第13話「それゆけジョセフィーヌ」


 どんなに緊急の事態であっても、大事なのは打ち合わせである。

 緊急だからと心構えもせず、手ぶらですっ飛んで行っても、何もできずに事態を悪化させることになる。


 そう、あれはうちの上司のミスが発覚して、フォローと謝罪のために取引先にすっ飛んで行かねばならないというのに、当の上司が休暇中で仕方なく俺だけで行ったのだが当然それで事が収まるわけもなく……ふっと連続した断片のイメージが流れていく。


 寝起きに鮮明だったはずの夢が、数秒で煙と消えてしまうのと同じように、思い出したはずの記憶の映像はまた消えてしまった。

 それを惜しんだり悔しんだりする余裕はなかった。

 全力で走っていたからだ。


「魔法使いさま、早く早く!」

「ぜえ……ぜえ……ヒィ……」


 先導する青年は息ひとつとして乱さず、俺が追いつくのを待っている。

 焦っているのは、俺が洞窟で「ちょっと打ち合わせを」と時間を食ったからだ。


 だからもちろん俺にだって急ぎたい気持ちはあるのだが、肉体的な問題はどうしようもない。この高地の山で暮らし、日々の生活で身体を動かしているに違いない青年と俺とではもはや別の生き物なのである。


「え、エアリアル……俺の身体を、軽くする魔法をかけてくれ……!」

「申し訳ございません。異なる魔法を同時に使うことはできません」

「意外と不便だな、魔法ッ!」


 声は聞こえど、エアリアルの姿は見えない。風の魔法によって姿を消している。


 ひぃひぃ言いながらも立ち止まるわけにもいかない。

 狼が村に来ている。どう考えても非常事態だ。

 助けを求めてきた青年を引き止めて時間を消費したのは俺なのだ。ここで泣き言を垂れ流すわけにはいかない。


 精一杯の速度で走る。家をいくつも通り過ぎる。道は広がり、やがて羊たちの喚く鳴き声が聞こえてきた。

 丘に何十頭と羊が群れになっている。そこに黒い狼が飛び込み、足に噛み付いては引きずり去ろうとする。村人のひとりが慌てて駆け寄り、木の棒を振り回して追い払う。


 それが二度も三度も繰り返されている。

 狼は四匹いる。男たちが追い払おうと武器を振るが、一定の距離を保ったまま逃げる様子は見せない。


「あいつら、普通の狼と違うんです! この辺りには降りてこなかったのに……火も怖がらないし!」

「ぜえ! はあ!」


 青年に返事をする余裕がない。しかし目的地はようやく目に見えて、俺は最後の力を振り絞って向かう。

 近づくなり、狼は村人ではなく俺たちのほうに向き直り、今にも飛びかからんばかりに唸り始めた。


「魔法使いさまだ! 助かった!」

「なんとかしてくだせえ!」


 村人たちも狼とのこう着状態に参っていたに違いない。武器にしているのはクワやらただの角材やらで、どう見ても戦うためのものではない。


 もう大丈夫だ、安心しろ、と声をかけたいのは山々なのだが、俺はもう限界だった。膝に手をついてぜえぜえと呼吸を整えるのに必死だった。


「お、おい見ろよあれ」

「あんなに息を荒げてる」


 くそ、これじゃあまりに情けない……!


「魔法使いさまがおれたちのためにあんなに必死に……!」

「なんてお人だ! 俺たちを助けようと……くぅっ!」


 良心的に受け入れられていた。万事、何がどう転ぶかわからないものだ。


「民衆の心を手に取るために、あえてそのように汗を流されていたのですね。さすがです、プロスペローさま」


 と、耳元でエアリアルがどう考えても勘違いなことをもっともらしく囁くが、訂正する余裕もなかった。


「だ、大丈夫ですか、魔法使いさま」


 青年がおずおずと俺に声をかけてくれる。何気にいちばん心配してくれている。

 俺は身体を起こして頷き返す。肩で息をしながらも、なんとか胸を張った。


 正面には四匹の黒い狼が唸っている。目は真っ赤に輝いており、剥き出しの牙はギザギザで、これこそがまさに肉食獣という歯並びだ。

 どんな犬よりも大きく、ライオンや虎に近しい威圧感は猛獣と言って過言じゃない。そんな生き物と向かい合っているのだから、それは恐ろしい事態に違いないはずだ。

 それでも不思議と恐怖を感じないのは、狼たちが威嚇している相手が、俺ではないとわかっているからだろうか。


 俺はちらと村人たちを確認する。俺に注目している。この場をなんとかしてくれるのではないかと期待している。

 別の意味で緊張しながら、俺は狼たちを指差した。


「哀れな狼たちだ。俺がここにいなければ羊たちで腹が満たせたろうに! 俺はたったいま、新たな配下を従えた! その力を試すのにちょうどいい!」


 俺は腹から声を出して熱演する。人前で事前に考えたセリフを声にだし、何者かを演じるという行為が、不思議と懐かしい気がする。昔は演劇部だったのかもしれない。

 俺は狼たちに手を向けたまま、指を弾き鳴らした。


「サイクロプスを召喚––––ッ!」


 ––––ぱちぃん。

 それがエアリアルと打ち合わせた合図である。


 俺に集まっていた村人たちの視線がズレるのが分かった。俺の後ろを仰ぎ見ている。

 目が見開かれ、ぽかんと顎が落ちる。

 茫然自失とはこのことだろう。


「か」


 と、誰かが口にする。


「怪物だああああああああッ!」


 悲鳴。その場に座り込む者、咄嗟に武器を構える者と反応は様々だが、そのどれもが想定内である。


 エアリアルの魔法によって、ジョセフィーヌは姿を消したまま、洞窟からこの場までついてきていたのだ。


 それが俺の合図によって突然に姿を現したのだから、村人たちが混乱するのは当然だろう。しかしその混乱こそがチャンスなのである。


「心配するな! この怪物はすでに俺と契約した使い魔だ! 味方だ!」


 村人が再び俺に視線を向けた。

 ただの人間がそんなことを言っても何の説得力もない。しかし今の俺は、”魔法使いさま”である。村人はたぶん、魔法使いが何をできるのか分かっていないだろう。


 何を隠そう、この俺も分かっていない。しかし自信満々に言われると、もしかしてそうなのかも、と思ってしまうのが人間だ。


 村人が戸惑っているその隙に、俺は勢いで話を進める。


「さあ行け、忠実なるしもべよ! 狼を薙ぎ払え!」

「プロちゃん、本当にやるのお!?」


 背後でジョセフィーヌの泣き言が聞こえるが、もちろん返事はできない。ジョセフィーヌの言葉は村人たちに理解できずとも、俺の言葉は理解できるからな。


「遠慮はいらないぞ! やってしまえ!」

「わ、分かったわよお、もう!」


 ジョセフィーヌが俺を追い越し、狼たちに走って行く。

 これで逃げてくれたら、と期待していたのだが、そこまで甘くはない。狼もまた走り、ジョセフィーヌに牙を剥いた。


 詳しい打ち合わせの時間はなかった。思いついた流れはあくまでも大雑把なものでしかない。

 狼を追い払う、という計画を実現するために、具体的にどうするかは未定だった。


 いくら巨体のジョセフィーヌとはいえ、四頭もの狼を相手にするのは厳しいだろう。ここはエアリアルに助勢を頼んで……と思っていたのだが。


「いやあ! こわい! あん! えいっ!」

「……なんて気の抜ける声なんだ」


 ジョセフィーヌは甲高い悲鳴をあげながら、縮こまった肘のまま手を振り回したり、足をばたつかせている。だがその拳が擦れば狼は吹っ飛び、足に当たれば転がっていく。狼が噛み付いても、その厚い皮膚を貫くことができないようだった。


「ごめんね! ごめんなさい! ああもうやだ! 許して!」


 まるで被害者のような物言い。狼たちが宙を舞っている。

 俺はそれを眺めていることしかできない。うーん。


 ジョセフィーヌの言葉が分からない村人たちは、俺とは違った視点でこの光景を見つめているらしい。

 ついさっきまで怯えていたはずなのに、今では狼が吹っ飛ぶたびに歓声が上がっている。


 ここまで圧倒的だと、狼もさすがに歯が立たないと悟ったらしい。一頭が逃げだしたを機に、全員が走り去っていった。村人たちが両手を上げて叫んでいる。

 ジョセフィーヌが小走りで戻ってきて、俺に顔を近づけた。


「ねえ、やだ! 野蛮だと思われたらどうしよう! プロちゃん、あたし変じゃなかった!?」

「……ああ、それはもう勇ましかったよ」


 望み通りの結果に満足するべきだと分かっている。しかしちょっとばかし想定と違う過程をたどったことに戸惑いもあった。

 なんかこう、もっとかっこいい感じが欲しかったというか……いや、まあ、いいか。


「ほら、打ち合わせ通りに」


 俺はジョセフィーヌに小声で囁く。


「え、あ、そうだったわね、こんな感じ?」


 と言いながら、ジョセフィーヌは俺の目の前で膝をつき、両手を地面につけた。それはさながら、主人に付き従う従者のようである。


「おおお……怪物が頭を下げてるぞ!」

「魔法使いさまはあいつを手懐けてるんだ!」

「犬より賢そうだぞ!」


 村人たちが口々に言いながら、恐る恐ると近づいてくる。


「プロちゃん、ニンゲンさんたちは何て言ってるの?」

「……ジョセフィーヌが強くて美しいってさ」

「やあん! 照れちゃうわ!」


 ジョセフィーヌが頬を両手で挟んで顔を振るものだから、村人たちがまた怯えてしまった。


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