにいるはずだった。正面玄関を通り、不安に背中を押されるように早足のままで廊下を進み、キッチンに繋がる扉を開ける。
部屋の中にはまだ温もりが残っていた。けれど少女の姿はどこにもなかった。乱れた椅子に少女のわずかばかりの名残がある。
俺は周囲を見回しながら囲炉裏に向かった。火から外されて置かれた鍋の中は空っぽで、スープはしっかり飲み干したらしい。
囲炉裏の中の薪はすでに燃え尽きていて、積み重なったわずかな炭の奥に熾火がゆっくりと明滅している。
「どこに行ったんだ?」
二階へ繋がる階段は瓦礫で埋まっていたはずだし、外に出るにしてもあの暴風雪だ。
はて、と首を傾げたところに、どこかへ姿を消していたエアリアルが扉から入ってきた。
「プロスペローさま。一大事です」
と、ちっとも焦った様子を見せずにエアリアルが言った。
案内されるままに付いていくと、玄関から入ってすぐの広間に向かう。
両手を伸ばして抱きつくほどの太い柱の陰の床に、跳ね上げ式の扉が開いていた。
「隠された地下室……入りたくねえ……」
俺の言葉に取り合わず、エアリアルはさっさと進んでしまう。
地下へ降りていく階段の壁には青い灯りがあって、足元の不安はない。だが階段はずいぶんと長く、どこに繋がっているのかも分からない。戻ったほうがいいのではないかと、そんな臆病風が吹いた。
ようやく到着したのは正方形の地下室だった。正面の壁には台座が彫り込まれていて、古びた真鍮の箱が載っていた。
蓋はすでに開けられている。中には紫の布が張られているだけで、何も入っていない。
「”冥界の鍵”がございません」
「なんだそれ?」
エアリアルは眼前に飛んできて、じっと俺の顔を見つめた。
「プロスペローさま、”冥界の鍵”が盗まれたのです」
「だからなんだよ、その鍵って。お宝だったのか?」
となると、少女はその冥界の鍵とやらを狙って、村人のふりをしてここに侵入したということだろうか。
「うわあ、詐欺みたいなものか。また騙されたよ」
はあ、とため息。頭を掻く。
だがまあ、仕方ない。助けたいと思ったのだし、困っている様子は本物に思えたし、自分の満足のために行動した結果だ。後悔はない。
「……」
しかしエアリアルは動かぬまま俺を観察するように見ている。
「何だよ?」
「プロスペローさま。”冥界の鍵”です。忘れてしまったのですか?」
「何回言われても知らないって」
素直に答える。エアリアルはかすかに眉を顰める。
俺の周囲をぐるっと一周回って、また正面に戻り、言った。
「もう貴方の魂は取り込まれたはずなのですが、いつまでも経っても一体化なさいませんね?」
「––––は?」
「プロスペローさまにとって”冥界の鍵”はなによりも大切な物のはず。その防護魔法が解かれ、意識もお戻りにならないとなれば、想定外のことが起きたのかもしれません。やーい、プロスペローさまの無能」
「何を堂々と無表情で罵ってんだよお前は」
「私の渾身の挑発にも無反応……やはり失敗されたのでしょうか」
エアリアルはこてんと首を傾げた。
「おい、勝手に納得すんな。どういうことだよ。何を言ってるのかさっぱり分からん」
「愚鈍な人間ですね。いえ、人間はみな愚かで鈍いのですが、あなたは飛び抜けています」
「舌鋒が鋭すぎるだろ」
「仕方ないのでご説明しますが、”冥界の鍵”とは、プロスペローさまが冥界の番人からちょろまかした鍵のことです。この世と冥界を繋ぐ扉を開くことができます。プロスペローさまは冥界へと入り、異界の貴方の魂を引き寄せたのです」
「へえなるほど……って、やっぱりお前、俺がプロスペローじゃないって気づいてたんじゃねえか!」
「いつプロスペローさまの意識が戻るか分かりませんので。ですが今でもこうして”あなた”のままでいるところを見ると、何か異常事態があったのでしょう。ざまあみろ。なんちゃって」
冗談なのか本気なのか、エアリアルの無表情の顔からは読み取れなかった。
しかしエアリアルのおかげで、俺はようやく気持ちが落ち着くところでもあった。
やはり俺はプロスペローではなかった。ちゃんと別の人間だ。
冥界の鍵がどうとか、分からないことだらけだけども、ひとまず、自分が自分として存在するのだと確信できただけで満足である。
「よし、よし。じゃあ、俺はどうしたら元の世界に帰れる?」
エアリアルはそこでじっと黙り込んだ。俺の瞳を覗き込む。
「な、何だよ」
「……プロスペローさまは、貴方の魂が必要でした。その肉体に魂を引き入れたとき、貴方の意識は消失し、プロスペローさまとひとつになる予定だったのです。このままプロスペローさまの意識が表に出ないうちでしたら、元の世界に戻ることも可能かもしれませんね」
「……かなり話が物騒なんだよな。それって、俺の魂が消えるってことか? 乗っ取られるって?」
「それがお嫌なのでしたら、”冥界の鍵”を取り戻すしかありません。世界を渡るにはあの鍵が必要です」
俺は頭を掻いた。
事情もこの状況もさっぱり分からないのは変わりない。しかし目標が明確になったのは間違いない。
鍵だ。
どうやらここに忍び込んだあの少女が盗んだものが、俺が帰るために必要なのだ。
おまけにプロスペローの意識がいつ戻るかも知れず、戻ったとしたら俺の意識がどうなるかは分からない。
残り時間の分からない爆弾を抱えたまま、宝探しをしろというわけだ。
まるで現実感がなく、やけにリアルな夢だと思えたらどれほどいいだろう。しかしここまで目が覚めない夢であれば、それはもう現実と変わりもない。
俺はため息とともに肩を落とした。
「わかった、やろう。やるよ。どうせ他になにをすりゃいいのかも分からないし。さっさと鍵を手に入れて、家に帰ろう。エアリアルも手伝ってくれんだろ?」
と訊ねてみるが、エアリアルはすん……と澄ました顔で浮かんでいる。
「あの、エアリアルさん?」
「私はプロスペローさまと契約しております。あなたに協力する義理はございません」
「ええ……いや、そこを何とか頼むって。お前がいないとどうにもなんないんだよ。俺ひとりじゃ何したらいいかも分からないんだって」
両手を合わせて頼み込む。右も左も分からないこんな場所で案内役を失ったらのたれ死ぬしかない。
真剣に頼み込んで、ちらっとエアリアルの様子を伺うと、どことなく自慢げなようにも、嬉しそうにも見える。
小さな顎をつんと上げて、エアリアルは両手を腰に当てた。
「仕方がありませんね。私は大変に慈悲深い妖精なので、ひとつ提案を差し上げます。あなたも私と契約をすればよいのです。鍵を手にいれるまで、力を貸しましょう」
「その対価は……?」
「鍵をその手に握られたときに申し上げます」
「なにを要求されるか分からないまま契約しろって? 怖すぎる」
「でしたらいいですよ、この話はなかったことに」
「します! 契約させてください!」
くそう、なんて交渉の上手い妖精なんだ。
だが、エアリアルの力は絶対に必要だ。どんな条件であろうと、力を貸してもらえたら千人力だ。
俺は宙に浮かぶエアリアルに手を差し出す。
エアリアルはきょとんとそれを見た。
「握手だよ。契約成立と、これからよろしくってことで」
「……変な文化です」
と言いながらも、エアリアルは手の前にふわりと飛んで、俺の人差し指を両手で掴んだ。
「俺の命はお前にかかってる。頼むぞ相棒」
「嫌です」
この妖精、雪風より冷てえ……。
「とにかく、さっさと鍵を探しに行くか! で、どこに行けばいいんだ? あの扉か?」
正方形の部屋には扉がひとつだけあった。
少女がここで鍵を盗んだのであれば、あの扉に向かうのが自然な動線に思える。
石造りの壁にはめ込まれたオーク材のような古びた扉の正面に立つと、奇妙なことに気づいた。
扉が小刻みにカタカタと揺れている。それに足元がかすかに濡れているた。扉の向こうから水が染み出しているのだ。
「なあ、エアリアル、この扉の向こうはどうなってるんだ?」
「知りません。この扉を使うのはプロスペローさまおひとりでしたので」
「頼りになる妖精だな、まったく」
「開ければ分かることをいちいち訊かないでいただけますか」
ぐう。なんて減らず口の妖精なんだ。
エアリアルはふわりと舞うと、俺の肩の上に座った。
「さあ、参りましょう」
「……お前さ、わくわくしてない?」
「気のせいです」
「ならいいんだけど」
絶対に楽しんでるだろと思いながら、俺はドアノブを握り、息を吸って、引き下げる。
重たげな金属音と振動が手に伝わる。
一気に押し開けた。
「––––は?」
飛沫が顔を叩いた。
雨。
いや、しょっぱい。
視界の真っ正面に柱が伸びていた。太い木製の柱。見上げるとデカい帆が張られている。そこから伸びる何本ものロープ。
その向こう側で雷が迸り、黒々とした雲が渦巻いているのを照らした。土砂降りの雨が顔を叩きつけている。
俺は、船の上にいた。
それも映画の中でしか見たことがないような古い船だ。
知識だけは呼び名を知っている。エンジンはなく、帆に風を受けることで動力として海を走る帆船だ。
甲板に大勢の人間がいる。あちこちで叫ぶ声。誰もが怒鳴っている。男たちが列になってロープを掴み、帆を操作しようとしている。
途端、船に恐ろしい衝撃が来た。
俺は跳ね飛ばされるようにして甲板を転がった。波が甲板に流れ込み、あっという間に全身がずぶ濡れになる。
口の中、鼻の中に海水が飛び込んでくる。咳き込んで顔を上げれば、塔へと繋がる扉が今まさに閉まるのが見えた。
扉が白い霧となって消える。すると船の背後に、もう一隻の帆船があったのに気づく。
帆船は先端––––衝角をこの船の尻側に斜めに突き刺していた。体当たりしてきたのだ。
その船から鉤縄が何本と投げ込まれる。マストに吊るしたロープを振り子のように揺らして、男たちが次々と飛び乗ってくる。銃声。甲板の上で赤い火があちこちで煌めく。何もかもが急速に、そして同時に進んでいる。
体当たりを仕掛けた帆船の帆はたたまれている。だがマストの頂上に巨大な旗がある。嵐の暴風の中で堂々と広がっている。
そこに描かれたマークから目が離せない。
あまりにも有名で、あまりにも非現実的で、俺は驚けばいいのか笑えばいいのかも分からない。
男たちの怒号が響いている。誰かが叫ぶのが、雷鳴の間隙に聞こえた。
海賊だ、と。
雷の一瞬の光に、髑髏の旗が照らし出された。あれは本物の海賊旗だ。
同時に、俺に覆い被さる影があるのを見た。
振り返る。そこに男が立っていた。男は腕を振り上げている。
熱と衝撃が頭を揺らして、俺は床に崩れ落ちた。
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